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人生はとりあえずクビから

「なぁ頼むから何もしないでくれ。お前がなにかしようとすると決まって面倒なことが起こるんだ」それが1ヶ月ほど前、そして今朝こう言われた。『今日が終わったらもう来なくていい』と。
主任がそれ以上何を言ったかは覚えていない。そもそも聞いてすらいなかった。
とりあえずで手に入れたのは離職票と無期限の自由。世間ではこの状態をクビっていう。難しい字では馘首となる。馘って字がすごいね、デジタル大辞泉で調べてみた。「馘」の意味・読み・例文・類語の類例として敵を殺した証拠に左耳を切り取る→「馘首」となっている。まるで戦国時代だ。そんなに遠くない僕らの先祖は首狩り族みたいなものだったのかもしれない。
アメリカ映画なら、段ボール箱に私物を入れて「オフィスに立ち入るな!」と言い渡されるシーンだ。残念ながら(ありがたいことに?)日本ではまだそこまでのシステム化には至っていない。その代わり残務処理や引き継ぎなど、やらずもがなの面倒が待っている。(やらずもがなってこういうときに使っていいのかな?)偉そうに引き継ぎやら残務処理なんて言ったけど、3時間もかからなかった。そんなわけで僕の会社員生活は、ランチタイムを待たずに終わった。もちろん送別会もない。ついでに言っておくと有給休暇もない。
とはいえ季節は春。これは悪くない兆候だ、何故だか知らないが新しい未来は可能性ばかりって根拠のない錯覚さえ。根っからのキリギリス体質?そんなイソップ物語みたいな表現があるなら、いまの僕がそれだ。だから次の仕事を探すというミッションは後にしよう。その前に昼酒だ。一度やってみたかったんだ。小心者の大冒険。スーツにネクタイ姿で真昼の居酒屋探訪。今までは横目で後ろめたげに眺めるだけだったが、今日からは。いや今日だけは堂々と。いいよねリストラ一年生。
とりあえずどこでもいいんだ。でもなぜか足は、会社帰りに立ち寄るなじみの店へ。
「珍しいね。こんな時間から」そんな声を少しは期待していたが世間は思い通りにいった試しがない。バイトスタッフの機械的ないらっしゃいませがかかっただけ。手にはオーダー受付の端末、そして無言でこちらを見る。おいおいせめてご注文はくらいいえないものかね。まぁいいや瓶ビールにタン、ハツ、ねぎま。オール塩で。あと、エシャレットもね。なんだよオーダーまでいつもの夜メニューじゃないか。どこが大冒険なんだよ。
アジフライ定食、焼き魚定食(さば・しゃけ)、刺身定食、カレーライス全品980円(税込み)、サラダ・お新香付き等々。居酒屋ランチを頬張る他の客のうらやましそうな視線がちょっとうれしい。そう思った途端、涙が湧いてきた。そうか、無職になっちゃったんだ。誰もうらやましそうなんかじゃない。ぼくを見る目はこう言っている。「ああはなりたくない」と。イヤ現実にはそれすらない。だれも僕のことなんか気にもしていないだろう。幸いといっていいのかどうかはわからないが、給料日は3日前、比較的余裕がある。彼女もいない、ギャンブルにも無縁、ネットもほとんど無料サイトで課金なんて考えたこともない小心者の常として、銀行口座にはある程度の残高がある。
どうする、なにを始めるにしてもじっくり考えなきゃな。今度こそしっかりと。そう人生を見つめ直すんだ。そのためにも今日は酔う。昼日中から夜のまん真ん中まで。夜のまん真ん中って何時頃だ。そんな独り言を流している間に、いつのまにか意識はどこかへと消えていった。

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