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【イトナミコラム6】万物に伸びる縁の道「nagナグ」を見つけよう  最終回 土のなかのnag

◎はじめに

概念世界と現実世界のあいだを行き来しながら冒険を続ける者をアルケミストという。

日本酒醸造業界のアルケミストを自称する私は今回、土の中にその冒険の道筋nagを見つけ、自分の酒造りに落とし込むことを目標とする。

ロゴス(個)とピュシス(群)を縁起させて偉大な功績を残した過去のアルケミストたちに習い、概念世界と現実世界のあいだには矛盾がないように冒険をしていこう。

アインシュタインやシュレディンガーが言うように、自然科学というロゴスを細分化していく冒険は、自然生命という全体像を知るためのものであり、私のこの醸造哲学的冒険も、日本酒という現実に反映されるものであると信じている。

自然科学と自然生命が矛盾なく同じ世界として成り立つには、自然科学と自然生命のあいだを繋ぐものを探し当てれば良い。

ということで、現実世界に存在しながら自然生命の概念部分を担っていると思われる土と水について勉強してみよう。

土や水の世界は人間で言うと現実と夢が入り混じっているような矛盾が同一になり続ける大不思議世界だ。

まずは土とはなにか?土っていつからあるの?からスタートしよう。

◎土とはなにか

土の構成物wiki
土壌(どじょう)とは、地球上の陸地の表面を覆っている鉱物、有機物、気体、液体、生物の混合物である。一般には土(つち)とも呼ばれる[1]。陸地および水深2.5メートル以下の水中の堆積物を指す[2]。
地球の土壌は土壌圏を構成し、以下の4つの重要な機能を持って生命を支えている。
植物の生育媒体。
水を蓄え、供給し、浄化する。
地球の大気の組成を変える。
(植物以外を含む)生物の住みかとなる。
これら全ての機能は、土壌を変化させる働きを持っている。
土壌圏は岩石圏、水圏、大気圏、生物圏と接触する[3]。土壌は鉱物と有機物から成る固体の部分と、気体(土壌空気)と水(土壌溶液)を蓄える間隙(空隙)で構成される[4][5][6]。すなわち、土壌は固相、液相、気相の三相システムである[7]。
土壌が生成されるためには母材(土壌の元となる材料)、気候、地形、生物、時間という5つの因子がある[8]。土壌は侵食による風化など、多くの物理的、化学的、生物的過程によって常に変化している。土壌はとても複雑で強い内部相互作用を持つ生態系である[9]。
土壌(どじょう)とは、地球上の陸地の表面を覆っている鉱物、有機物、気体、液体、生物の混合物である。

最初から大事なことが書いてありますね。
土とは鉱物、有機物、気体、液体、生物の混合物であると。

私は土なんか現実に存在しないと言っているので、なに言ってるんだコイツ…という顔をされますが、wikiが言っているように土とは混合物であり、土とはそれら混合物同士の関係性をあらわす言葉であるので、土とは存在しているようで存在していな概念世界の住人、ピュシス(群れ・nag)なのです。

土とは岩や砂やその破片である鉱物、動植物や微生物細菌などの生物、生物の死骸とその分解されたものである有機物、気体、液体それぞれの存在と、それらの関係性を表す言葉。

100万トンあっても1gあっても、その個々のあいだに繋がりがある限り、土としての群れは維持されます。

土は個々(ロゴス)の混合物であり、そのそれぞれのあいだの関係性(ピュシス)が土という存在を成り立たせている。

土の中の個々たちは細かくしていくことで見えてきますが、その繋がりは顕微鏡で見えるミクロなものなのか電気的なものなのか未知のダークエネルギーなのか微生物なのかはいまだ分かりません。

いずれ分かる部分も出て来るでしょうが、繋がりというピュシスは追いかけても追いかけても辿り着かない月のように、その全貌を見せることは永遠にないでしょう。

◎土と酒の関係性


泥水と齋香は同じもの

お酒も同じように水、アルコール、グルコース、有機酸、アミノ酸、エステル類、ミネラルなど様々なものが混ざった液体を総称した言葉ですね。

お酒が1000Lでも1mlでも、このような繋がりを持っていれば多くても少なくてもお酒はお酒ですね。このように最小から最大まで同じつながりを持ち、即座に反応し合う性質をもつ存在は、一即多・多足一のような概念的要素を包んでいる。

だから土は土にあらず、水は水にあらず、酒は酒にあらず。これらの群れ的概念を表す言葉は、その中の構成物質とその繋がりを持ってはじめて土となり水となり酒となる。

土や水の中の構成物質はもともと異なる存在ですが、土や水という群れの概念の中では、すべて同一のものとなります。

もし仮に、私たちが死んで土の中に放置されると、土の中の生物や微生物が身体を分解して土の一員にしてくれますね。骨は無機質のような扱いになるでしょうか。骨はいずれ土の酸によって溶かされてミネラルなどの無機質に変換されて植物の成長に利用されたり水に溶け、やがて海に流れれば藻類やプランクトンに利用されます。

