徳性について-強み(3)-

意味がわからず使う口癖がある。「徳が落ちる」だ。

よく使うのに徳の意味を知らない。なぜ、使うかというと、この意味の分からない語彙を使う感覚がなんとなく笑えるからだ。

どんな意味で使うかというと、人が見ていないからといって、自分の基準を下回ることをすると、人としてのレベルが下がるというようなニュアンスだ。全く言語化できていない。

ということで、今回は「徳」、ひいては徳性について考えたい。

徳性との出会い

ポジティブ心理学を勉強しているときに、徳性という言葉にであった。

レジリエンスを学ぶ際に、強みと徳性が並列でならんだ。徳性は、キャラクターストレングスというらしい。7月には本も出るそうだ。(昔、日本ポジティブ心理学協会でコンテンツを使っていただいたので宣伝)

説明しにくい言葉

「特性ではなくて徳性ですか、それはなんですか」といろいろ聞いたが、適切な答えは得られなかった。まるで当たり前のように使われているのに。こうしたものは危険な言葉だ。

中には、「Virtue」のことだよという人もいた。僕はVirtueは美徳という意味があるくらいしかわからないが、徳と美徳は別物な気がする。人と美人と同じくらい違う。説明になっているとは感じなかった。

美があるなら逆もある。悪徳だ。その英語がVice だというのは知っていた。ただ、美徳と悪徳は徳の善悪のことであり、これも徳そのものを説明しない。

徳の掴みどころのなさ

そもそも、徳という語彙は馴染みが薄い。

仁義礼智忠信孝悌の八徳はなんのフレームワークなのかもさっぱりわからない。十徳ナイフ?全く意味不明だ。使い道という意味か?

道徳、不徳、人徳、徳目、使うことはあるがイマイチつかめない。

倫理観に関する仕事でも道徳的という言葉は出たが、やはり分からない。

アレテー

徳はアレテーという。哲学者ソクラテスの言葉だそうだ。アレテーは説明としてわかりやすい。

ソクラテスは、魂という言葉を用いたようだが、魂に備わる人の卓越性や有能性でもあるようだ。また、Wikipediaでは精神性とあり、魂との類似性を感じる。

強みと徳性という言い方をする。以前、強みとは、強みではなく才能のことだと書いた。もう少し具体的にいうとポジティブな意味での才能のことを強みとよぶだろう。

「魂の高潔さ」という荒木先生の言葉と、ソクラテスのアレテーが繋がり、理解に至った、人の本質のことを魂とよび、それが内的に具有する才能のことが徳性なのだ。魂の才能といってもよい。だから、「キャラクターストレングス」なのだ。キャラクターとは、パーソナリティと異なり、生得的なものだ。生得的なものを魂というのだろう。その強み(才能)のことなのだ。

強みのように実行やら思考やら人間関係やら、活動と紐づかなくていいところもわかりやすいだろう。

美徳と悪徳

では、悪徳、美徳は何かというときに、キン肉マンの神様の名前だと感じた。(世代なのでわからない方すみません。)

邪悪の神の名前を悪徳、その他の神の名前を美徳と考えると分かりやすい。なお、キン肉マンは現在も連載中であり、今は自制の神と格闘中であるが、この「自制」こそが美徳の一つなのである。

とすると、「徳が落ちる」とは何か。その意味は、自分の魂の才能、個性に抗う振る舞いをすることで、それが弱くなることだと解釈した。魂がなんなのかはわからないが、それが活きない行為はそのエネルギーを下げているのかもしれない。

2022年7月1日に書いたものです。

以下とも繋がる。


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