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[ その⑦]「ぼくが出せなかった7通の手紙」~胃がんに罹ったペシェへの手紙~ 6 再発といわれたあなたへ

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             *

6 再発といわれたあなたへ

 いつまでも、平和な日々が続くと信じていた。

ペシェが、いつもの定期検査の結果を聞きにいくと、主治医は、2年前に手術した胃がんが再発していると告げた。
「再発?新たにできたわけではなく?」
「正確にいえば、2年前にもうそこに既にあったという意味で、再発とはいえないかもしれません。2年前に、CTで検出できない、目でもわからない大きさのがん細胞が既にそこにあった。それが目に見えるまで大きくなった。
それが再発という正確な意味です」
「場所は?」
「大動脈周囲のリンパ節です」
「リンパ節?」
「胃から発生したがんが、転移するとき、その経路に3つあります。血管を通って肝臓とか肺に転移する血行性転移。それから、リンパ管をとおって、胃の近くから遠くのリンパ節に転移するリンパ節転移。もうひとつは、胃がんが胃の壁をつきやぶって、胃の外、でもお腹の中に転移する腹膜播種。
今回のケースはその2番目です」
「リンパ節といったら、首とか、足の付け根にあるものだとおもっていたけど」
「リンパ管、とそれの交点であるリンパ節は全身にあります。一般にリンパ管は、血管をとりまくように網の目のように全身にあるので、絵で書きにくいんです。血管のあるところには、その周りをリンパ管が取り巻いていると考えてよい。
首のリンパ節は、鎖骨下動脈や頚動脈をとりまいているものだし、足の付け根のリンパ節は大腿動脈をとりまくものです。
今回は、腹部の大動脈をとりまいているリンパ管、リンパ節への転移です」
「で、手術でなおります?」
「治療法は抗がん剤です。TSー1の内服か、それにシスプラチンの静脈注射を併用するか。
ハーセプチンという抗がん剤は、今回の胃がんの標本の組織染色にHER2受容体が検出されていないので無効です。もうすぐ、オプジーボという皮膚の悪性黒色腫や肺がんでの使用が認められた抗がん剤が胃がんに使えるという噂がありますが、現在、厚労省で検討中のようです。既に全国的に締め切られた臨床試験の結果の一部をぼくは学会でみたのですが、今まででの抗がん剤をこえる力はないようです。残念ながら、今は、他に胃がんに対する抗がん剤の臨床試験を当院ではやっていませんから、胃がん治療ガイドラインに沿った、この標準治療をお勧めします」
主治医は、抗がん剤の副作用をかいつまんで説明した。
それは、ペシェが、本を読んでだいたい知っていること以上ではなかった。
「で、なおります?ぼくの寿命はどれくらいです?」
「それは、治療してみないとわかりません。今度の外来までに、抗がん剤治療を受けるか受けないか、受けるとすればどちらの治療法にするか決めてきてください」
(決めてきてくれといっても、これだけの情報でどうやって決めるというんだろう?)
ペシェは、主治医は決して悪い医師とは思っていなかった。
でも、なおるか?
寿命はどのくらいか?
という自分の問いに対する答えになっていないとペシェは感じていた。
ペシェは、再発したときの「5年生存率」がどのくらいかということは、本を読んで統計的な数字はわかっていた。
でも、欲しかったのは、そういう統計的な数字や、医学的知識や、どれが頭でどれが尾っぽかわからないような、断片的な正確な知識ではなかった。
すべてを説明して欲しかった。
再発といわれても、自分では自分の体の変調の自覚がなく、ただ知識としてそれが与えられただけなのが、逆に口惜しかった。
自分ひとりが、主治医が自分に対しておこなった「世紀末の予言」によって、実際はなんともないのに、ふりまわされているみたいだった。
 再発したという宣告は、ペシェの心を不安におとしいれた。
 こんなとき、何か理屈を行って、理性によって彼を説得するという方法は、得策ではないとぼくは思った。
 そこで、ぼくは、今日都内で、非正規労働者によるデモ行進があるから一緒にそれに参加しようと彼を誘った。
家で、じっとしていて、ものを考えていたら、彼はただ、ますます落ち込むだけのような気がしたからだ。