人間に限らず異なる環世界を持っている生物たちも、土の繋がりによって分解されてしまえば、土の繋がりのなかの一員となって、みんな同一になってしまう。

土の中の繋がりは、人間やその他生物を土という大きな自然生命の群れに還元しています。

同様のこととして、私たち人間もそれぞれ異なった存在ですが、人間や国といった社会の群れの概念の中では同じ存在になりますね。

日本酒がやっていることは、人とか神とか土とか水とか異なった存在を、日本という一つの群れ的概念に還元しているように思えます。

アルケミストたちが目指した一元論哲学的な群れは、現実世界において、土や水がその役割を担っているように思えますね。

◎土の歴史


土の内容物はわかりました。次は土はいつからあるの?

それは約5億年前。(※藤井一至さんの大地の五億年やエコデザイン(株)さんのオゾンの基礎知識などを参考に記述)

地球初期、荒れ果てた地上世界。岩と砂と水の世界。大気は二酸化炭素濃度が高く、強力な紫外線が降り注いでいる。まだ誰も地上にいない状況です。

そんなこんなで海ができ、大気から合成された有機物が海に流れて水の中に密度の揺らぎができ、それが太陽のエネルギーを受けて反応して分裂を繰り返した。

その分裂はあたかも生命のような動きを見せ、その分裂の繰り返しと成分の移動が増大していき生命のもととなった(生命も宇宙も密度の揺らぎと真空エネルギーから始まった説)。

ゆらぎから生命は増大し、25億年ほど前から海中にはバクテリアが発生し光合成によって大気中の二酸化炭素濃度を徐々に下げていきました。

バクテリアや藻類が放出した酸素は大気にオゾンをつくり、地上に降り注ぐ紫外線を和らげて地上環境を清浄化しました。長い年月をかけて生物が地上に進出するベースが少しずつできていったようです。

約5億年前には海中の藻類と地衣類(藻類と共生する菌類)が地上へと進出します。最初に地上に移動した藻類と地衣類は、まず岩や砂などの鉱物の表面にひっそりと根を張ります。最初はあたかも生えていないような、うっすらとしたものです。

藻類は地上で、岩の上で光合成を行い、自らと鉱物とのあいだに、グルコース(糖)をつくり出しました。

するとそのグルコースを地衣類が食べて有機酸をつくりました。

地衣類が出した有機酸によって岩は溶かされてミネラル類が出てきます。そのミネラルを藻類が水とともに取り込んで光合成をしながら増殖します。

(日本酒の酵母が有機酸を出す理由がコレ、だから発酵タンクはミネラルが溶解する石棺やコンクリートタンクが正解かも、琺瑯タンクも鉄なのである意味正解、木桶の場合はモロミに岩石を入れれば繋がりが生まれる)

コンクリタンク

このループによって、そこには藻類、地衣類、鉱物、酸、溶けつつある岩や砂、死んだ藻類や地衣類が混ざりあったものが堆積していったのです。そう。これが土の始まり。

こうなると、藻類、地衣類は土という栄養源の上に成り立つこととなり、その姿かたちを巨大化させていき、私たちがよく知る植物的な形状へと変化していきます。巨大化した植物を分解するまた新たな生物、微生物がどんどん生まれていきます。そうなってくるとまたまた土が堆積して植物はまたまた大きくなりました。

植物はやがて花や果実と言ったグルコースとフェロモンと酸を集約したものを作り出し、またそれを運んで分解する虫を生み出しました。植物は虫に本体を食べられないように外壁を強化させ、またそれを分解するキノコも生み出しました。これらのサイクルが加速することによって動物や人間も生まれ、現代に至るというところです。

◎地上生命の共通概念「土」


これら五億年前から始まった地上生命のサイクルによって土ができ、そのイトナミは堆積して大地となっていく。その大地をベースに私たち自然生命のイトナミが形成されている。こうなってくると土の構成物質とそこから生まれた者たちのその繋がりは増えていきますね。

私たちは自然生命の存在しない状態を荒れた世界と呼ぶのも不思議なことですね。私たちは他生命が多く存在して土によって繋がりのある世界を潜在的に好んでいるのでしょう。

こう考えるとその辺の植物も動物も人間も、鉱物や水や空気、その過去や未来でさえも他人ではないと思えてきます。だって同じ自然生命の繋がりの線上に存在しているから。私が生まれる前も死んだあとも子どもも嫁も自然生命の繋がりたちにお世話になるんだと。

