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ファインマンの人生と科学1

前回、AIと物理学の統合について紹介しました。

その中で最後にあげたファインマンについて、せっかくの機会なので波乱の人生について触れてみたいと思います。

以下は人生の略歴です。(主にWikiを参照)

幼いころから機械いじりや謎解きが好きで、MIT大学を経てプリンストン大学院でジョン・ホイーラーに師事します。

ちょっと前に「ワームホール」「ブラックホール」の名付け親としても紹介したことがあります。

ホイーラーは、有名となった科学者を数多く輩出したことでもしられており、代表格がファインマンです。

当時大学院生のファインマンに、「電気力学の量子化」という難しい研究テーマを与えます。
例えば、電子は電荷を帯びているため他の電子に作用しますが、自分自身にはどのような作用をするのか?とかそういった類です。

研究がある程度進むと、ホイーラー氏はこのテーマでゼミを開くようファインマンに進言します。(自分自身も当初講師をやる予定でしたが結局やらずじまい)

集まった聴講者ですが、当時既にファインマンの仕事は若くして話題性があったようで、とんでもない面々が集まりました。

当時22歳のファインマンデビュー戦となります。アインシュタインを筆頭に当時の物理学会のスーパースターと言っても過言ではありません。

さすがのファインマンも当初手が震えましたが、講義が始まると物理に集中して何とかこなします。

本人の回想では、パウリが露骨に反論したのをアインシュタインは同調せず認めてくれたそうです。(但し自身の興味のある重力には適用が難しい、とも添え、後年その通りとなります)

ただ、このエピソードに代表されるように、若くしてその才能は高く評価され、とある国家プロジェクトに白羽の矢が当たります。(ただし、当時の研究は断念せざるを得ませんでしたが、これは当時の第一線の科学者共通のことです)

原爆を製造する「マンハッタン計画」です。

この時にも、量子力学の創始者ニールス・ボーア、コンピュータの父ジョン・フォン・ノイマン、原子核物理の権威エンリコ・フェルミなど錚々たる科学者たちと一緒に仕事をします。

特にボーアは、既に権威となって誰も彼の意見に反論出来ない空気だったのを本人は気に入らず、誰にもこびずに辛辣なダメ出しをするファインマンのことを大層気に入りました。(反論の決まり文句が「どうかしてるんじゃないかい?」だったそう)

戦争と共にマンハッタン計画が終わり、ファインマンは当時の研究テーマに立ち返り、量子力学を使った電磁気学の完成を目指します。
実はそれには戦争も少し関連しています。

戦争で開発が進んだレーザーの原理を使って、水素スペクトルをより精緻に分析することが可能となり、従来の理論では説明つかないエネルギー挙動が見つかります。

大体1947年にウィリス・ラムが発見したので、ラムシフトと呼ばれます。

従来の理論というのが、ディラックが考えた電子論で、ファインマンはこれに触発されて新しいアイデアを提示します。

超ざっくりいうと、すべての経路を確率も織り込んで足し合わせる大胆なアイデアです。(当初ボーアは経路と聞いて自身の量子論への反論と勘違いして激怒したそう)

今では、「経路積分」と呼ばれそれを視覚的に表現する「ファインダイアグラム」は今でも素粒子物理学を中心に使われます。

そしてファインマンふくむ3名(シュウィンガー、朝永振一郎)が異なる方法で同じ結果を生む研究を進めて、量子電磁力学といわれる分野への貢献で、1965年にノーベル物理学賞が贈られます。

次回はノーベル物理学賞の受賞でさらに人気者となって八面六臂の活躍を紹介していきたいと思います。

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