 自由と生存のメーデー20XX。
 非正規労働者によるユニオンがよびかけておこなわれたこの集会は、都内で数百人の人を集めたデモ行進となった。
フリーターだけでなく、派遣社員、正社員。ゲストハウスやネットカフェ居住者や、ホームレス、賃貸に住んでいるもの。
 生活の背景は、個々で異なるもの、訴えは同じだった。
「税金は金持ちからとれ!税金は企業からたんまりとれ!」
「非正規雇用にも社会保障をよこせ!貧困はわれわれのせいじゃない!」
「生きさせろ!生きるだけの金をとるな!」
ぼくらが、デモ行進に加わる前から、遠くからも、騒然とした人の声やスピーカーからの大声、救急車やパトカーの音が聞こえた。
上空をヘリコプターが通過した。
 しばらくすると、何百人もの人垣がみえた。
その中から、何本ものプラカードやのぼりがつきだしている。歩いている途中、そちらからやってきた何人かがすれちがいざまに早口でなにやらまくしたてたが、すでにかなり大きくなってきている周囲の音にかき消されて聞こえなかった。
 人垣に入り込み、その前にでるとぼくらは目を疑った。
車が数台ひっくり返って炎上し、車展示場の大きなショーウインドウが粉々に割れている。目の前を消防隊やテレビカメラマンも含めて、何人もの人が走りぬけていく。
ぼくらは呆然としながらも、野次馬根性にまけて一緒に走りはじめた。
 デモ行進は若者が中心で、レゲエやジャズの音楽をスピーカーから流しながら、なにやら大きな声を一斉にはりあげていた。
ぼくは、日本でこんな多くの若者がデモ行進するのを見たことがなかった。
体の奥から何か熱いものがわき上がってくるのを感じた。
おそらくペシェにとってもはじめての体験だろう。
この感覚は、集団催眠のような危険なものなのだろうか?
それとも今までぼくらにとって無縁だった、抑圧された感覚の発見なのだろう
か?

 気がつくと、ペシェもぼくも両腕を警官二人につかまれていた。
人ごみの外に連れられて行き、身分証明書の提示を求められた。
自分でも、乱闘にまきこまれたのか、自らの意志で乱闘に加わったのか記憶がない。
だが、警官はぼくの名刺をみて、ぼくとペシェを開放してくれた。
危険なところには近づかないように、いつも運よく救出されるとは限らないから、と。
 デモ行進の人並みをはずれると、ぼくらは開いている遠くの地下鉄駅をめざして歩きはじめたが、駅についてもすぐに家に戻る気にはなれず、近くのカフェに入った。
コーヒーは、興奮を序々に冷ましてくれる気つけ薬のようだった。

ぼくは、ペシェと別れたあと、またひそかにペシェにあてて手紙を書きはじめた。

      *     *     *

前略 ペシェこと太田誠二様

 今回の手紙では、胃がんに対する抗がん剤の実力、についてのほかに、臨床試験についての話題にふれます。
 個人のことで、せいいっぱい?
再発=死、という公式からはどうせのがれられない、ですって?
 でも、少し聞いてください。

 1 抗癌剤

 ここでの抗がん剤の話は、胃がんに対する抗がん剤の話が中心ということをまずおさえて聞いてほしい。他の臓器由来のがんでは、話が違うということを、断っておきます。

抗癌剤は副作用がおこる可能性もあり、効果としてはほとんどが延命効果しかない。
しかしほんの一握りの人は完治することもあるという。
最後の奇跡。
『奇跡』はおこらないというのが本来の意味だ。
 
 抗癌剤は副作用がおこる可能性もあるが、効果として延命効果がある。
ほんの一握りの人は完治することさえもある。
最後の奇跡。
『奇跡』は指をくわえているだけではおこらない。

 実際問題として、新しい抗がん剤が今までのものより効果ありとされるのは、ある一定以上の人数に投与後、追跡調査で、予後が3ヶ月以上のびることです。

 まず、あらかじめ、おさえておかなければいけないことは、この予後Xヶ月というのは、あなたの予後がXヶ月ということではなく、統計的にXヶ月後に、10人中5人のかたがなくなっているということ、を意味します。
 つまり、予後6ヶ月、というとき、あなたのような状態の方10人をあつめると、6ヵ月後には5人くらいいきのびている(あるいは、死んでいる、と同じ意味です)ということです。
つまり、10人のうち、なくなった5人は、6ヶ月になる前になくなっている(6ヶ月前になくなる場合がある)し、のこり5人のなかには、1年、2年と生きながらえる人もいるということです。
 この程度のあいまいなことしか統計からはでてきません。
 でも、世の中のほとんどのみなさんは、「正直、あとどのくらいですか?」と聞き、平均寿命は6ヶ月といえば、「あと6ヶ月といわれた」とふれまわる。
それよりはやくなくなれば、「医者はうそをついた」。
ずっと6ヶ月をすぎて生き続ければ、「医者は不思議がっている。医療ではこえられない奇跡の力がはたらいているにちがいない」。
 そして、統計のはなしをすれば「話がむずかしすぎてわからん。もっとわかりやすくはなしてほしい」。
 そして、ぼくは途方にくれる・・・のは無理もないとおもいませんか?