人間も生物も、土という共通の自然生命の土台に立っているので、土と同じ関係性と繋がりを持つ液体に私たちは大きな親和性を感じるはずだというのが私の類推です。

この関係性を人間の栄養素的に見ると水分、糖とビタミン、発酵物、塩、タンパク・アミノ酸と脂肪言い換えるとわかりやすいでしょうか。味覚としては甘さが植物、酸は微生物、塩味は鉱物、旨味や渋味は生物が担当している、香りは鋭い人ならすべて違いを感知するでしょう。

そう思うと水、大根、わかめ、味噌、塩、カツオと昆布=味噌汁だって土と同じ関係性をもっているし、水、麦、ピクルス、トマト、砂糖、酢、塩、肉=マクドナルドも土と同じ関係性をもっています。私たちは不思議とこれらの関係性の強弱を味覚として分別して判断することができ、このバランスが保たれているものや食べ合わせを美味しいと感じます。

人間は土になる途中の状態(調理されたもの)ものを食べ、胃液でそれを溶かして泥水にして、腸で微生物の力を借りながら栄養素と水分を吸収して土(糞)にして排泄しています。

人間の食事も体の基本的構造も、落ち葉を土に変えるミミズと何も変わらない気がしますね。

人間は他生物の造った土を混合して食べ、新しく人間の土をつくる。人間の土はまた違う生物が食べて、その生物はその生物なりの土をつくる。人間や生物は土を食べて土をつくるために生まれたのかもしれません。生物が土から生まれて土に還るのはそのためでしょう。昔のように全人類の造った糞尿(土)を自然に返して土葬もすれば土の量も生命数も確実に増えますね。人間も土なのです。

そう思うと、それぞれの生物がつくる土の交換ネットワークが自然生命の環だと考えられます。人間がお金によって世界と繋がりを持っているように、土の交換が成立するネットワークが自然生命の環であるならば、土と同じ関係性をもったものづくりや表現はナチュラルな造形を描くことと同じ意味となります。

ミミズの糞のおかげで僕らは生きている

◎酒造り=土と同じ構造

日本酒造りも土をつくるプロセスと同じ原理を利用しています。植物(米・糖)を微生物(麹・酵母・乳酸菌)の力で分解してドロドロにしてそれを酵母が増えて酸を蓄積させた液体が酒になる。酒も酒粕も放っておくと乳酸菌か酢酸菌が増えてさらに酸度を増して泥水と同じ強酸性の性質を持ち、本来なら鉱物を溶かしながら自然に還元される。

酒とは土になる途中の液体で、酔って気持ちがいいのは土に還る、孤独のない自然生命の環に還る疑似体験をしていると言えるかもしれません。酔ったときには視覚と聴覚が先に失われます。人間は視覚と聴覚から言葉を造っているので、見えない、聞こえない、言葉は発せられない(ろれつが回らない)と、自分という個体を保つための理性が失われ、名前も肩書も個体も忘れてしまいます。これを利用して他者や神(祖先)、自然と直り合おうとしたのが御神酒ですね。

このように自然生命や土の関係性をベースとした思想と酒造設計をもった酒は現代の嗜好的な目線で見ても新しいものになるし、次世代の造り手にも刺激になるものでしょう。

この自然醸造を目指すのであれば日本酒にはミネラルが少ない(酵母に消費されてしまう)ので、硬度の高い水で割り水することが理想ですね。このように色々とアイデアが浮かんできますし、五穀やホップ(麻)を使った酒、その他の醸造酒が清酒を超える日本を表現した酒になる可能性も出てきます。清酒が米だけを認めているのは日本が穀物管理から始まった国だからに過ぎません。

このように自然生命の仕組み(土の発生の仕組み)と同じ構造をもったお酒は日本人だけのための齋香ではなく、自然生命の齋香、土への酒、地球への御神酒になるんじゃないかというのが私の登った日本酒醸造の山で見た景色です。

◎自然生命の齋香は土の齋香

堆積熟成された酸性泥水(フルボ酸鉄)は海に酸素を供給して海中生命を豊かにする

だから私は酒の原料にかかわらず、この自然生命の関係性をもつ液体が齋香であり、土を水に溶かした泥水でさえも海に鉄と酸素を供給する自然生命の齋香であると考えることができます。芭蕉や岡潔の言う通り、子供が可愛いことと酒が美味しいことは同じであるし、花や動物が愛おしい花鳥風月も酒が美味しいと同じこと。それは風にも、岩にも、苔にも何もかもに同じことが言えるのではないだろうか。

◎イトナミ(Tat tvam asi)

