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R5BY齋香荒(サケル)と齋香(サケ)

◎天穏 齋香荒(サケル) 佐香錦50% 生酛 酵母無添加 酒度-8 酸8.0 ALC16%


天穏ソバージュ(野生の天穏) 齋香荒(サケル)

2月のお知らせで、生酛のもろみ(齋香)において乳酸菌が増える事態となったことを正直にお伝えしました。通常の生酛の場合、酒母段階でアルコール度数が上がるにつれて乳酸菌が溶けていなくなり、その後のもろみで乳酸菌が増えることはありません。今回の齋香では酒母段階で通常の乳酸菌とアルコール耐性のある乳酸菌が同時に増え、酵母発酵後も生き残ってもろみまで進んだことが予想されます。

そのためにこの齋香のもろみでは酵母発酵と乳酸菌発酵が同時に行われて酒になったということで、日本酒としてはとても酸度の高い酒となりました。協会酵母、野生酵母、乳酸菌のトリプル発酵で、このタイプのお酒は舞美人さんや久米桜さんなどでもお見かけしている方も多いと思います。当然、はじめから意図した造ったものではありません。本当の自然醸造をしているからこそ出てくるもろみで、無添加をしている限り現れる可能性はあるもので防ぐことができませんでした。

味わいは齋香だと思うと全く違うお酒です。しかしながらこのお酒は、酸が高くても非常にクリアで奥深い味わいをしていて驚きます。齋香ではないけど清らかな齋香の基礎があるのか、この手の酒で出てくる乳酸菌のオフフレーバーや糠の香りが感じられず、ほとんど白ワイン(白ワインの酸度は8から9なので白ワインの酸の強さと同等)の味わいで、乳酸発酵が絡むナチュールワインとそっくりです。

もともと齋香になる予定だったため、3日麹や汲水はかなり繊細な造りをしていましたので、マスカット系の香りもあり、ワインのような酸と相まって悔しいけどクリアで軽くとても美味しい酒です。日本酒のバイアスを外せばこのクラスの酒はなかなか無いようにも思えます。飲めば分かっていただけるはず。とはいえ日本酒という前提をもって飲むと酸っぱい酒なので、お客様には説明が必要かと思います。ご理解いただけて楽しんでもらえそうなお客さんをお持ちでしたら、ぜひお願いしたいです。

◎齋香は繋げる酒、齋香荒は避ける酒

大避神社

製品名は齋香が荒れたので齋香荒(サケル)です。ここからはほとんど知られていないお酒のお話です。いままで齋香を通して人と神と御神酒の関係性をお伝えしてきました。現実世界の人と空想上の神(自然+祖先)は決して交わらない存在ですが、神から人への作物と水と土の贈与、人から神への御神酒の贈与という人間の頭の中の想像によってそのあいだに関係性を造り、人と神、人と人を繋げて巨大な群れをつくり日本は発展してきました。

人と神を繋げると大きな利益を生みますが、一方で神に近づきすぎると大きな災害も与えられます。畏れ敬うという言葉から伝わるように、昔の人は人と神を繋げる縁起儀礼と、人と神を引き裂く縁切り儀礼を使い分けていました。神社や鏡を境に人と神の住処を分けたり、お祭りには期限があったり、ハレやケ、ケガレという言葉があったりと非常にオン・オフを大事にしていました。

日本酒造りの原型を日本に伝えた秦族の神社である京都の大避神社を調べると、酒は齋香という神への供物という意味の他に、避ける、裂け、割く、境という意味を持っていたことがわかります。酒という言葉は、人と神を繋げる齋香という意味と人と神の繋がりを裂くという表裏一体の意味をはらんでいます。しめ縄が神事で用いられる理由も繋ぐことと割くこと、境を造ること、結んで開いてが同時に出来るからと思われます。

今回の乳酸発酵のもろみを受けて、私はこの齋香と避けという日本酒の表裏の世界が頭に浮かび、神(野生)に近づきすぎてしまったと感じました。酵母と乳酸菌、齋香と齋香荒という表裏一体の微生物の活動を間近で見て酒造りの恐ろしさを痛烈に浴びせられました。

実は酵母や乳酸菌などの生酸菌は植物が光合成でつくった糖やセルロースを分解して酸を貯め、外界的要因つまり自然界では岩や砂などの鉱物、蔵ではタンクのような容器を溶かして土に還そうとしているだけなのです。土は動植物とその分解有機物、微生物、鉱物、ガス、水が混ざった酸性のもので、お酒の醪も実は土の発生の仕組みと同じ構造をもっています。自然界にとって酵母や乳酸菌が増えて酸を貯めることは鉱物を溶かして植物にミネラルを供給するための真っ当な営みなので、今回の現象はなんとも自然なことなのですが、現代の酒蔵や杜氏にとって乳酸菌醪は致命傷です。大きな失敗ですので私もこの先どうなるか分かりませんが、サケル自体はとても美味しいので少しでも楽しく飲んでいただける結果となるととても助かります。