話をもどしましょう。
この「抗がん剤の投与で予後が3カ月のびる」の「3ヶ月」という数字をみなさんが、短いととらえるか長いととらえるか。
たった、3ヶ月?
そればかりの効果で新薬として認められるというのはおこがましいと考えられる方もみえるかもしれません。
しかし、長年の困難な経験をふまえれば、これだけでも新薬にふさわしい効果といわざるをえないのです。
なぜか?

(1)ひとつには、3ヶ月というのは統計的な数字であること。つまり、ある抗がん剤で実際に効果がある人は、全体の20~40%で(奏効率といいます)、効果の見られなかった人も加えての数字が3ヶ月です。効果のある人に対しては、延命効果は3ヶ月以上あります。

(2)もうひとつには、残念ながら、予後を何年も飛躍的にのばす薬剤を開発することは現在の医学では難しいことだという現実をうけいれてもらわないといけない。
 ガン治療はしばしば、ギリシア神話の英雄ヘラクレス(女ぐせの悪い最高神ゼウスが浮気してうまれた不義の子のひとりで、ゼウス譲りの力をもちあわせている)のヒドラ退治にたとえられます。
ヒドラは9頭の蛇の頭(1頭の主頭と8頭の副頭)をもち不死の怪物といわれていました。ヘラクレスはヒドラを多角的な方法で倒しました。まず殺すことが可能な8つの副頭をきりおとし、新しい頭がはえてこない間に切り口を火で焼き焦がした後、不死の主頭を岩の下に葬り、二度と復活させないようにしたといいます。
このたとえを使えば、ヒドラが幼獣のうちは、9つの頭を一気にきりおとし倒すことは可能です(早期発見、早期切除)が、ヒドラが一旦、成獣(切除不能がん、再発がん)になると多角的な戦略が必要になります。
残念ながら、現段階の医療レベルでは、この成獣を完全に打ち負かして完治させる確実な方法は確立されていません。
比喩は難しい?
ようするに、「胃がん細胞」と同じ言葉でくくられる細胞は、実は多種多様の性質をもった細胞の集まりで、ヒドラ退治のような多角的な方法でアプローチすることが必要で困難だという比喩です。
サイボーグのような、同じ顔、性質をもったもの(モノクローン)の集合体ではありません。
「人間」といっても、さまざまな人種や、あい異なる個性をもったものの集合体だ、ということと同じことです。
実際、ある抗がん剤を投与しても、60ー80%くらいの人には効果がみられません。
その場合は、その抗がん剤の投与は中止します。
もうこれで治療をおえるのも一案。
今度は、違う攻撃法(作用点)をもった、別の抗がん剤をつかってみるというのも一案。
最初の抗がん剤で死ぬ細胞はもう死んでいます。
残って増殖しているのは、最初の抗がん剤で死なない「細胞種」です。
別の抗がん剤が効くかもしれないし、効かないかもしれない。
すべての種類の「胃がん細胞」を一網打尽にする抗がん剤はまだないのです。
 しかし、まだ、人類はあきらめてはいません。
今は、予後が3ヶ月以上のばすことしかできないとしても、少しずつそういう薬剤の開発をつみあげていくことが重要なのでしょう。
その努力のつみあげ以外に、画期的な新薬の開発はありえません。

(3)最後に、あなたの周囲の方の中には、あなたに、3ヶ月でも、たとえ1ヶ月でも長生きしてほしいと願っておられる方がおみえになります。
 
 もちろん、抗がん剤の投与を拒否する選択もあります。
今は、そういう選択がない、という時代ではありません。
あなたが、そう思っているのなら、あなたが、自分で勝手にそう思い込んでいるだけです。
今の時代、強制的に抗がん剤を投与することはありえません。

