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|低山ハイク|生駒の神仏「興法寺」「神感寺」*辻子谷コース〜なるかわ谷コース

2024年1月27日 
近鉄「石切」駅、10時前着。
西側を望む、左の方にあべのハルカスも見える。

北へ歩き、くさかコース入り口に、
倒木通行止め、本気のようだ、残念。
仕方がないので、駅まで戻り、

通行止め情報は「東大阪市」のHPに、ハイキングコース紹介もあった。

コースは「てくてくまっぷ」も参考に

駅を越えて、突き当たり、
右へ下りれば、石切神社。
左へ上って、辻子谷コースへ。

まだここは、住宅地。

道の脇には、四国霊場八十八ヶ所の写しが続く。

南無大師遍照金剛

右へ曲がれば、石切神社の上社

上った道を振り返る。

こちらは、綺麗なお堂にナンテン。

南無大師遍照金剛

途中、製薬会社、漢方薬(ニッキ?)が、うっすら香る。
好きな匂い。
辻子谷水車郷、一休みベンチで上着を脱ぐ。

ここまでは一本道、子育地蔵の左側へ

南無大師遍照金剛

橋を渡って、案内あり

この辺りの、四国霊場八十八ヶ所の写しにお堂はない。
バンダナのよだれ掛け。

南無大師遍照金剛

道はアスファルトから、コンクリートに

役行者が、氷室権現から「聖天」像を授けられ、
その後、弘法大師がこの地に参籠のおり、
今度は九頭龍権現から、その「聖天」像を授かったという。

南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛

そして地道に変わり

石段が続く。

お花が供えている。

南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛

あと少し、

到着、

鷲尾山 興法寺

伝説では、千手寺を開いて神並村(こうなみむら)にあった役行者は、生駒山の東に吉祥を表す雲がたなびくのを見て、氷室滝(ひむろのたき)という滝にちかづいてみると、そこに氷室権現という神があらわれて、「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」いわゆる「聖天(しょうてん)」像を授けられたといいます。さらに時は下って平安初期は弘仁六年(815)、弘法大師空海がこの地に参籠のおり、九頭龍(くずりゅう)権現が出現して、役行者が授けられた聖天像を授けます。そこで弘法大師は、この地に諸堂を建立し、鎮護国家の道場としたと伝えられています。

