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[まちあるき話]世界遺産に続く道。

 阿倍野の近鉄前の陸橋から、あべの筋を南に眺める。左側の近鉄百貨店は改装中、右側は地域の再開発と、今は大きな建物がすっかり無くなり、まっすぐな道の上は見晴らしがよく、広い空が続く。
 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の「熊野三山」に繋がる「熊野街道」は、天満橋の八軒家浜から、ここを通り大阪を縦走している。

 ちんちん電車に沿って歩いて行くと、八軒家浜から距離を示す「熊野かいどう」の石碑があり、阪神高速の高架下には案内板。この案内によると、平安時代中頃から鎌倉時代初めにかけて、王侯貴族から庶民までが熊野に参拝する「熊野詣」が盛んとなり、「蟻の熊野詣」と形容されるほどの人波が続いたという。又、後鳥羽上皇は生涯25度にわたり熊野に参拝し、随行した歌人の記録「熊野御幸記」によると、1201年10月5日、京都をたち、同日「四天王寺」に参詣、翌6日早朝にはこの付近を通過し、「阿倍野王子(阿倍王子神社)」を経て「住吉大社」を参拝、その後歌会を催したという。
 それが809年前、ここでの出来事。その時、ここ上町台地の尾根道から見える空や景色は、どうだったのだろうと考えながら街道を行く。松虫通りが横切る交差点で、あべの筋から分かれ斜めの道へ入る。郵便局を過ぎると、陰陽師安倍清明で、すっかり有名になった「安倍清明神社」。今日も女性が2人、お守りを慎重に選んでいる。

 そしてすぐ南には、「阿倍王子神社」。樹齢約500年の楠の大木が生い茂り、木漏れ日が心地よい。境内には、熊野のお遣いヤタカラスの彫像もある。熊野信仰の衰退ととも中世以降に退転したお宮もある中で、「阿倍野村の氏神」としても信仰された「阿倍王子神社」は、大阪府で唯一旧地に現存する王子社として現在に至るという。王子社とは「熊野街道」沿いに設けられた熊野権現を祭ったたくさんの社・祠のこと。参詣者は道中の無事を祈りながら「熊野詣」を続けたという。

  修行や巡礼としての参詣は、世の中が落ち着くと物見遊山の旅に変わり、やがて下火となったが、今「熊野三山」は世界遺産となり、「熊野詣」はブームとなっている。世の中の発達や衰退は、思いもよらない事に影響を与え、変化を繰り返す。ただ何がどう繋がるのか、良し悪しの結果は、すぐにはわからない。そんな今を、熊野の神さんにはどう見えているのだろうか?

 公園の経塚を過ぎ、再びちんちん電車の線路沿いの広い道路を歩き出す。 熊野に続くこの道の上、世の中がすっかり変わっても、広がる空だけは今も昔も変わらないのだろう。

月刊誌「大阪人」/2010年9月号掲載
福島みて歩き
イラストレーション&文⚫︎中田弘司

発行:大阪都市工学情報センター

2010年に書いた文章です。
当時はまだ、あべのハルカスの工事が始まったばかりで開業していませんでした。その頃と比べると、西側も再開発ではすっかり今は別の空間になっています。

阿倍王子神社

熊野信仰がおこった当時、途中の街道に熊野九十九王子と呼ばれた沢山の王子社が出来ました。ここは四天王寺と住吉大社との丁度中間に存在し、大阪府下では唯一の旧地現存の王子社として現在に至っているという。


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