 2 臨床試験

臨床試験。
一般病院ではやってない、がん専門病院の特別な特権。
いいかえれば、人体実験。
今の自分の利益にはならない可能性の方が高い。

 臨床試験。
一般病院ではやってない、がん専門病院の特別な特権。
自分の利益にはならない可能性もあるが、将来、同じ病にかかる、見知らぬ誰かのためにはなるだろう。

 臨床試験。
これは、新しい抗がん剤(既にある抗がん剤のくみあわせ方法や、投与間隔や投与量の変更なども含む)の問題点から、あなたを守ります。
そして、実は、投与するわれわれ医療者側をも守っている試験です。

少し、あなたの目の前の問題からそれるのですが、日本は、世界の中で、胃がんに対する新規抗がん剤の開発につて、大きな責任があるということをはなさせてください。

 外国の病院にいる日本人には、外国に住んでいる日本人とは別に、まだ日本でおこなってない治療を外国に求めているひとたちがいます。
それは移植医療を受けることだったり、抗がん剤を求めたりだったり。
中には、お金があって楽しい生活だから、長生きを望むのでしょうか?と言いたくなるようなケースもあります。

まず、胃がんでなく、大腸がんについて、少し例をあげましょう。
2004年3月に、大腸がんにたいする新規の抗がん剤が二つ、ほぼ同時にアメリカで認可され、再発した大腸がんの5年生存率が約6カ月から約3年間へと、飛躍的に伸びました(とはいえ、あげ足をとるようですが、再発した大腸がんは、それでも完全にはなおらないということです。このことは、よくマスコミで話題になる、再発した乳がんについても同じことです)。
Avastin、そしてもうひとつはErbitux。
しかもこの二つは「抗体薬」という今までにない画期的な作用で効果を狙った薬です。
当時は、Oxaloplatinというアメリカでつかわれる大腸がんに対する抗がん剤でさえまだ日本では手にはいりませんでした。かなり前から、Oxaloplatinを求めてアメリカの病院にいく人がかなりいたのです。
さらに、この二つの新薬は、日本の「お金持ち」たちのアメリカへの薬さがしにさらに拍車をかけました。
そして、ようやくOxaloplatinnは2005年4月から、日本でようやく使用が許可されたのです。
欧米におくれること約7、8年。
そして2007年にはAvastin,2008年にはErbituxが日本で
認可されました。これは、アメリカにおくれること、わずかに?3、4年。
その後、日本未認可で欧米認可の大腸癌に対する抗がん剤が認可されましたが、これらは、遅れること約1、2年ですんでいます。
これでようやく、日本で未承認の薬剤を求めてアメリカの病院をうろつく日本人が減ることでしょう。
しかし、ここで忘れてはならないことがあります。
新しいものであれば、いいものだ、というわけではない、ということです。
Oxaloplatinにしても、AvastinやErubituxにしても、他の薬剤と併用して、大腸がんにたいして平均の生存期間はやっと2、3年。
いまだ夢の薬とはいえないのです。
これらの薬剤をつかっても、それで治る大腸がん患者は、やはりひとにぎりにすきないのですから。

それでも大腸がんに対するこれらの抗がん剤は、胃がんにたいする抗がん剤よりは、まだよく効くほうです。
胃がんに対する抗がん剤は、20年前、TSー1という薬が日本ででてからその後途絶えているというのが現実です。もちろん、シスプラチン、イリノテカン、タキソール、ハーセプチン、オプジーボなど、名前としては胃がんに対する抗がん剤は存在しますが、その効果は、TSー1は超えない。TSー1と併用して、統計学的にようやくわずかに検出することのできる、TSー1単剤を上回る有効性が得られるだけ。
大腸がんに対する抗がん剤と比較すれば、開発が停滞していると言わざるをえない状況が続いています。

胃がんの抗がん剤の開発が遅いひとつの理由は、胃がんに対する抗がん剤は、たよりのアメリカで新薬が開発されないからです。
(日本のバイオ研究の水準は欧米より10年おくれているので、新薬が開発できるのは実際のところ欧米だのみといってよい)
白人は胃がんになりにくい。
アメリカのアジア、イスパニア、黒人系(これらの人種は、アメリカでは、白人と比較して、より貧しい人が多いです)には日本人と同じくらいの頻度で胃がんは発生するのですが、白人中心主義のアメリカでは彼等のために胃がんの抗がん剤を開発する気はさらさらないのです。

是非は、ともかく。
外国へいっても、新規の胃がんに対する抗がん剤はない、ということはいままでの話でおわかりになったでしょう。
欧米にはたよれません。
日本以外、胃がんに対する抗がん剤を開発する国はないのです(韓国、中国はそうかもしれませんが)。
そして、日本での臨床試験こそが、世界の胃がん患者に対する重要なデータとなるのです。
日本は、その責任をはたせるでしょうか?
日本の基礎研究者、臨床医は、そのことをわかっているでしょうか?

