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イタリア人女子との話-ダイバーシティ(9)-

先日、ダイバーシティ周辺の議論なのではないかと思われる議論をした。

ダイバーシティというのは要するに「違い」のことであり、そのままではそれを受け容れるという意味を持たない。

なので、包摂まで含めてD&Iと表記されるようになった。包摂とは、ダイバーシティがあることが自然であり、女性活躍施策とか女性役員比率とか、そういったものがそもそも出てこない状態なんだと思う。。

違いがあって当然であり、違いに応じた対応をしようねということで、DEIに進化したというわけだ。

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昔話をしたい。

ドイツに居るときに、語学学校のイタリア人女子10人と待ち合わせをして、自分だけ一人待ちぼうけを食らったことがある。マンマミーア、オーマイパスタである。

僕がハブられただけという説も有力だが、イタリア人は時間にルーズというステレオタイプは必ずしも外れていないと思っている。さて、時間にくるのとこないのはどちらが「普通」なのか。

もういくつか。以前、「社内で朝ご飯を食べないのは当然」という客先の社長がいた。これはもちろん就業規則ではなく、彼にとっての普通であり、アメリカでの調査ではオフィスで朝食は半分が取るという調査を見た。さて、どちらが「普通」なのか。

寮にいるときに、時間になると礼拝をするムスリムがいた。時間になるとタバコを吸いに出る喫煙者は許容せず、ムスリムなら許容するのか。

勤務中にタバコを吸ってクラクラするのは良くて、アルコールで酩酊するのはだめなのか。(ちなみに飲酒は可だが酩酊はだめという就業規則もあるらしい。)

職種差別はいけないが、反社は例外なのか。

経験で差別してはいけないが、賞罰の罰は無視すべきなのか。アメリカは犯罪歴のある人が7千万人くらいいて、更生プログラムに参加した人を採用することも是とされる。

就業経験のない40代(氷河期世代雇用)はキャリアを積み上げた人と同列に扱うべきなのか。

学歴フィルタを採用で行っている会社はダイバーシティ経営を標榜できるのか。

仕事の成果が出せない人を評価制度で低く評価してよいのか。

こんなことも突き詰めると気になってしまう人もいるだろう。もちろん、これらの大半に答えがある。

考える上でのヒントの一つとして、フリーダムとリバティを比較したい。リバティは、法の下での自由、フリーダムは何にも縛られない自由という意味がある。

これでわかったかもしれない。ダイバーシティは、無条件で認めるものではないのだ。あくまでも一定のルールに基づいた多様性のみが認められる。だから、法に触れるものの自由は認められないし、社内ルールに違反して多様性を唱えることはできない。

社内ルールは、入社した人に適用されるもので、基本的に全員がそれに同意して働いているわけだから、それを逸脱するものは認めなくてよいという考え方がわかりやすいのだろう。

時間になってしまったのでここで終わり。





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