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表現者にとってのコンプライアンスと自由/郡道美玲の卒業から考える

先ほどにじさんじの郡道美玲さんの卒業が公式から発表されました。


3月のWBCの炎上の際に上記リンクの記事を書いたのですが、現実に卒業となってしまった様です。実際の理由などについての明言はありませんので卒業に繋がった直接的な理由が炎上関連なのかはわかりません。

ですが今回はVTUBERの活動における表現の自由とコンプライアンスについて少し書いてみようかと思います。


■コンプライアンスと自由

手っ取り早いのでChatGPTにコンプライアンスについて確認したのが下記です。

コンプライアンスは、法律、規制、倫理、業界基準などへの遵守を指す用語です。企業や組織は、ビジネス活動を行う際に法的な要件や規制を順守する必要があります。

コンプライアンス活動は、これらの要件や規制を遵守し、法的なリスクや倫理的な問題を最小限に抑えるために行われます。
具体的には、企業は法律や規制への遵守、労働法、環境法、税法、金融取引の監督、情報セキュリティ、消費者保護などの分野での遵守を確保する必要があります。また、内部規定や倫理規範に従い、不正行為や腐敗を防止するための仕組みも構築する必要があります。

コンプライアンスの重要性は、法的なリスクを最小限に抑え、組織の評判や信頼性を守ることにあります。適切なコンプライアンスプログラムを実施することで、企業は法的トラブルや制裁のリスクを軽減し、社会的な信頼を獲得することができます。

一部の企業では、コンプライアンス担当者やチームを設置し、コンプライアンスプログラムの開発と監視を担当しています。また、一部の業界では、外部の監査や認証機関によるコンプライアンスの評価を受けることもあります。
コンプライアンスは、企業の透明性と責任の一環として重要な要素であり、法的・倫理的な要件に対処するために積極的に取り組むべきです。

欲しい言葉があったのでそこは太文字にしています。
つまり、コンプライアンスの目的は企業のリスク対策です。

このコンプライアンスというのはVTUBERやクリエイターなどの表現者にとっては些か相性が悪い面があるのは周知のところだと思います。

・エンタメとしてギリギリのところを攻めて視聴者を楽しませたい
・守りに入っては表現者として縮小してしまう

僕はクリエイター的な活動を主軸に生きた事はありませんが、以前は自身で曲を作っていてボカロ全盛期には歌詞付きの曲も作っていた事があります。その際にやはり「この表現は表に出して良いものだろうかどうか」という事は意識せざるを得ないと感じました。

当時ボカロの曲を投稿しているのは基本的には個人で、企業に属しながら活動をしている人というのは非常に僅かだったかと思います。ですので例えば今の人はどのくらい認知しているかわかりませんがアウトな歌詞の曲がかなり表に出てウケたりしていました。

例えば上記の「くるみ☆ぽんちお」という曲とかはその代表的なものだったと思います。

僕自身はこういうノリは嫌いではありませんし、こういうギリギリのラインのネタというのも面白いと思います。

今回卒業が発表された郡道美玲さんについても僕個人としては単純に配信内容が好みではなかったので好きではありませんでしたが、嫌悪する対象という感じではなく、コンプライアンス的にギリギリのラインで活動している事で関心を持っていたという感じです。

このコンプライアンスですが前述しているように「企業が自社を守る為」の従業員に向けたルール、という意味合いが強いです。

つまり個人での活動に於いては全て自己責任として完結するので、組織の為のものです。


なぜ必要なのか?
それは必要以上に騒いだり、問題視する人が世の中に多いからです。

・子供の教育に良くないから成人向け雑誌はコンビニに置くな
・女性蔑視だから母親役だけをキッチンに立たせるな
・暴力助長になるからアンパンマンにパンチさせるな
・その発言は不適切だから謝罪するべきだ

等々

特にここ数年で色々なパターンが増加して、「ええっ、そんなのも今はダメなの?」というものも多くあります。

そしてこれは徐々に拡大してきて今は「自分が不愉快に感じるもの」への弾圧の正当化に使われるケースも増えてきました。

問題の拡大解釈や、論点のすり替えも多いです。
少し前に炎上して話題になった、月曜日のたわわのヒロインのイラストが用いられた広告に対して「女性を性的に消費している」と攻撃の対象になった件もそうです。様々な意見はあるかと思いますが、根本には自身とは対照的なものに対する妬みや嫌悪、胸が強調されている様に見える=性的搾取という認知のステレオタイプ、等があります。

こうした動きと言うのはこれからも拡大されていくと思います。


「今日の配信内容は不快に感じた」

「さっきの表現はどうかと思う」

こうした声も基本的には止む事はないですし、SNSで「〇〇のあの配信内容は最悪だった」といったものも止める事は難しいでしょう。

それこそ突き詰めれば「スーパーマリオの配信は動物虐待を助長するのではないか」という様な意味のわからないものまで、社会的な影響を持ち始める可能性すらあります。理由は?と問えばノコノコは亀だからそれを見て動物を虐める悪影響が懸念される等とそれらしい事を言い始めます。



■嫌なら見るな

意味の分からない、理解できない、理不尽な、ある意味「それってただの文句じゃないか。。。」という様なものでも、数が集まれば社会的な意味を帯び始めてきてしまいます。

昔からこうした文句等に対して「嫌なら見るな」というフレーズはよく使われてきましたがコンプライアンスを考えた際にこれは力を持ちません。

クリエイターや活動者が「私の配信はそういう要素がある」「注意喚起も提示している」と言ってもやはり意味がありません。

コンプライアンスは企業が決定します。
ここに尽きてしまいます。
自社の利益、持続性を鑑みて組織全体を考慮して決めます。

ですので個人で全てを自己責任の基に活動する以外はどこまでも前述してきた様々な社会と折り合いをつけて活動しなければいけなくなります。

また、個人で活動をしていたとしても、案件を引き受ければそのクライアントである企業のコンプライアンスを意識しなくてはいけません。別のクリエイターとコラボ等で関わればそのクリエイターについても考慮しなくてはいけません。