   *     *     *

この手紙をぼくが書き始めたころから、ペシェはTSー1の内服をはじめた。
2週間、朝夕2回の食後にTSー1をのみ、その後1週間休薬。
これをくりかえす。
外来には3週間ごとに、TSー1をとりにいく。
そういうペースだった。
最初、ペシェに吐き気がでたが、TSー1の量を減らす(減量)してもらったあとは、軽い食欲不振だけで薬をのみ続けられるようなかんじだった。
しかし、ようやく服用になれてきた4ヵ月後。
主治医は、TSー1の効果がなくなってきて、一時、小さくなった大動脈周囲リンパ節への転移巣が、再び大きくなったとペシェに告げた。
「次は、TaxolかCPTー11を週1回の外来点滴でためしてみましょうか?」
そういう主治医の勧めをペシェは断った。
説明を聞いた、Taxolの脱毛の副作用やCPTー11の下痢の副作用におそれをなしたというわけではなかった。
ただそれだけの我慢と費用に見合う治療効果がその二つの抗がん剤にあるとは思えなかったのだという。
ペシェが投与を望んだのは、自分自身と片桐が商品としての開発途中の抗がん剤を自分に使うことだった。
これには片桐も、そしてぼくも猛反対だった。
「インフォームド・コンセントは、治療が失敗しても医療者のせいでないと患者にいってきかせること。
臨床試験は、できるかぎり危険を減らした人体実験。
自費診療は、実際の治療効果よりも精神的安定を与えることが目的。
 いずれも皮肉な言い方で、偏ったキャッチフレーズだ。
とはいえ、ぼくも、今の医療状況については、手放しでいいとは思っていない。
 でも、今病院にある抗がん剤のほうが、まだ開発途中のわれわれの薬よりずっといい。
 なにしろ、まだ試験管と培養がん細胞での実験がすんだばかりで、動物実験での安全性や効果がでていない。そして、動物実験と人に対する効果の違いは、細胞実験と動物実験での効果の違いより、大きく深い。
 前も説明したことなかったっけ?
ペシェの考えていることは危険すぎる」
 そういう片桐にペシェは、答えた。
「自分で作った薬の実験を自分の体でおこなうことこそ、英雄的でやりがいのあることはないだろう?」
「しかし」
「やらせてくれよ。どうせ長くない命だ。それだったら、この命が、ぼくらの商品開発に少しでも役立つのが本望だ」
ぼくは、二人の会話に割ってはいり、ペシェに言った。
「それじゃあ、最悪のことも想定しとけよ」
「最悪のこと?」
「あと数ヶ月で自分の命がなくなると仮定して、それの準備もするんだ」
ペシェは主治医に、まだそこまでのことはいわれてなかったはずだ。
数ヶ月で自分の命がなくなると仮定する。
それは、ペシェの想定を超えた短い期間だった。

そして、ペシェはその治療を断念した。
断念した一番の理由は、認可されていない抗がん剤を使うことは、それを提供した会社(片桐が社長を務め、ペシェが働いている会社)が、薬事法違反の犯罪行為をおこなったとして罪に問われる可能性があるからだった。そして、それを投与した医師も。
もちろん、今のペシェの主治医は、そのような「あやしげ」な薬をペシェに投与して、自分が罪に問われる可能性があることにもともと同意しなかっただろうが。
ペシェは、他人に迷惑をかけても、自分の思いをとげようとする人間ではなかったのだ。
ただ、誰にも言わず、ペシェがこっそりと会社の実験室からその薬を盗み出して服用していたとしたら・・・。それは、誰も知りえないことだ。