万物に縁を伸ばし、私と同じ関係性がそこに既にある、私と同じ齋香の仕組みがそこにあると思えるならば、齋香造りという可能性はもっと広がっていくでしょう。

お酒はどうしても細分化され分断を造る方向へ力が向いていってしまいがちです。エーリックフロムの言うように、現代のお酒はブランド品や財産、ステータスのように人間の「持つ様式(having)」を満たす魔力があります。自分に属性や言葉を付与して自己愛を埋めたいという欲望を刺激してしまう。

大吟醸、限定酒、プレミア酒、俺の認めた酒、燗酒、どれも素敵であると同時に私はナルシシズムの性質を持っているように感じ、自分やこの業界もそれを強く利用していると自責の念も湧いてくる。それが現代の嗜好的日本酒(having)の構造ではないかと自問自答しています。

私の齋香から日本人の齋香へ、日本人の齋香から人間の齋香へ、そして生物の齋香、土の齋香、自然生命の齋香へといったように、自分の造る齋香の分類カテゴリをマクロに広げ、既に存在する関係性や繋がりを思い出す私たちの齋香ができるならば、その取組みは酒類を超えて、酒が飲める飲めないを超えて、世界にとって意味のあることになっていきます。

土の関係性のように、個と個が存在しているだけで、そのあいだには自然や縁やダークエネルギー、真空エネルギー、場の量子論といった見えない力が働いて、個々に繋がりをもたせている。私はそれをnagだと感じたんでしょう。

この繋がりは、何かを持たなくても、自分に足りないものを埋めなくても、特別にならなくても生まれた段階で、いや、それ以前のずっと前から既に存在している(being)。人と人にも、人と生物にも、石にも空気にも水にも宇宙にも繋がりはすでにある。

havingからbeingへ。持つことから、既にあることへ。
そう思って、あるがままいればいい、あるがままつくればいい。そうすると、すでにあるものが現れてくる。

現代の多様性や共感も、あなたを認めるという持つ様式の理解ではなく、あなたも私だ、私もあなただと思えばいい。すでに繋がりがあると考えるとしっくり来る。そう思えば小さな虫も殺せなくなし、風を肌で感じるだけでも嬉しくなる。

そういうことが酒が美味しいってことじゃないの?
ナチュラルってことじゃないの?

オスとメスが惹かれるように、人と人とが齋香で繋がり、離れるように、まだ人間がわからないことが齋香つくりから見えるような気がしています。

人間や自然を知って少しずつでも人間的成長ができたらいいですね。私も酒造りと子育てをしながらイトナミやnagのことを考え続けてきて、大きな挫折も味わい、だいぶ変わったように思います。

◎まとめ

ロゴスとピュシスも、科学も哲学も、これらを統合したアルケミスト的な思考やものづくりも、自然生命という巨大な群れを明確に理解し「わたしはあなたである」を誰かに伝えるための冒険なんだろう。

当然、現実世界では人と人は違うし、人と動物も植物も違うんだけど、a=bのように違う存在を概念世界で繋ぐことができるのも人間なんですよね。

家族や仲間なら頭の中で同じにすることは簡単だけど、見知らぬ人、見知らぬ生き物、パワハラしてくる上司や悪い人、生きていないような木や岩だと自分と同じだと理解することはとても難しい。

現実で違う存在を頭の中で繋ぐことを決めるのはまず自分自身から。酒を造り、共に飲むということはこれをやっているんだね。

あなたは私になるのよ

だから私もこのような醸造哲学をもとにして酒造りや人生という冒険をして、私のこの冒険の記録をあなたや土に還し、私もあなたと同じかもと言ってくれる人をつくればいい。

酒造りは齋香造り、齋香造りは土つくり。土つくりは自然生命の営みをつくること。水はそれらを溶かしてあなたに伝えてくれる。

このような醸造哲学とそれを現実にする酒造りはまだまだ何十年か先の時代のことだと思う。生きているうちに醸造家が人と自然のあいだに立ってこの課題に取り組む姿を見てみたい。

日本酒ってなんだろう?
なぜ人は酒をつくり、飲むのだろう。

杜氏9年の間で現代から五億年前まで地層をダイブしてきたからもう知りたかった答えが出たような気がする。思想や設計図は揺るがないものが出来たから、あとはこれを明確に形にしてくだけだ。まだ酒造りを許されるならゆっくり進もうと思います。

日本の酒の地層(サケ・アースダイバー)

【現代】嗜好品(金) 天穏全製品
【日本国時代】御神酒(神) 無窮天穏 齋香
【縄文時代】どぶろく(命) KODANE
【植物時代】ミード・猿酒(オアシス) イトナミミード
【古生代】泥水(土) 齋香荒、土蜘蛛



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