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|低山ハイク|生駒の神仏「宝山寺」「龍光寺」*参詣本道〜生駒山〜摂河泉コース

2024年2月18日 
近鉄「生駒」駅、10時過ぎ着。
改札を出て左、陸橋を渡り商店街へ

真っ直ぐ歩き、右折、左折、
左側に、生駒大師堂。


少し歩いて右折、指差し石碑あり。
宝山寺への参詣本道。

ここからは住宅地を真っ直ぐ歩く。

右側に
熊鷹大明神、参拝。

振り返ると

住宅の切れ目、左脇からの眺め

鳥居。
過ぎると

般若窟と呼ばれる大岩壁が見える。



近鉄生駒ケーブル「宝山寺」駅からの交差点。
今では、カフェなどもあり、新しい空気が溢れているが
古くは「大阪の奥座敷」と呼ばれるほどの歓楽街的な門前町が
形成されていたそうだ。
だからこそ「女町エレジー」では、生駒は哀しい女町と歌われていた。

憂歌団バージョン「イコマ」もYouTubeにアップされていた。


昭和の価値観は更新されるが


面影はそのままに、昔ながらの神具店。

階段の左へ抜けると、直接登山道へ抜ける。

鳥居を過ぎると、駐車場の横

宝山寺

生駒山は大昔から神や仙人のようなお方が住む山と周辺から仰ぎあがめられ、巨巌や奇石、幾つかの窟から成る魁偉な姿の般若窟は、寺伝によれば、役行者が梵文般若経を書写して納め、弘法大師も若いころ修行された。

宝山寺HPより


湛海は優れた験者として有名になり、時の権力者の熱い信仰を受け寺は発達した。江戸時代後期には聖天さんの神威絶大と広く伝わり、多くの庶民が参拝し益々繁栄したという。そして、今も続く現世利益のメッカである。

境内に入ると、迫る般若窟。

右・本堂、不動明王 参拝。
左・拝殿、大聖歓喜自在天(聖天さん)参拝。


奥の階段を上がると
文殊堂、文殊菩薩

前面、上を見ると
般若窟の中央には弥勒菩薩の像がある。

左手に常楽堂、如意輪観音
正面に観音堂、十一面観音

観音堂を左から回り込み
遥拝所、虚空蔵菩薩

般若窟、立ち入り禁止。

弥勒菩薩
荒神
弁財天
岩船明神
稲荷明神
役行者像

奈良の昔話として、
般若窟には役行者の作といわれる不動尊と弁財天の仏像が祀られていたので、山麓の村人は「この古仏を守ってくれる方がいたら山を寄進する」と、修験僧でもあった湛海さんにお願いしました。
実は、山には恐ろしい悪霊が棲んでいたそうで、湛海さんは座禅し、ここに籠もって三、四日過ぎた夕暮れ、突然、怪力の夜叉が組み付いてきたというのです!

 夜叉は黒く大きく、肌は岩のように硬くゴツゴツし、毛髪は鉄の針のように鋭く尖っていた。夜叉は「ここは俺の住まいだ。早く立ち去れ」と言った。
 湛海さんが「南無不動明王」と念じると、その腕力は夜叉の数十倍に変化し、夜叉は逃げ去った。
 その後、湛海さんは、生駒山には岩船大明神が住み、山の北にその神が降臨した岩船谷があると聞いて参詣した。すると岩船の岩肌が、襲ってきた夜叉の肌と大変よく似ている。この時、大明神が夜叉となって現れたことに気づいた。

奈良のむかしばなしHPより

現在、その岩船明神も般若窟には祀っているが、
ここより北には岩船社(饒速日命社)がある。

あるいは、そのまだ北にある
生駒山系の北端にある「天の磐船」といわれる
巨大な磐座のある「磐船神社」の事なのか。
すると、これは磐座の大きさ比べ?
あるいは、生駒山の権力者の交代を伝えているお話なのか?


戻り、上り
うすさま明王

水の神、水神さんとは誰だろう?

