見出し画像

ヘーラルト・トホーフトという天才 -時空の物理学へ-

前回、ヘーラルト・トホーフトの主な業績について触れました。

ようは、
4つの力のうち、「重力」以外の力を説明する理論群(素粒子の標準模型)のボトルネックであった繰り込み計算を解決した、
という話です。

これだけで素晴らしすぎる偉業なのですが、実はその後にも、新たな業績をもたらします。

素粒子物理の研究が落ち着いた1970年代になると、彼の関心は「重力」に向かいます。

実は1974年のとある出来事がきっかけで、車椅子の天才スティーブン・ホーキングによる下記の仮説です。

「ブラックホールに吸い込まれた情報は消失する」(ホーキングの情報パラドックスとも呼ばれます

補足すると、ホーキングは一般相対性理論に量子効果を持ち込み「ブラックホールの熱放射」を予言しました。(厳密にはベッケンスタインが考案して反論しようと思ったら正しいことに気づいて定式化)

この熱放射の温度が質量だけに依存するため、ブラックホールに例えば本を投げ入れてもそこに書かれた内容を読むことは出来ない、ということです。

この仮説が看過出来ないのは、これを受け入れてしまうと、量子力学の原理が壊れてしまうことにあります。

元々量子力学の研究が中心だったトホーフト氏は、否定の立場をとります。

たとえ相手があのホーキング氏であっても、彼の信念に基づく科学的抵抗は揺るぎませんでした。

そしてトホーフト氏が考案したアイデアというのが、「重力のホログラフィー原理」と呼ばれるものです。

ざっくりいうと、「3次元空間の情報は2次元情報の中に詰まっている」、という魔法のような考え方です。

元々のきっかけは、別の研究者によるブラックホールの研究結果でした。
それによると、ブラックホールのエントロピー(乱雑さの度合い)はその表面積に比例する、というものです。

さらに、当時盛り上がっていた「超ひも理論」の分野で、ジョセフ・ポルチンスキーが編み出した「膜にへばりついたひも」理論(Dブレーンと呼称)もそのアイデアを具現化します。

当時、「超ひも理論」はひも(1次元)でなく2次元の膜(ブレーン)を単位とすると都合がいいことが知られていました。(重力方程式と折り合いがつくぐらいのイメージで流します)
ただ、その膜の性質を説明するのが難しかったのですが、ポルチンスキーによるこの発想で解決します。

ブラックホールに話を戻すと、元々ホーキング氏は熱放射することを予言したのですが、その構造は不明でした。

日常生活でも熱は感じますが、ミクロでみれば分子の運動エネルギーが集まったものと見れます。

実はこのブラックホールの熱起源に相当するものが、事象の地平線にへばりついたひもの端点の挙動に相当する(上記で言う分子の運動)ことが説明出来たわけです。

このような理論的後ろ盾を得て、トホーフト氏のアイデアが豊かになっていき、さらにそれを数学的に体系化したのがファン・マルダセナの「ホログラフィー原理」です。
これによって、例えば重力を含む式が次元を変えると消えて量子の世界で記述することが出来ます。(逆の取り扱いも有効)

上記で端折った流れは、下記の投稿でも触れています。

ついにホーキング氏も、2004年に自身が誤っていたことを宣言します。

ブラックホールに焦点を合わせたこの一連の物語は、トホーフト氏と同じ論陣を張ったサスキンド氏が下記の書籍で解説しています。

そして、この科学論争は結果として、マルダセナ氏の「ホログラフィー原理」に結実し、時空の概念の在り方を変える新しい世界像へと連なっていきます。

例えば、下記の発表はホログラフィー原理をベースに、量子もつれが時空を形成しているのではないか?という日本の研究者の発表です。

ちなみに、元々はトホーフト氏の発想から繋がった新しい時空の物理学ですが、彼自身はホログラフィー原理を理論化した超ひも理論の強い信仰者ではありません。(むしろ超ひも理論を当初否定していたほどです)

もっといえば、前回に触れた素粒子の標準模型ですら、自身の貢献にも関わらず、これが万物の理論とは信じていません。(普通は自分の功績をどうしても贔屓してしまいそうですが・・・)

彼はいい意味で常に批判的であり、人生においてもどんなに傍流であってもそのスタンスを変えませんでした。

最後に、こちらの公開インタビューでの最後のセリフを引用して締めにしておきます。

<科学者をめざす若い人たちへのアドバイスは?>
(前略)
「もう一つのアドバイスは、極めて批判的であれということです。特に、自分自身の結果に批判的でなければいけません。それまでに見出したこと、あるいは理解したことに満足してはいけません。(後略)」

出所:https://www.ipmu.jp/sites/default/files/webfm/pdfs/news30/J_Interview.pdf

「批判」という言葉が、日本語として良い響きではないかもしれませんが、言い方を変えると「探求心」であり、それこそがトホーフト氏、そして人間の原動力なのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?