サケルの味わいは私たちの知っている日本酒とは異なって、ほとんどナチュールの白ワインの香味と同じです。しかしこのサケルの性質と背景はいままでに表現できなかった日本酒の「避ける」の部分の世界を持っているという意味ではとても日本酒らしいと感じました。つらいですが齋香と齋香荒で日本酒の表裏が造られたことにもなります。ミードやKODANEやリキュールのように天穏の幅を広げるお酒と捉えていただけると幸いです。

今回は受注生産でお受けして詰めたいと思います。今後は様子を見てタンク貯蔵し、竹鶴さんの酸味一体のような熟成形で出していくかもしれません。よろしくお願い致します。

◎R5BY無窮天穏 齋香 島根県産佐香錦50% 生酛 k101酵母+7号酵母


R5BYの齋香です。お伝えしていたように今季の初回の齋香は齋香荒となったので、リベンジで新たに醸造した齋香です。環境を考慮して今季は乳酸菌と協会酵母を添加して醸造しました。とはいえ生酛なので蔵付きのものも入っていると思われます。

結果的には成功して従来のような齋香になりました。もともと協会酵母が入る前提+野生酵母10%程度の影響を想定した生酛造りだったので、無添加との違いはさほど出ませんでした。

清らかさの中に多くの要素があって、いろいろな感想が出てくるお酒です。齋香を満たす要素は十分ある思います。同時期に同じ製法で造った天頂はミネラリーな酒となり、無添加ではなくても、しっかり個性は出ると感じました。

もともと3日麹や吟醸造りと言った人の手で造る個性的な酒造りをしていたので、無添加が出来なくても変化や個性が現れてくるファクターをすでに多数持っていることを再確認しました。

そしてなにより毎日怯えながら経過を見て分析していき、無事に搾れたときには最初の齋香をつくった9年前の気持ちがこみ上げて、なんとも言えない気持ちになりました。

この9年間の酒造りは造り手としての山を登り続け、山頂で決死の戦いをしていたようなものでした。私としては山頂からの景色を見ることが出来たと思っていますが、その代償で心身に大きな凍傷を負ってベースキャンプに降りてきたような気持ちでもあります。

ありがたいことに周りの人たちに支えていただき、生きて帰ってこれたので、また進んでいけるような気がしています。しかし再出発にはクリアするべき課題が多くあるように思います。

6BYから生酛系をどのようにしていくかは蔵の環境や設備の更新等を含んでくるので、私の立場も含めてこれから蔵と話して決めていくことになります。確実に言えることは生酛系のラインナップが少なくなるので、既存の生酛系のお酒は貴重なものになっていくでしょう。

簡単に造ることも厳しく造ることも選択できる現代の酒造りの中で、蔵とその人達、造り手としての自分、そして飲んで下さる皆様にとって天穏という酒の最良の立ち位置はどこかを探る大きな機会となります。縁起や天雲でも酸度が上がっている醪があり、今回の酒造りの成功と失敗が、私たちに何を期待して求めているのか、しっかり考えていこうと思います。

齋香の説明というより全体の報告になってしまいました。しかし齋香や御神酒のマインドは私の酒造りの最初のきっかけであり、最後に目指すところであるので、今回の挫折は正直にお伝えし、前を向いていることもお知らせしたいところでもありました。

◎齋香テイスティング

香:無窮天穏のあの香り、エステリー、甘い米麹の香り、温かい香り、アルコールの草の香り
味:清らか、なめらか、細かい粒子のような甘み、吟味と酵母系のリンゴやブドウ系の酸、乳酸が絡んでいて官能的、アルコールのフィネス、水の味、ミネラル感、伸び、麹の旨味と甘味の余韻

現在は冷酒、冷や、氷を浮かべると美味しい。中域の吟味と酸が伸びて強くなる。清らか、繊細、みずみずしさがあるけど複雑かつ強い。清らか系の中に嗜好と表現と伝統がオールインワンされていてオーケストラ感がある。若さや熟成など時間的なことがあるだろうけど、そこよりも大事な要素やそれぞれの関係性がこの液体の中にあると感じました。

◎駄文 土と齋香 齋香と齋香荒から見えた景色

悔しいがうまい

水、植物(糖・フェロモン)、微生物(酸)、鉱物(ミネラル)、生物有機物(アミノ酸)という関係性は、5億年前に地球上の自然生命の営みの基礎となる土を造り、多様な生物を誕生させました。

鉱物に付着した植物は光合成によって糖をつくり、糖におびき寄せられた微生物が酸をつくり、酸は鉱物を溶かしてミネラルを植物に供給する。このサイクルが堆積したものが土となり、土を土台に多くの植物と微生物、生物のイトナミが造られてきました。

地上にいる人間と生物は、土という共通の自然生命の土台に立っているので、土と同じ関係性と繋がりを持つ液体に私たちは大きな親和性を感じるはずだというのが私の見立てです。
この関係性を人間の栄養素的に見ると植物は糖、微生物は発酵物、鉱物は塩、生物はタンパク・アミノ酸と脂肪言い換えるとわかりやすいですね。味覚としては甘さが植物、酸は微生物、塩味は鉱物、旨味や渋味は生物が担当している、香りは鋭い人なら水に溶けているこれらの違いをすべて感知するでしょう。

