見出し画像

foodskole2021年度前期Basicカリキュラムを終えて

#foodskole 「2021年度前期Basicカリキュラム」
「食」に夢を持てる社会を創りたい
第十二回目は9月28日火曜日、「2021年度前期Basicカリキュラムまとめ」
最終日。ここで学びは終わりではなく、むしろはじまり。半年間の授業を振り返って、じぶんの価値観と照らし合わせて、この時点でのベーシックを持つことに挑戦。この先も「食」を学び続けることを宣言する。というお題。
講師は、校長の平井巧さん。

講義に入る前に、PowerPointファイルが配布され、自分がこれまで受けてきた授業の内容をまとめる項目がいくつか用意された。
当日は、それをみんなの前で発表する。持ち時間は1人3分。
印象的だったのは、やはり11回目の「衣食住自分のスタイルをもつ」石徹白いとしろの平野彰秀さんのテーマ。そして、それに対峙する第1回目の「まずは循環のはなし。世界のこと」スウェーデンでのSDGsの取り組みについてだろうと思う。最初の説明で、第1回目から一巡して第11回目があるという、平井校長の話が頭をよぎる。
それでは、途中の授業にあった隠されたテーマはなんだったのだろうか。

全体の感想

総合的には「食」ということだけではなく、社会全体の在り方の問題がテーマだったように思う。食べるという行為に関わる、環境と社会の仕組み。それは人の思想にまでおよぶ。

DAY1で紹介されたSDGsによるスウェーデンの取り組みは、個人的には非常に啓蒙的でさまざまな疑問の宝庫だった。これをきっかけにして全体のテーマである「循環」が示される。
その後、発酵(DAY2「発酵」DAY9「うんち」DAY10「ゴミと資源」)、物流(DAY3「ポケマル」DAY4「やさいバス」DAY5「畜産」)、生産(DAY5「畜産」)、料理(DAY6「料理の手間」DAY7-8「料理」)、排泄(DAY9「うんち」)、ゴミ(DAY6「料理の手間」DAY10「ゴミと資源」)、そして環境と人とテクノロジー(DAY11「暮らし」)として示された。

DAY1のスウェーデンの取り組みは、スウェーデンが抱えてきた周辺諸国と自国の問題を長い時間をかけてひとつひとつ模索してきた結果だと思う。ただ、授業の内容が地球が現在抱える問題とその事例に終始したものだったので、DAY11のエッセンスはここでは感じることはなかった。
DAY2~5は、全体的にこれまでのシステムの問題を踏まえた上での、新しい発想と考え方と取り組み。DAY5の畜産について、戦後推し進められた新しいシステムを否定することで、古いやり方を見直すことが提示される。
DAY6~8は、料理について。料理への心構えから楽しみ方を学ぶ中で、ここでも古い知恵を見直すことも一つのテーマであったように思う。
DAY9は、人が生み出す循環のシンプルな形と、過去と現在の人の意識と社会システムについて。
DAY10は、人が生み出すゴミと資源について。
そしてDAY11は、その土地に合った知恵を見直し、集落と人の暮らしと交流について。ここで、スウェーデンで示された現在の問題を、昔の知恵と現代のテクノロジーで一つの答えの過程を見ることになる。

それぞれ点在していた課題が、回を追うごとに点が線としてつながっていくのを感じながら、DAY1で示された地球の問題のひとつの結実としての、DAY11の温故知新だったのだろうと最終的に感じるのだが、平井校長の「みんなでもやもやしましょう」という言葉の通り、一巡することで晴れたもやもやと、そのまま持ち越して残るもやもやを抱えることになる。

SDGsを理解するところから

私個人としては、まずSDGsとは何かを理解するところから始めた。スウェーデンの取り組みがすばらしいことはわかったのだが、この授業だけではそれをそのまま日本に当てはめるのはどうなのだろうと思ったからだ。
ただ、SDGs自体がどういうものなのかをある程度理解しなければ、それが本当に感じたままのことなのかどうなのかはわからなかった。

そこで私が始めたのは、ニュース記事でSDGs関連の記事を読むこと。そして、テレビの録画機能で「SDGs」に関連する文言の番組をかたっぱしから録画し、2か月それらを閲覧した。
ニュース記事については、SDGsの説明を丁寧にされているものも多く、SDGsを根本から広めようという意図が感じられてとっかかりやすかった。反対に、テレビの番組はひどく意図的なものを感じずにはいられなかった。
テレビの番組は、主にSDGsの内容として私たちがとっかかりやすい内容の説明と事例の番組。そして、企業がどのような取り組みをしているかの紹介番組。前者はNHKによく見られて、後者は民放の番組に多かった。

NHKの番組としては、海外ドキュメントから子供むけの番組まで。面白かったのは子供向けの番組だったが、子供がSDGsに関して取り組む授業を学校で受けていることは、新鮮な驚きだった。
逆に、海外ドキュメントはテーマが重すぎるのと、難しすぎるものも多く、大人が何の理解もなく単純にこれまでの地球環境の取り組みと同じ視点で見るのと、ある程度SDGsの存在を知ってから見るのとではまったく違う視点が見えてくることも、当たり前のことだが改めて発見だった。

民放の番組は、地域の小さな取り組みから大企業の取り組みまで、幅広く実際の事例を紹介するものが多くあった。しかし、これらは非常に刷り込みが多く、スポンサー企業への忖度しかないような番組の方が目につく。大手企業の取り組みも、非常に斬新なものから、紹介されている内容のどのあたりが取り組みにつながるのか疑問が残るものも多い。コマーシャリズムに特化したものは、途中で見るのが苦痛になってくる。SDGsの紹介として、これでは生活者の関心をひくのは難しいのではないかと感じる。