関わる人達、関係者が増えれば増える程に”制限の無い”自由な活動とは隔たりが出来ます。個人的な活動スタイルはあったとしても、関係者ごとに異なるコンプライアンスの要素を考慮しないと繋がりが維持できません。

例えば今回の郡道美玲さんを例に取ると、郡道さんの配信スタイルはこういうものだ、というのをわかっている人だけが見る可能性はゼロで、にじさんじの何かしらのルートから郡道さんの配信に辿り着く事があります。それは例えばですが、にじさんじがコラボしているゲームのプレイヤーがそのコラボからにじさんじのライバーを公式サイトで見て、たまたまキャラの見た目が好きだったからという事で、郡道さんの配信を見に来るという感じです。

そのたまたま見に来る人が居る可能性、YOUTUBEのおすすめ動画にたまたま出てきたから等、他にも幾らでもルートは存在します。

それでたまたま騒ぎ立てる人に問題視された時、
「にじさんじの郡道美玲」
「にじさんじのANYCOLOR株式会社」
「ANYCOLOR株式会社のスポンサーの〇〇社」
こういう括りで声があがります。

そういう意味でも特に企業所属しているクリエイターというのはコンプライアンスからは逃げられず、嫌なら見るなを盾にする事が難しいです。


■終わりに

今回の郡道さんの卒業の明確な理由は発表はされていません。
炎上からの謹慎はきっかけなだけで、話し合いの中での様々な要素が理由としてある可能性もあるかと思います。

記事内で書いた様に、昔はOKだったものが今はNGというものはどんどん増えています。よくわからない正義を数の力で振りかざしてくるケースもあれば、誰かが炎上しているのが面白いからという理由で乗っかる人も多いです。

それじゃあクリエイターは息苦しいじゃないかという見方もありますが、クリエイターは表現を商品として売っている様なものです。少なくとも企業に所属して居たり、それで生計を立てたりするのであれば。
時代によって受け入れられる表現は変化していきます。例えとしては極端ですが、タバコとかは近いかもしれません。昔はこうだった、というものが徐々に価値観の変化に伴ってその在り方が変わってきました。JTもフィリップモリスも類するその他の企業も、その時代に於いてあるべき姿に合わせる事で存続しています。

クリエイターや表現者にとっては、この言ってみれば凄く漠然とした世の中の空気や雰囲気をどう感じ取るか(認識・理解するか)というのが、企業におけるマーケティング能力の様なものなのかもしれないと思います。

その制限の中のギリギリのラインを正確に読み取れる人は「あの人はラインギリギリだけど面白い」と評価されて、読み取れないとラインをこえてしまって「あいつを許すな」と叩かれるのかもしれません。表現者にとってのコンプライアンスというのはその更に一歩手前のラインを示すガイドラインとしてうまく理解、活用するのが賢いのかなと感じます。


追記:2023年6月23日

先日郡道美玲さんの卒業配信がありましたね。見れてはいないですが、TWITTERで流れてきた様子を見ると湿っぽい感じの配信ではなかった様です。

本記事を書いた後に思ったのですが、VTUBERの社会的地位の向上は明らかでそれに伴って社会的責任を負う範囲も広がっています。
にじさんじで言えば女性VTUBERについてはもしかするとANYCOLOR株式会社にしがみつくべき理由というのは薄いのかもしれません。ホロライブであれば在籍するだけで有り余る程のメリットが享受できますが、あくまでも僕が知る範囲ではにじさんじの女性VTUBERは現在享受できるメリットと上がってしまった社会的責任の重さとのバランスが悪いのかもしれません。

これはもちろんそのVTUBERの配信、活動スタイルによって異なると思いますが。特にライン際を攻めるような発言や配信をする人でなければリスクはないかと思いますが、逆の場合、今回の郡道さんの様な活動スタイルの場合にじさんじに所属する事で発生する制限の方が大きな比率になってしまう事も考えられます。足枷の様な感じでしょうか。

例えば中の人の活動もANYCCOLORとの契約では禁止されている様に見受けます。ですが僕がこれまで確認してきた感じではにじさんじの女性VTUBERはチャンネル登録者数こそそれなりに多くても、同接は数百で個人とそれほど変わらなかったり、言い方はあれですが「ガワ」の部分、ライブ2D、3Dモデル、衣装などもいまいちな状態のままの人も見かけます。

芸能界で例えると、ジャニーズ所属の女性タレントみたいな感じで(実際には居ませんが)、何かあればジャニーズの看板を汚すなと言われる割に事務所が力を入れるのはあくまで男性タレントでがっつりとしたサポートやマネジメントは受けられない、という感じでしょうか。

例えば個人の女性VTUBERなどはある程度の数のファンが居れば、いわゆるR18系(もしくはそれに近いもの等)コンテンツを絡めると実際かなりの額が稼げたりします。にじさんじに所属した状態で2年先、5年先を考えた際に、その数年を別の形で活動した方が自身の為になるかもしれない、という判断はにじさんじであればあるように思います。

これはもしかすると今後のANYCCOLORがどうなるかを決定づけるひとつのきっかけになるかもしれません。
にじさんじ所属のVTUBERの多くは今回の郡道美玲さんの件で
「会社は守ってくれないかもしれない」
と感じた人もいるでしょう。

これまでの卒業などしていった人達の経緯も鑑みるとそれはあるのかなと思います。

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