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Episode 16: ランビック〜自然の驚異〜

18世紀以降、ビール醸造の技術は大きく発展してきた。すでに紹介したピルスナーやIPA、ペールエールなどを醸造する技術は洗練され、現在では世界中で高品質のものが作られ、楽しまれている。

一方、500年も前の醸造法が現代まで変わることなく守られており、中世の味わいを今に伝えるビアスタイルがある。ベルギーのランビックである。

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ランビックは自然発酵のビールとして知られている。世界のビールの中には、いわゆるラボで培養されたビール酵母ではなく、自然の花や果物などから酵母を採取し、それを用いて作られているものもある。

ところが、ランビックはそういった、いわゆる天然酵母で作られたビールともまったく異なるのである。それはまさに自然界の驚異と呼ぶにふさわしいストーリーなのだ。

では、昔ながらのランビックの醸造法がどのようなものか見ていくことにしよう。

すべては自然まかせ

原料などに違いはあるものの、ランビックの醸造法の前半部分は通常のビールづくりと大きく変わることはない。麦芽を煮ることでデンプンを糖化させ、その後煮沸してホップを添加する。通常はこうしてできた麦汁を冷却し、ビール酵母を加えることで糖をアルコールに変換し、酒、すなわちビールが出来上がる。

ところが、ランビックではいわゆるビール酵母の投入というプロセスは行なわれない。その代わり、麦汁をクールシップと呼ばれる銅製で蓋のない発酵槽に入れたまま、放置するのである。そう、あとは自然に任せて放ったらかすというわけだ。

クールシップは醸造所の屋根裏に設置され、窓が開け放たれ、夜間、気温が下がって麦汁が冷える間に、空気中を浮遊する野生酵母が風に乗って液体に取り込まれる。人間が何もアクションを起こさずとも、自然の力で液体中に酵母が棲み着き、発酵が行なわれるのである。

このような醸造法でランビックを作っているは、ベルギーの首都ブリュッセルを流れるセンヌ川流域の限られた醸造所のみである。他のどの国や地域のどんなビールでも、空中に浮遊する酵母を利用して作られるものなど存在しない。

センヌ川沿いにのみ生育している野生酵母だけが、このようなビールを作り上げてくれるのである。センヌ川流域に棲み着いている微生物は150種を超えると言われているが、その中でも、ランビック作りに寄与しているものの中には、Brettanomyces Lambicus Brettanomyces Bruxellensis など、この地域にちなんだ学名をもつものまで存在するのだ。

ワインやコーヒーにはテロワールという考え方がある。生産地の地勢や気候が品種に与える特徴のことを指す言葉として使われている。ビールでも、ホップの産地などを考えればテロワールを論じることはできる。しかし、ランビックの作り方が地球上で唯一無二であるとなれば、これこそが究極のテロワールと言えるのかも知れない。

非常に原始的な発酵法であるため、夏場はコントロールが効かず汚染を招いてしまうこともある。そのため、通常は10月から3月などの寒い時期に醸造が行なわれる。まさに発酵と腐敗は背中合わせ、を地で行く手法なのである。

独特な味と香り

ランビックを初めて飲んだとき、複雑な表情を浮かべる人も多いだろう。およそ、自分たちが知っているビールのフレーバーとはまったく異なる味わいが口中に広がるからだ。好きな人はハマるだろうが、受け入れられない人も一定数いるのではないだろうか?

まず、発酵により生成された乳酸由来の強烈な酸味が感じられる。また、発酵によるフルーティーなエステルの香りも存分に感じ取れる。さらに、前述の野生酵母の中には、上で紹介した Lambicus や Bruxellensis など、いわゆるブレタノマイセス(Brettanomyces)属に分類されるものもあり、革や山羊、馬小屋、ホースブランケットなどに喩えられる独特なアロマが追い打ちをかけてくるのだ。

ランビックは原材料も非常に変わっている。

まずは麦芽にしていない生の小麦を30%以上使用する。さらに少なくとも3年以上経った古いホップを用いる。古いホップを使うのは、経済的な理由からではない。ランビックにとってホップを使う主たる理由は殺菌作用であり、苦味や香りづけではないのである。

古いホップを用いることにより、独特な香りにさらに拍車がかかる。酸化したホップにはイソヴァレリアン酸という成分が含まれるが、これはブルーチーズや納豆のような香りをもつ。人によって好き嫌いが分かれるのも当然かも知れない。

また通常、発酵と熟成に2年から3年ほどかける。野生酵母による発酵はゆっくりと進行し、麦芽由来の糖分がほぼ分解される。これにより、甘みが非常に少なくドライで、ボディもきわめてライトなビールに仕上がる。つまり、発酵由来の酸味が、とことん引き立てられているのである。

中世からの伝統

冒頭でも書いたが、ランビックには500年を超す歴史がある。特にブリュッセル近郊では中世から20世紀の初め頃まで、圧倒的に多数派のビアスタイルであったと言われている。したがって、センヌ川流域に暮らす人々にとっては、生活になくてはならない酒であったのだろう。

