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●Miles Davis in Consert in 1972 (JAZZ ESSAY 7)

マイルスのコンサートには何回位行っただろうか,その中で最も印象深かったのは、僕にとっての最初のマイルスのコンサートであった,1972年のコンサートとレコードで言うと"アガルタ”と同時代の1975年のコンサートだった。確か,1972年のコンサートはマイルスに、デイブ・リーブマンのソプラノサックスとテナーサックス,それにレジー・ルーカスのギター、マイケル・ヘンダーソンのベース、ピート・コージーのギター、アル・フォスターのドラムス、ムトゥーメのパーカッション、だった。マイルスのコンサートはとても待ちどうしかった。その頃のマイルスは高いヒールに、スカーフをして,大きなサングラスを掛けていたてそれがまた,実に似合っていたのだった。僕が、当時、時々、訪れていた,今はなき、赤坂ムゲンでも、60年代には黒人達はみんな、モータウンのフォートップスの様な下に行く程細くなる,ズボンをはいていたのに,その頃には,ベルボトムに高いヒールを履き、なかには帽子をかぶってまるで,オン・ザ・コーナーや,マイルス・イン・コンサートのジャケットから抜け出たような格好の人もいた。その頃に鳴ると,60年代には僕も少し怖かった,黒人達が70年代になると,明るく、美しく,自信を持って来ている感があった。黒人音楽が大好きで時々ムゲンに行っていた僕も,高いヒールを履き,黒人になりたい位だった。Black is Beautifulまさにそんな時代だった。そんな時代を作ったのは,マイルスや,マーヴィン・ゲイなどが、時代を引っ張って来たからだと思う。マイルスの存在などはまさにBlack is beautifulのように彼は輝いていた。僕はマイルスのオルガンも大好きだった。今まで誰も聴いた事が無い様な響き,何か、ビーカーの中でとんでもないものが生成される前のカオスの状態とでも言おうか,とても不思議な魅力があった。バンドが一丸になって,もの凄いスピードとももすごいパワーで疾走している時はまるで、アフリカの草原を動物達が大移動している様を思わせるし、マイルスが一転バラードを吹き始めると我々は本当に身震いがする程ゾクゾクするのだったが、その瞬間は実に短い時間だった。聴衆が彼のバラードに感激しているのを察知するかのようにその瞬間は終わりを告げるのだった。なぜか、受けた事が急に、恥ずかしくなったかのようだった。それらはすべてマイルスの手の動き一つで変わるのであった。
デイブ・リーブマンのサックスは知的で熱かった。リズムセクションは地を這い、大地を揺るがせた。こんな音楽の世界は地球上に現れた事は無かった。本当にすごいバンドだった。
2006/12/31(日) 02:14:00|


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