そう思うと水、大根、わかめ、味噌、塩、カツオと昆布=味噌汁だって土と同じ関係性をもっているし、水、麦、ピクルス、トマト、砂糖、酢、塩、肉=マクドナルドも土と同じ関係性をもっています。私たちは不思議とこれらの関係性の強弱を味覚として分別して判断することができ、このバランスが保たれているものや食べ合わせを美味しいと感じます。

人間は土になる途中の状態(調理されたもの)ものを食べ、胃液でそれを溶かして泥水にして、腸で微生物の力を借りながら栄養素と水分を吸収して土(糞)にして排泄しています。
人間の食事も体の基本的構造も、落ち葉を土に変えるミミズと何も変わらない気がしますね。

人間は他生物の造った土を混合して食べ、新しく人間の土をつくる。人間の土はまた違う生物が食べて、その生物はその生物なりの土をつくる。人間や生物は土を食べて土をつくるために生まれたのかもしれません。生物が土から生まれて土に還るのはそのためでしょう。昔のように全人類の造った糞尿(土)を自然に返して土葬もすれば土の量も生命数も確実に増えますね。人間も土なのです。

そう思うと、それぞれの生物がつくる土の交換ネットワークが自然生命の環だと考えられます。人間がお金によって世界と繋がりを持っているように、土の交換が成立するネットワークが自然生命の環であるならば、土と同じ関係性をもったものづくりや表現はナチュラルな造形を描くことと同じ意味となります。

日本酒造りも土をつくるプロセスと同じ原理を利用しています。植物(米・糖)を微生物(麹・酵母・乳酸菌)の力で分解してドロドロにしてそれを酵母が増えて酸を蓄積させた液体が酒になる。酒も酒粕も放っておくと乳酸菌か酢酸菌が増えてさらに酸度を増して泥水と同じ強酸性の性質を持ち、本来なら鉱物を溶かしながら自然に還元される。

酒とは土になる途中の液体で、酔って気持ちがいいのは土に還る、孤独のない自然生命の環に還る疑似体験をしていると言えるかもしれません。酔ったときには視覚と聴覚が先に失われます。人間は視覚と聴覚から言葉を造っているので、見えない、聞こえない、言葉は発せられない(ろれつが回らない)と、自分という個体を保つための理性が失われ、名前も肩書も個体も忘れてしまいます。これを利用して他者や神(祖先)、自然と直り合おうとしたのが御神酒ですね。

このように自然生命や土の関係性をベースとした酒造哲学と酒造設計をもった酒は現代の嗜好的な目線で見ても新しいものになるし、次世代の造り手にも刺激になるものでしょう。

この自然醸造を目指すのであれば日本酒にはミネラルが少ない(酵母に消費されてしまう)ので水源と同じ鉱物構成を再現したコンクリートタンクで仕込むことや硬度の高い水で割り水することが理想ですね。このように色々とアイデアが浮かんできますし、五穀やホップ(麻)を使った酒、その他の醸造酒が清酒を超える日本を表現した酒になる可能性も出てきます。清酒が米だけを認めているのは日本が穀物管理から始まった国だからに過ぎません。


このように自然生命の仕組み(土の発生の仕組み)と同じ構造と共通概念をもったお酒は日本人だけのための齋香ではなく、自然生命の齋香、土への酒、地球への御神酒になるんじゃないかというのが私の登った日本酒醸造の山で見た景色です。

だから私はお酒の原料にかかわらず、この自然生命の関係性をもつ液体が齋香であり、土を水に溶かした泥水でさえも海に鉄と酸素を供給する自然生命の齋香であると考えることができます。さらに言うと、子供が可愛いことと酒が美味しいことは同じであるし、花や動物が愛おしい花鳥風月も酒が美味しいと同じこと。それは風にも、岩にも、苔にも何もかもに同じことが言えるのではないでしょうか。万物に縁を伸ばし、私と同じ関係性がそこに既にある、私と同じ齋香の仕組みがそこにあると思えるならば、齋香造りという可能性はもっと広がっていくでしょう。

お酒はどうしても細分化され分断を造る方向へ力がいってしまいがちです。もしもこの先に、齋香から日本人の齋香へ、日本人の齋香から人間の齋香へ、そして生物の齋香、土の齋香、自然生命の齋香へといったように、自分の造る齋香の分類カテゴリをマクロに広げ、既に存在する関係性や繋がりを思い出す私たちの齋香が醸造できるならば、その取組みは酒類やアルコールの性質を超えて人類にとって意味のあることになっていきます。

土の関係性のように、人と人、個と個が存在しているだけで、そのあいだには自然や縁やダークエネルギーといった見えない場の量子力学が働いている。オスとメスが惹かれるように、人と人とが齋香で繋がり、離れるように、まだ人間がわからないことが齋香つくりから見えるような気がしています。酒造りは齋香造り、齋香造りは土つくり。土つくりは自然生命の営みをつくること。現代の日本酒醸造の世界とはかけ離れている考え方かもしれませんがまだ酒造りを許されるなら頑張ってみようと思います。

※この駄文は次回のイトナミコラムと一部重複します。


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