見出し画像

あたらしいことを始めると、へたになった感じがする。(2/21)

うれしい、たのしい、大丈夫か?

と、話す仕事をするときは思う。

昨日はキャリアについてのある講座にゲストとして読んでもらって、自分の活動や、探究してる「ナラティブアプローチ」について話した。

ふだんは聞く活動をしていて、自分が話す側になることはそんなに多くない。だけどたまに話すとたのしいし、自分の話にこんなにも真剣に耳を傾けてくれる人がいるのか! とうれしくなる。

と同時に、あれ、あの人なんもリアクションないけどだいじょぶか、もしかしたらおれめっちゃスベってるのか、「こいつ話長いわー」とか思われとるんか、などなど、不安ももわもわっと湧いてくる。さいわい、昨日の講座のアンケートでは、いい感じの感想が多くて安心。

なんか、ゲストだからといって成功譚をえらそうに語るのがすきじゃない。だから、自分のプレゼンというより参加者の方に問いを投げかけてもらって、迷っていること、不安なこと、抱えていることを正直に話した。ゲストっぽくなかったと思う。「山中さんは、自分の弱さを許す、ってことをしてるとおもうんですよね」とか、「インタビューをもとに映画撮ってほしいです」とか、むしろおれのほうがたくさん気づきをもらってしまった。ありがたい。自分の弱さを許す、かぁ。


今日は陶芸の日。さっむ! と思いながら(昨日との気温差、えぐい)家を出て、代々木上原の陶芸教室へ。素焼きした器にいよいよ釉薬をつける、当作業。ぼくとしては「まってました!」という感じだったのだけど、「釉薬つける作業、いやだって人多いんだよねー、わたしも好きじゃない」と先生。そうなの? と思ったが、やってみて納得。

やる前はキャンバスに絵を描くようなイメージでいたが、じっさいは液体をつくり、器をその液体にくぐらせ、乾かしてムラがあるところをけずる…という地味ーな作業だった。しかし、釉薬をつけた器はいよいよ「うつわじゃん!」という感じのビジュアルになった気がする。……ということを先生に伝えたら、「え…そ、そうですか?」と、ぜんぜんピンと来てない様子だった。

あたらしいことを始めると、始める前よりへたになった感じがするのはおれだけだろうか。じっさいそんなわけないんだけど、やる前は「ぱぱっといい感じにできるだろ〜」と思ってたのが、やってみると「むっず!!!!」と気づくのだ。

陶芸にしても、もっと一発目でうまくできると思ってた。ほかの生徒さんの器とならべてみると、おれの器はひときわぶさいくで、落ち込む。

しかし、おおげさにいえば、あたらしいことを始めると世界の見え方がちょっとかわる感じもあるのはうれしい。これまでなんとも思ってなかった器というものが、やたら気になるようになり、本屋で器に関する本を探したり、お店で器を探すようになってきた。

物欲は基本的にないけど、器なら集めてみたいな、と思い始めてる。好きな器にかこまれて暮らすの、いいなぁ。そのなかのいくつかは自分がつくったもので、たまに買ってくれる人もいたりして、畳の部屋で、猫がいて、縁側で、自分がつくった茶碗でお茶飲んで…とかなんとか、妄想して、作業から現実逃避してる。


サポートがきましたって通知、ドキドキします。