ランビックは中世の絵画にも登場する。中でも、16世紀の画家ピーテル・ブリューゲル(父)は、たびたびランビックを絵に描いたと言われている。ブリューゲル(父)は近年、中期の作品「バベルの塔」で日本でも注目を集めたので、ご存じの方も多いだろう。

彼の晩年の作品、例えば「農民の婚宴」「農民の踊り」では、石でできた水さしのような容器を持った村人が描かれている。この時期、ブリューゲルはブリュッセルで暮らしていた。したがって、絵の中で飲まれている酒はワインよりはビールであろうし、ブリュッセルが舞台であれば、容器から注がれるオレンジがかった薄茶色の液体は、おそらくランビックであろうと考えられるのである。

ランビックのバリエーション

ランビックにはいくつかのバリエーションがある。ここではそれらを紹介しよう。

自然発酵で醸造され、1〜2年寝かせただけのストレートランビックは、なかなか日本ではお目にかかれない。上で述べたように独特の香りと酸味が強いのが特徴である。

これに対し、グーズと呼ばれるものは、日本にも輸入されている。これは、1年未満の若いランビック(新酒)と2〜3年熟成させた古いランビック(古酒)を 7:3 程度の割合でブレンドしたものである。(下写真はブーン醸造所の Geuze Mariage Parfait)

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古いランビックに若いランビックが加えられることでさらに発酵が進み、発泡性やアルコール度数が強められる効果もある。

一般的にはシャンパンボトルに詰められて2次発酵が行なわれ、半年から1年半程度の熟成の後、出荷される。センヌ川が流れる地域はフランスとの交易も行なわれていたと伝えられているため、シャンパンにおけるブレンディングやカーボネーションを制御する技術が共有されていた可能性もある。

また、フルーツを加えたランビックもある。とくにポピュラーなのは、サクランボ(クリーク)やラズベリー(フランボワーズ)を加えたものであろう。(下写真は、フランボワーズを用いたカンティヨン醸造所による Rosé de Gambrinus)

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この他、リンゴ、クロスグリ(カシス)、桃、アンズ、ブドウ、イチゴなどを用いたものも知られている。いずれもフルーツ由来の果糖も2次発酵に寄与しているため、出来上がりのビールはドライになるが、フルーツのフレーバーがランビック独特の香りを和らげ、飲みやすく仕上がっている。

この他、キャンディーシュガーで甘みを加えたファロやアルコール度数を抑えたマールスといったものもあるが、マールスは現在ではほとんど作られていない。

日本に輸入されるランビックは、さまざまなブランドのうちの一部に過ぎない。機会があればぜひ、ブリュッセルに赴き、醸造所を訪れてみてほしい。ビールに対する考え方が大きく変わるに違いない。

代表的銘柄

《ベルジャンスタイル・グーズランビック》
  Cantillon Gueuze 100% Lambic Bio(ベルギー)
  Boon Geuze Mariage Parfait(ベルギー)
  Oud Beersel Oude Geuze Vieille(ベルギー)
  Girardin Gueuze 1882(ベルギー)
  Lindemans Oude Gueuze Cuvée René(ベルギー)
  3 Fonteinen Oude Geuze(ベルギー)

《ベルジャンスタイル・フルーツランビック》
  Cantillon Rosé de Gambrinus(ベルギー)
  Cantillon Kriek 100% Lambic Bio(ベルギー)
  Cantillon Vigneronne(ベルギー)
  Boon Kriek(ベルギー)
  Lindemans Cassis(ベルギー)

上でも述べたとおり、ランビックは人によって好みが分かれる。通常、我々はビールを選ぶが、ひょっとするとランビックは人を選ぶビールかもしれない。あなたがランビックに選ばれれば、ビールの楽しみは何倍にも広がるだろう。仮に選ばれなくても、問題はない。ビールの世界が想像以上に広いことだけは感じてもらえるはずだ。

さらに知りたい方に…

さて,このようなビアスタイルについてもっとよく知りたいという方には、拙訳の『コンプリート・ビア・コース:真のビア・ギークになるための12講』(楽工社)がオススメ。米国のジャーナリスト、ジョシュア・M・バーンステインの手による『The Complete Beer Course』の日本語版だ。80を超えるビアスタイルについてその歴史や特徴が多彩な図版とともに紹介されている他、ちょっとマニアックなトリビアも散りばめられている。300ページを超える大著ながら、オールカラーで読みやすく、ビール片手にゆっくりとページをめくるのは素晴らしい体験となることだろう。1回か2回飲みに行くくらいのコストで一生モノの知識が手に入ること間違いなしだ。(本記事のビール写真も同書からの転載である。)

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また、ビールのテイスティング法やビアスタイルについてしっかりと学んでみたいという方には、私も講師を務める日本地ビール協会「ビアテイスター®セミナー」をお薦めしたい。たった1日の講習でビールの専門家としての基礎を学ぶことができ、最後に行なわれる認定試験に合格すれば晴れて「ビアテイスター®」の称号も手に入る。ぜひ挑戦してみてほしい。東京や横浜の会場ならば、私が講師を担当する回に当たるかもしれない。会場で会いましょう。

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