みんなにデクノボーと呼ばせておけ
23歳の時、ある人の紹介でちょっとした読書会というものに参加した。
課題本がなんだったのかは覚えていない。
参加者の人たちと二次会へ。
当時五十前後の男性と、三十半ばぐらいの女性がいたのを覚えている。
彼らの顔も仕事も何も覚えていない。
覚えているのはたった一つの会話だけ。
「君たちぐらいに若かった頃は、自分の力で世界が変えられると思ってたんだよね!」
「そうそう!段々と年をとると現実を知っていくんだよね!」
その2人が笑顔で語り合っていたやりとりだけは、今もはっきり覚えている。
「こんなつまらない大人にだけはなるものか」と心に誓った。
あれから10年。
彼らの話していたことは、少し理解は出来るようになってしまった。
自分の非力さと至らなさと器の小ささに日々絶打ちひしがれ、自分が世界をひっくり返すような人間ではないことも十分すぎるほどわかってしまったからだ。
でも、幸いなことに私はまだ、十年前の彼らのように、自分の非力さを捨て置けるほど、妥協的な生き方はできないし、何者にもならない、と自分を受け入れられるほど老け込んでもいない。
今日が私の人生の頂点なら、明日は今日よりも更に高みに登ることが出来るはず。
気がつけば世間一般でいう若者ではない年になった。それがどうした。金メダリストが全員年下になろうが、お前に金メダルは取れない、と誰にも言い切れる筈がない。
自分が成功者か否かなんて、自分が死んだ後に誰かが勝手に解釈してくれ。
それよりも、あの時なるまいと誓った「こんな大人」の姿から少しでも離れるために、
私は私の道を行こう。
不義理と批判されても、たとえ信頼を失ったとしても、その先どうなろうとも、
雨にも負けず、風にも負けず、
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、
欲はなく決して怒らずいつも静かに笑っている
そういう者に、私は成りたい。
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