役行者霊蹟札所会より

興法寺のHPはないようだが、
情報、四国霊場八十八ヶ所の写しの位置も河内西国霊場会のHPに詳しい。

本尊は十一面観音。
さらに、右が菩薩面、左が憤怒面の三面で
そして千手であるという、拝観したい。

本堂、参拝。

護摩堂

聖天堂

いつの季節も、こちらの境内は綺麗にされていて心地良い。

出てしばらく上ると、ぬかた園地に入る。

この辺からは、石畳の道が続く。
次に足を置く場所を探して、目の前の事だけに集中する、
余計な事は考えられずに、
体だけを使っていると、頭がスッキリする。

初期化も交換もできない、この体と頭。
いつまで使えるのか知らないが、
メンテナンスのため、再起動を繰り返す。


冬枯れの世界、乾いた石畳は歩きやすく楽しい。

管理道と交差する。

また上り、

龍王池からの景色、

石畳が続く。

ここで右折して管理道を、あじさい園方向へ。

見晴らしよし

生駒山上へは行かず、生駒縦走路のまま鳴川方面へ

以前このあたりで、クマに会った。

ヒグマでも
ツキノワグマでも無く、
アライグマだが
それは、それでダメな事だと思う。

摂河泉コースとの交差点、
12時前、昼食カップヌードルとバナナ
暖かいだけで、ご馳走。

生駒縦走路、ここから、ぬかた園地を出る

12時半ごろ、只今の気温4℃

ぬかた園地となるかわ園地の間、西を望む。東は暗峠。

府民の森、なるかわ園地に繋がる。

管理事務所から左折、上り

広々

西側が開ける、

東南も

ぼくらの広場
標高524m、1時前。

生駒縦走路に沿って分岐点を、

右折、

 鎌倉時代にはいると、興法寺・慈光寺・神感寺などの山寺が真言宗の道場として栄え、南北朝時代に南朝方の拠点となりました。

東大阪市HPより

先程の興法寺とここ神感寺、南朝方の拠点としてつながっている。

神感寺跡の案内板、その向かいに

現代の神感寺、
広い門から入るが、目の前は駐車場や広い道のみ、
お堂など見当たらない、以前に一度訪れたが記憶が曖昧。
よくわからないので退散する。

来た道なりに進み、
生駒縦走路につながる。

しばらく進む。
鳴川峠の手前で右折、いしだたみの道

管理道に繋がる分岐、
神感寺へ再挑戦。

少し上ると案内板

八代龍王 神感寺

神感寺創建は奈良時代、鎌倉時代の文永年間に全盛期で隆盛を極める。
その後、南北朝の正平年間の南朝方の城塞としての役割を果たし、四條畷の合戦で敗れ消失する。

時代は移り、昭和十年初代岩佐亮教が当地に移りきてより、たびたび夢枕に「神感寺を宜しく頼む」といって出てくる1人の僧がいた。

当時は寺跡が発掘される以前であったので詳しくわからず、ただ霊示で「寺が焼け、僧が三角護摩(降伏護摩)を焚き、その傍らを小僧がうろうろと走りまわる有様を見せられると同時に、護摩を焚いていた僧が振り向き無言のままに[神感寺を頼む]」と託宣を受ける。

昭和26年以前は八代龍王三宝教会であったが、以後「八代龍王 神を感じる寺」と意義づけ、八代龍王神感寺と号す。

八代龍王神感寺HPより

こちら側に門は無いので、さっきの場所が表山門なのか?

案内を過ぎると
だんだんと緊張する空間、

少し思い出す。

御滝場、

八重姫龍神社を過ぎ、

龍神窟、
思い出した。

不思議な空間、後ろから眺める
そして、参拝。

振り返ると、SF的、宇宙空間のよう
宝の球を守る龍神。

上ると

諸天龍神供養宝塔

さらに上る

参拝。

誰にも会わず、
引き返す。

管理道と交わり、イシダタミの道を下る。

遊具?雨よけ避難場所?
新しい時は、もっと、かわいかっただろう。
園地内では、時々見かける。

イシダタミの道となるかわ谷コースの交差点
休憩所、神感寺の案内。

ここからは、なるかわ谷コースを下り

しばらくすれば、町の中を歩き
3時前、近鉄「瓢箪山」着。


九頭龍権現、龍王池、八代龍王、、、
生駒山には古くから龍にまつわる場所がたくさんある。
(八代龍王と八大龍王は、
「代」と「大」の字が違うが、同じなのだろうか?)
そして「府民の森」の園地の中は、管理されて歩きやすい。

聖なる願いと俗なる欲求が、交差する生駒山。
混沌とした謎、不思議は不思議のままに見たい、知りたい。
ありがとうございました。





※生駒山の多様な宗教の施設や状況の資料として、
以下の2冊が詳しくて面白い。

「生駒の神々」1985年発行

生駒が私たちの関心を強く引くのは、そこにさまざまな民族宗教が息づいているからである。大阪をのぞむ西側の急斜面にできたいく条かの渓流の沿って多くの滝行場があり、修験とかかわりの深い多くの寺社がある。そして基層では、山、水、祖霊、魑魅魍魎にまつわるアニミズムが根付いている。

「生駒の神々」
「はじめに」より

その続編、四半世紀が経過し、再訪問の調査研究。
聖地再訪「生駒の神々」2012年発行

果たしてこの時代にあっても、生駒の神々は健在なのだろうか?人々は神々に救いを求め続けているのだろうか?あるいは逆に、神々の山・生駒には黄昏が訪れているのだろうか?それを確かめるため、宗教社会学の会は再び生駒全域の調査に着手することになった。そしてその調査研究の成果が、本書なのである。

聖地再訪「生駒の神々」
「はじめに」より

再訪の発行からは12年が経って、十二支がひと回りし、
今年は2024年の辰年、龍を巡って生駒山を歩こうと思う。


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