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極限のエンタープライズ営業(地の巻)

はじめに


 先に記載した記事(天の巻)で大型エンタープライズ案件における3つの壁(検討の目の細かさ、検討期間の長さ、変化への慎重さ)について述べたが、今回はその壁を乗り越えるための考え方と思考をアウトプットするための思考の道具としてのフレームワーク(三種の神器)について解説していく。BtoCやSMB向けの営業活動では一案件の勝率よりも商談機会の量から筋のいい案件を絞り込みと商談プロセスを改善していくことで量から質に展化していくアプローチである。しかし、エンタープライズ案件ではそもそもの商談機会の絶対数も限られることもあるため一つ一つの商談から大きな商談に育てていく必要がある。どのように営業を進めていくかをあらゆる可能性を考えて実行していくため、情報と思考を量→質に展化させて極限まで勝率を上げていくアプローチになってくる。そのための情報と戦略を考えるためのフレームワークが下記の三種の神器である。

大型エンタープライズ営業の三種の神器

  • バイヤー相関図(パワーチャート)

  • アカウントプラン

  • シナリオWBS

本記事ではなぜこの3つが重要なのかについて解説していく。


エンタープライズ営業 三種の神器 その1:バイヤー相関図

 大手企業相手に営業を行う際に顧客企業特有の意思決定の法則を分析することが営業活動のスタートであり、その組織力学をモデル化したフレームワークが 【バイヤー相関図】 である。

 バイヤー相関図についての解説は下記の才流さんのRight touch野村さんへのインタビュー記事中に非常にわかりやすくまとめられているため、是非参考にしていただきたい。

エンタープライズセールスに向いている人とは?新規事業も創出できる「エンプラセールス」の可能性

  バイヤー相関図はいわば大手企業という山を登るための地図のようなものである。逆に地図も持たずにどこへ営業活動を行っていくべきかを把握する術を私は知らない。

 バイヤー相関図を作成する効能は主に3つある。
 1.道筋を見つけられる   
    営業にとってもっともつらい「何をすれば良いかわからない」がなくなる。

 2.プロセスコントロールができる   
  営業の「できていない所」が明確になる。埋まっていない部分(コンタクトが取れていないバイヤー)にリスクがある。

 3.アドバイスをもらいやすくなる   
  アプローチ状況を可視化することで営業活動のアイデア・アドバイス・コーチングを受けやすくなる。また複数の目で見てリスクを洗い出すことができる。

 誰のどんな欲求を満たせば購買の意思決定がされるのかということを明確にしてリスクを排除することで勝率を高めることが可能となる。最近では先の記事も含めて関連する情報も出回っていることからバイヤー相関図自体の概念も有用性も知っている方も多いだろう。
 しかし、それを日々の営業活動に用いて運用されているケースはあまり多くはないと思う。理由は単純で実に手間のかかる作業だからだ。 バイヤー相関図は一回書けばいいというものでもなく、初めは情報がなくスカスカの状態から営業活動を通じて埋めながらメンテナンスしていく必要がある。営業組織として共通言語化、レビューする文化がなければ定着することも難しい。チームとしての理解がなく一人の営業だけが一生懸命その作業を行っていたら、普通は「そんな時間を使って何をやってるんだ?」となってしまう。また、先に書いた効能の3つ目のアドバイスをもらうことが抜けると効果が半減することもある。レビューする/してもらうというタイミングがあることでメンテナンスも維持できるので適用するのであれば組織として取り組む方が効果的だ。 効果は高いものの運用負荷の高さから定着がしないケースが多いので、もしこれから取り入れようという場合は中長期的に取引を行いたい特定の重要アカウントに絞るなど自社のビジネスにあった形で始めることをお勧めする。

エンタープライズ営業 三種の神器 その2:アカウントプラン

 3つの神器の中で私が知る限り一番古いものがこのアカウントプランだ。IBMがサーバーを売ることを生業としていた頃から存在していたという。歴史が長い分様々な会社でアカウントプランの形があるため記載項目についても各社で共通フォーマット化されていることも多いと思う。特にプロダクトラインが複数あったり、一つの企業で複数部署に販売先がある場合のアップセル、クロスセルのポテンシャルをクリアにするのに有効だ。
 ただし、注意点としてはアカウントに関する情報をひとまとめにしようとし過ぎてあまり意味のない情報に溢れたレポートにならないようにすることだ。あくまで営業する意志がないとネットの公開情報を集めた学生の企業分析レポートのような代物ができあがってしまう。アカウントプランの目的は「売るものを決めること」にある。そのアカウントに対して提案したいことを決めることで関連する情報のアンテナを立てることができる。当然、営業活動を通じてアップデートされた情報をアカウントプランにもまた反映させていく。これもまたバイヤー相関同様に手間がかかる。時間軸でいうと年間のプランから4半期くらいの活動方針に落としていくのが現実的だと思う。
 ある程度情報が溜まり精度が上がってきたらアカウントプラン自体を営業活動のツールとしても使うことができる。特に既存顧客に対しては既存の取引と新規の提案を整理して並行して行うことの合意を取る上で有用だ。多くの場合は初期は自社の仮説として作成することから入ることになると思うが、徐々にそれを顧客にも仮説を提示して最終的には顧客とも活動方針として共用できると申し分なしだ。