おん ばろだや そわか

真言から逆引きすると水天に辿り着くが、

延命水として、使用可能のようだから
水源地の水神から仏教化しているのだろう。

水源地に祀られる水神(水分神(みくまりのかみ))は山の神とも結びついている。農耕以外の日常生活で使用する水については、井戸・水汲み場に水神が祀られる。

Wikipedia より

神仏習合しているのが、日本的な仏教の迷宮。



多宝塔、愛染明王。

おん まから ぎゃ ばさろ しゅにしゃ ばざら  さとば じゃく うん ばん こく

多宝塔からの眺め、

奥の院へは、
両側に何百と並ぶお地蔵さんロードを上る。
どこに辿り着くのかわからない、夢の中の景色のようで
いつ来ても何かザワザワする。


左側に、五社明神をすぎ
大師堂、弘法大師

奥の院、不動明王。参拝。

さらに奥には大黒堂、

大黒堂からの眺め、少し高くなっている。


白龍弁財天、参拝。

弁財天の使者は蛇との事なので、抜け殻を置かれていた。

おん そらさば ていえい そわか

⭐︎抜け殻の効果
金運・仕事運・良好な人間関係・子宝・成績アップと言われているそうです。


福徳大神
赤い柵、結界から向こうは禁足地のようだ。
公式の情報が見当たらないが、
ネット情報では宝山寺の開山以前から、
信仰の対象であったであろう、ピラミッド型の山を遥拝する場所のようだ。

ここは一番高いところにあり、納得する。

歴史は上書きされていて、今、隙間から見え隠れすることを
知らんけど(^^)と、無責任に考えるのが楽しい。



奥の院の境内から外へ、左側へ出る。
しばらく歩き、近鉄生駒ケーブル「梅屋敷」駅からの眺め

右へ続く、山頂へ急坂の道

左側に青龍爆。
石仏はあるが奥は荒れていて、長い間枯れているようだ。

正面に東屋、休憩しようと思っていると

ここにも指差し石碑があり、
どうやら,指差し石碑は生駒の伝統のようだ。
(「興法寺」への指差し石碑は、辻子谷コースにあった)

脇道が整備されていたので
左斜めに曲がり、こちらを進む。

東屋を左折した道に繋がる。

左折すると、近鉄生駒ケーブル「霞ヶ丘」駅
ここは真っ直ぐ

石畳はコンクリート道に変わり、
この辺まで来ると、太ももの筋肉がキツイ。

振り返ると、すっかり高くなっている。

上りきると、
近鉄生駒ケーブル「生駒山上」駅
向かいが生駒山上遊園地。
遊園地内に山頂三角点あり、標高約642m

冬の間は休園だが、通り抜け可能。
家族連れやカップルは見当たらず、
ポツポツとハイカーの姿のみの遊園地。
それは、ゾンビが徘徊する街のような、違和感のある風景。


生駒山

生駒山が記録に現れるのは日本書紀における神武東征の一節であり、神日本磐余彦尊長髄彦が山麓において激戦を繰り広げたとされる。一等三角点が置かれている山頂は奈良県側にある。山上には生駒山上遊園地が開設されている。

古くは役行者による鬼退治の伝説で知られ、山腹には現世信仰で知られる宝山寺を中心として、滝の修行場や祠など大小さまざまな宗教団体の施設が設けられ、宗教法人として届けられていないものも多くその総数は把握されていない。神社に関しては、奈良県側の山麓に生駒山の神を祀る往馬坐伊古麻都比古神社(往馬大社)が、大阪府側の山麓に「いしきりさん」で親しまれる石切劔箭神社や元春日とよばれる枚岡神社等がある。

Wikipediaより


ベンチで昼食、12時頃
もう寒く無いので、カップヌードルはやめ、
六甲縦走弁当。

少し戻ると、たくさんの八大龍王の幟、

龍光寺

残念、本日は1時ごろ開門。
撮影禁止なっている。
以前伺った時は、あちらこちらに沢山の神仏が祀られていて
不思議な空間だった。


戻り、電波塔のある方向から遊園地の外へ

Y字路
左は、暗峠へ
右を下って、摂河泉コース。

少し足元が湿っている

信貴生駒スカイラインの下を潜って、

ここから大阪府。



サクサク、

眺めよし。



サクサク、

管理道と交差点付近、休憩。



サクサク、

右折すれば、長尾の滝だが次回にしよう。



サクサク、

枚岡公園を額田駅側へ、

眺めよし,休憩。

快適なコース、

公園の出入り口には、どんぐりのオブジェ。

すぐに住宅地、遠くにあべのハルカス。

少し歩いて
近鉄「額田」駅、1時半過ぎ着。


奈良から大阪へ、
生駒山超え、約3時間半の快適なコース。

やはり、生駒山の中心は宝山寺だと思う。
地形も歴史も人の想いも巻き込んで
聖俗が一体になってエネルギーが溢れている。
疲れている時は、この場所に負けてしまうが
今日は、サクサク快適。ありがとうございました。







※生駒の神仏はこちらに、指差し石碑のあるコース

※生駒山の多様な宗教の施設や状況の資料として、
以下の2冊が詳しくて面白い。

「生駒の神々」1985年発行

その続編、四半世紀が経過し、再訪問の調査研究。
聖地再訪「生駒の神々」2012年発行

再訪の発行からは12年が経って、十二支がひと回りし、
今年は2024年の辰年、龍を巡って生駒山を歩こうと思う。


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