アウトプットする

授業はその都度録画されて受講者に後日公開されていたので、内容を確認してnoteにアウトプットすることもした。
私は話をまとめるのが下手で、質問するときも自分が何を聞きたいのか模索しながら聞くことも多い。点在する疑問をどうつなげて説明したらいいのか、困窮することもしばしばあった。なので、録画された授業をあとで確認して、まとまってもまとまらなくてもアウトプットするということは、自分の中のストレスをいったん吐き出すということについては有益だったと思う。
アウトプットするには自分の中で何を感じたのかを明確にする必要があるのだが、授業が進むにつれて疑問の範囲を自分で広げてしまっているので、なかなかまとまらない。そうしているうちに、二週間はあっという間に過ぎてしまい、次の授業まで追いつかないこともしばしばあった。公開した内容を後で読み返して、自分の文章力と理解力のなさを改めて確認するのは、別な苦痛が伴った。

DAY12 最終発表

全体を通して、個人的にはもやもやが多く残ることになる。
DAY12は、受講生が全体のテーマとして何を感じたかを提出する。

SDGsの「食」のところだけ抽出したとしても、今回の「循環」を意識するとなると、環境や文化、テクノロジー、イデオロギーなど様々な問題が絡んでくる。
日本としては、1990年代までの高度経済成長のツケを、ここで払拭しないと未来はないという瀬戸際にあるのに、未だに企業主義から抜け出せない。
レジ袋やカフェのストローがプラスチック製じゃなくなるような、小さな取り組みも必要だろうと思う。しかし、プラスチックの再生技術の必要性と企業の義務化の話は、1970年代から幾度となく問題視されていたことだった。
DAY5「畜産」の中洞さんが、アメリカファーストの取り組みが日本を面倒くさくしているという話をしていたが、日本は全てにおいて自国を基準にした取り組みをしてこなかったのだと痛感する。

1960年代に、森林破壊を抑止するためにプラスチック製品は急速に暮らしに入ってきたような印象を持っていた。テーマとしては、森林がなくなることによって、CO2を分解する地球の機能が弱まるという話だったような記憶がある。
それが、化石燃料を使わない取り組みのために、また森林資源に戻っていくというのは、なんだか本末転倒なように、授業が終わった今でも疑問に思う。
また、循環や再生ということについては、資本主義のシステムを根本から見直す必要があるようにも感じるし、スウェーデンや石徹白いとしろのような取り組みは、ある意味小さな社会主義的感性も必要になってくるのではないかとも思う。

流通に関しては、ポケマルのような直産にこだわった供給もでてきているが、このcovid-19禍の中で外出せずに商品を受け取るという仕組みが一般化することで、人が商品を「選ぶ」という意味が根本から変わってくるのだろうかということも感じた。人が外出せずにすむ仕組みは、人のコミュニケーションをうばっていく。
そういう意味では、ポケマルとやさいバスは、似ているようで対局にあるものなのかもしれないとも感じる。

人のコミュニケーションにこだわりたい

foodskoleを受講するきっかけは、2020年のカリキュラムの集大成だったfoodskole文化祭に端を発する。
それまで食についてのカリキュラムを受けようなどとはまったく思っておらず、いかにして国産チーズに関わろうかと逡巡していた時期だった。
月1ペースで通っている地元の国産チーズと日本ワインのワインバーで、チーズのオンラインセミナーをやるのに協力し、三良坂フロマージュの松原さんも登場するとあって、セミナーに参加することに決めた。そこでBasicカリキュラムのことを知ったのがきっかけだった。
少しの興味で事前説明を受けたとき、校長の平井さんとの話の中から、自分に今足りないものを確認したいという、そんな衝動が起きたのが直接的な動機でもある。

実際にオンラインで参加してみて、さまざまな年代と地方からの参加もあり、非常に面白い経歴の方々と話す機会を得られた。それまで漠然と感じていた、年代的な感覚の違い、地方的な感覚の違いなど、いろんなことが浮き彫りになって見えてくる。
若い世代の人の意見を聞いて、私が同じ年代の時期に考えていただろうことなどを思い返したりもした。
自分は食の世界ではド素人だし、食に関わるとしたら主婦としての立場でしかないことを考え、遠慮なく自分が思ったことを思ったように質問したりもした。

結局見えてきたのは、温故知新ということだった。DAY11のnoteの記事では「足るを知り、古きを温めることが、新しい」というタイトルをつけたが、その後「足るを知る」に関して、違う角度からのご意見をいただいたりもした。

ただ、単純に「温故知新」「足るを知る」といっても、どこを切り取るのかはその人の立場で大きく異なるということ。それを融合するには、やはり人とのコミュニケーションが大事だと感じる。
授業が終わった後、2回に渡ってオンライン座談会を企画したが、校長の平井さん、こくぼさん、やさいバス講師の梅林さんをはじめ、授業の中で交流のあった多くの方が参加してくださり、授業の裏話やその後の展開、気づきなど+αの部分がとても面白くいつまでも話していたかった。
こういうコミュニケーションがあったことが、やはり「学校」として参加したことを有意義にしてくれたと思える。
実際に、授業中にメッセージで授業とは全く関係のない話をしてみたり、学生時代に授業中に手紙をまわしたり、落書きをしたりして遊んだことが違う形で再現されたりもして、これもコミュニケーションのひとつとして最後に結実したようにも感じた。

最後に

いろいろな意見を受け取ってもらえ、最後までさまざまな視点からのもやもやを提供してくれたfoodskole運営の皆さんには、非常に感謝している。
受講者で親しくなれた方も多く、一人で仕事をしてきた私にとっては収穫は大きかった。
残念ながら、今後目指す資格取得のため後期の講座を受けることができないが、違う授業や違う形で今後もお付き合い願えたら幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?