エンタープライズ営業 三種の神器 その3:シナリオWBS

 中長期の案件を進めていくためにはどのように案件を進めていくかという「シナリオ」が必要となる。シナリオとは言葉の通り案件を進めていくための筋書き/ストーリーなのだが、私個人の経験としてもエンタープライズ営業に配置された新人時代に最も困惑した先輩からのフィードバックが「シナリオを書け」だった。書けと言われてもどこから考え書き出せばもわからなければ、それが受注というゴールにいかにして辿り着くのかもわからない中で想定で試行錯誤していくのである。ある程度経験を重ねていくとどのようなプロセスで案件を進めていくとそのシナリオがいい筋なのか、悪い筋なのかが経験則的にわかってくるようになるがその感覚を掴んで主体的に考えれるようになるには普通にやれば短く見積もっても3年はかかる。1年目は先輩の背中を追い、2年目でフィードバックをもらいながら試行錯誤しながら進め、3年目にようやく自分の考えで案件を進められるという実感が持てるようになるというのが現実的なところだ。 元々、半年から2年程度かかる大型エンタープライズ案件を初回の商談からクローズまで実体験を持って掴めるようになるにはどうしてもそれくらいの期間が必要なものだと考えていたが最近その問題に対する解決策になるのでないかというアイデアを思いついた。それが「シナリオWBS」である。
 ちなみに「シナリオWBS」という言葉はプロジェクトマネジメントにおけるWBS(Work Breakdown Structure)を営業における大型エンタープライズ案件の営業シナリオを融合させた考え方であり造語である。ここでのポイントはただのスケジュール表ではなく、受注から逆算したシナリオに沿って構造的にアクションとタスクまで落とし込む点にある。どんなに長く見える営業活動でも目の前の営業のアクションや日々の行動の積み重ねで成り立っており、それらが乖離することはない。この考え方の利点としては計画を立てる段階においても有益だが、振返りと検証に大きな利点がある。案件の辿った軌跡を将棋の棋譜のように残すことでプロセスにおけるポイントや他の案件にも応用できるアクションが情報資産として蓄積できる。多くの企業でSFAでリードタイムを見ているケースも多いかと思うが、大型案件のシナリオを立てる上で参考になる情報は過去の案件のリードタイムではなく、どの局面でどんな手を打ったかということだ。  
 もう一つの利点としてはエンタープライズ営業の育成にある。過去の案件プロセスを参考にできる点に加えてどこまで先のプロセスまで考えられているか、または考えられていないかかがわかるので、バイヤー相関図同様にレビューやアドバイスがしやすくなる。副次的には考えられた計画を示すことで「この案件いつ来るの?」という質問から始まる生産性のない会話をなくすことにもつながるといいと個人的には考えている。結果的にこのプロセスを回し続けることで案件毎に異なるエンタープライズ案件のストックが溜まっていくのでケースに合わせたアクションの引出しが組織のナレッジとして蓄積できると考えている。

エンタープライズ営業は「型化」できるか?すべきか?

 SFAやThe Model型の定着によってより「型」化が推奨されることが多いが、大型エンタープライズ案件の場合には無理に「型」にはめるよりもパターンを増やして順応性を上げる方が効果的なのではないかと個人的には考えている。どうしても型にこだわるのであれば経験値が溜まった上で共通パターンを見出すことができるのであれば、それに応じた傾向と対策に落とし込めるという流れが現実的なのではないだろうかと考えている。

 ここまでエンタープライズ大型案件に対してどのように考えてアプローチしていくかというフレームワークの概念について述べてきた。この記事では思考プロセスの概念についての記述を重視したため具体的な作成方法や手順などは割愛しているが、どのフレームワークも日常の中で実践しようとすると手間がかかるものではある。だが、天の巻でも触れたように半年先1年先、2年先という雲の先の頂を見て営業を行うということは、千里眼や未来を見る特殊能力を持たない普通の人である限りそれだけの労力が必要となるし、逆に普通の人でも十分可能だということだ。

 最終的な購買意思決定はそれまでの連続性のある商談の積み上げた先にあるからこそ最終提案に説得力と納得感が生まれるのである。大型商談になるほど、たまたまタイミングがよかったからということも少なければ、恵まれた機会のみに頼っている営業に再現性は生まれない。そこまでやるのは非効率だと思うのが普通の反応だと思うが、逆に言えば「誰に行くべきか?」「何を売るべきか?」「いつまでに、どのように進めていくか?」という問いに仮説もない状態でどうやって提案を進められるのだろうか? 当然、運用負荷を考えて何をどれくらいの粒度で実施するかは現実問題とのバランスにはなる。三種の神器はどれも書くことそのものが目的なのではなく、アウトプットに至る思考を通じて案件の精度を上げつつそれを営業組織のナレッジとしてブラッシュアップしていくことでエンタープライズ営業の質を上げていくことと考えている。本当に大型のエンタープライズ案件を獲得できるようになりたいのであれば、少しずつでも三種の神器の視点を入れて案件を見る目を磨いていくことをお勧めする。

 天の巻では、大型エンタープライズ案件ならではの壁について、地の巻では壁を登るためにどのような思考で営業を進めていくかということについてフレームワークを通じて整理してきた。続く人の巻ではこの章で述べた思考のフレームワークを使いこなすためにはどんな思考力が必要なのかという点を通じてエンタープライズ営業に求められる要素とそれを育む組織についても考えていく。


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