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リビセンは、過去と現在の「感情の交差点」だった。

レジが怖い。

っていうことを、以前noteに書いた

レジ打ちができないのはなんでだったんだろう、と考えてみると、僕はどうやら「感情」が見えないコミュニケーションがすこぶる苦手なのである。
(引用:「レジ怖い。」)

なんで怖いのかということを自分なりに分析してみると、レジでは感情の交換がないことが多いからだ。田舎でおばあちゃんがやってる食料品店ならまだしも、東京のコンビニだとほとんどなくないですか?

そしてなぜ感情の交換がないかといえば、お金の交換があるからなのだと思う。『なぜ日本人は、こんなに働いているのにお金持ちになれないのか? 21世紀のつながり資本論 』を書いた渡邉賢太郎さんによれば、お金は信頼の代替物らしい。

信頼とは、感情のやりとりにほかならない。お金でやりとりできてしまうがゆえに、感情のやりとりがなくなる。共感性のアンテナがビンビンの僕にとって、それはすこぶる怖いことなのだ。


先日、「ReBuilding Center JAPAN」に行ってきた。

リビセンは、長野県諏訪市で古材と古道具を販売する、建築建材のリサイクルショップ。家屋や工場の解体や片づけの現場に出向いたり、お店に持ち込んでもらうかたちで、行き場を失ったモノたちをレスキュー(引き取り)してる。

「一度は役目を終えたものや文化の本質的な価値を見つめ直し、資源として再び利用されていく世界ってつくれないかしら?」

そんなことを考えながら、環境問題の改善や、愛されてきたものへの思いを継承する伝え手になっていきたいと思います。

(引用:「About us | ReBuilding Center JAPAN」


リビセンにいると、深く呼吸ができるような感覚があった。感情の交換ができているような。お金を介した消費を第一におく消費社会とは少し違った空気が、リビセンでは流れていた気がしたのだ。

もしかしたら、リビセンがレスキューしているのは、モノにふくまれている人の想いなんじゃないか。

捨てられてしまいそうになった想いをすくいとり、誰かに引き継ぐ、という「感情の交換」。それは同時代に生きる人同士の「横軸の交換」でもあるし、過去に生きた人現在、未来に生きる人との、時代を超えた「縦軸の交換」でもある。

感情が、縦糸横糸のように折り重なって僕らをやさしくつつみこむ。それがリビセンという場所なんじゃないか。

だから僕は、リビセンにくると深く息をすることができる。そこではかつて生きた人の感情とも、今を生きている人の感情とも出会うことができるから。

リビセンのような場所が、近所にできたらいいのになー。

サポートがきましたって通知、ドキドキします。