 ペシェは「養子免疫療法」についてもぼくに聞いてきた。
「残念ながら、それは現時点では効果がない方法だ。効果があったという症例報告は、まれな『がんの自然消退』だったという評判がもっぱらだ」
「自然消退?」
「要するに、養子免疫療法をやってもやらなくても結局なおっていたケースを、養子免疫療法でなおったといっているだけだ」
「『養子免疫療法』って、そんなインチキなの?」
「今は残念ながらインチキといわざるを得ない。単なるあくどい金もうけの手段だ。自費診療という隠れ蓑をもった。しかし、ぼくも未来の治療法ということは認めている。
 ぼくが年をとって、アイデアがかれてきたせいもあるかもしれないが・・・がん細胞を抗がん剤で殺すアイデアはもう出尽くした気がする。細かいアイデアは次々と実現しているが、新たに大きな展開をしめすアイデアではない。
そして、その枠組みの中で今までの新薬といわれているものの効果をみるかぎり、今後、
新しい抗がん剤で、飛躍的に治療効果がのびるとは考えにくい。
そういう意味で、つまり過去に実績を一度もだしたことのないという理由で、養子免疫療法に期待したいという気持ちはある。
あとは二つくらい、ぼくがアイデアだけ妄想しているアプローチがある。個人的に思っているだけで、研究の現場では、注目されていないがね」
「是非聞かせてほしいな。うちの会社でやっている、抗がん剤開発のヒントになるかもしれない」
「はずかしいなあ。ただの妄想だよ」
「かまわないさ。アイデアとはそういうものさ」
「ひとつは、『がんに対する自然抗体がある』という考えだ。自然抗体というのは、血液型抗体のように、感染というイベントなしに、生まれながらあらかじめ持っている抗体のことだ。そのような抗体を人の中にみつけて、それを抗体医薬品として精製する」
「問題は、そういうものが実際、人の体の中の抗体にあるか?だね」
「そうなんだ。この考えは、けっこう昔からあるんだけど、まだ、そのような『自然抗体』がありそうだ、という暗示でとまっているというのが現状だ」
「なるほど。そして、もうひとつは?」
「ここ10年間で、胃がんや大腸がんのような消化器がんに対して抗がん剤の画期的な進歩はない。しかし、なかには近年、抗がん剤が画期的な効果をもたらしたがん種もある。
 たとえば、グリベックが、CML(慢性骨髄性白血病)、GISTという病気にもたらしたものだ。
『なおすことのできる抗がん剤』がようやくでたというかんじだ。
 もともと、前立腺がんや、精巣がんは治療効果が高い方法があったが、さらにそれはこの10年で進歩した。一部の骨腫瘍も、昔は不治の病としてよく映画化されたものが、今やなおりうる病となりつつある。
 あといくつかの小児のがんに対する抗がん剤。
 これらに共通するものは何か?
 それは、これら画期的治療法ができてきたがん細胞は、ほとんどが『モノクローナル』、つまり同じ顔つき・性質をもっているということだ。同じ性質をもつがん細胞ならば、ひとつ急所をせめればすべてが倒れる。治療法もできやすい。
しかし、大きな治療法の進歩のなかった、胃がん・大腸がんなどの細胞は『ヘテロ』だ。同じ起源でも、顔つき・性質が違う。
人類みたいにね。
もし、『モノクローナル』なものが『ヘテロ』になるメカニズムがわかれば。
あるいは『ヘテロ』のものを、何かの力で『モノクローナル』にかえる方法がわかれば。
将来、抗がん剤に画期的なものができるかもしれない。
残念ながらペシェの治療にはまにあわないがね。
この二つのアイデアが、ぼくの予言だ。
だれか未来の科学者が、昔ぼくがそう言っていたことを知ってヒントにしてくれればいいが」
「いや、まだぼくは、自分が『がんからの帰還者』となる希望はすててないよ」
「そうか。でも、その『がんからの帰還者』の話には大きな隠された秘密がある。帰還したものは、精巣がんとか前立腺がんとか・・・モノクローナルな性質をもったがんで、いい抗がん剤のある、全体からみれば特殊なケースなんだ。
 あの話を、すべてのがん患者のための希望の話とするのは、ぼくには抵抗がある。
現実を直視しない態度につながるんじゃないか、って。
 残念ながら、消化器がんで再発して『帰還』できた人はいない。
 たとえばそれは、マッキントッシュやiPodを開発した、アメリカのアップル社のCEOのスティーブ・ジョブスだろうが同じことだ。
 そういう意味で神様は人間を平等につくったともいえる」
 
 話しながら、ぼくは、自分の話がペシェを力づけているのか、逆に落ち込ませているのか自信がなくなっていた。

 同じ理由で、やはりこの6通目のペシェの手紙も、ぼくは彼に手渡さないままになってしまった。

                    

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