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(2020/10/14)私的・筒美京平作品選

日本のポップスの巨匠、筒美京平さんが亡くなられました。ポップスフリークな自分としては、寂しいニュースです。
筒美さんは、あまりメディア露出を好まない方だったそうで、ご本人出演の映像やインタビューは極々わずか。しかも、作曲した作品の幅もかなり広くて、一時期は、「筒美京平は覆面のユニットか何かで、実在しないのではないか?」なんていう都市伝説なんかもあったように記憶しています。
それだけ偉大な方だったわけですが、この方のような職業作曲家は、多分音楽好きでもなければあまり目の行かない世界なんだろうなあとも思います。
自分も、中学高校の頃、70年代〜80年代の日本のポップスや歌謡曲をくまなく聴いてた時期があったのですが、CDのジャケットのクレジット欄でよく見かける名前でしたから、その頃から筒美さんの存在は認識していて、「あ、この曲もこの人の曲なのか!」とその作品の多彩さに驚いていたものです。
そんな膨大な筒美作品の中から、個人的に印象に残ってたり、気に入っている曲をいくつか挙げてみたいと思います。
よかったら、この機会に古き良き日本のポップスに耳を傾けてみてはいかがでしょう(古き良きとかいう時代感覚になってきたのがいささかショック。笑)


「強い気持ち、強い愛」(小沢健二/1995)

こちら、渋谷系の大家小沢健二によるヒット曲。私はちょうど大学生の頃でした。この曲は小沢健二と筒美京平の共作になります。クレジットを確かめると、弦の編曲は服部隆之氏。華やかなりし90年代のポップスそのものという感じがします。個人的には90年代ポップスの名曲の一つ。
流行り物にありがちの古びた感じがしなくて、今聴いてもイカしてるよなあと思います。ファンキーでおしゃれなアレンジもめちゃカッコいい。
小沢健二の作品では、個人的にはかなりポップに寄せてきたよなあという印象を持っていますが、その辺りは、筒美さんとのコラボがかなり効いているのではないかと思われます。


「木綿のハンカチーフ」(太田裕美/1975)

筒美さんの代表曲のひとつ。言わずもがなの名曲ですね。
この曲初めて聴いたとき、「サビはどれ?てゆうか、全部サビなのか?」というほどにメロディーのキャラクターが強烈な印象を受けました。
筒美さんの作品に限らず、この頃の歌謡曲によく見られる傾向ではありますが、80年代以降に席巻するような、8小節単位のフレーズでA-B-サビ、のようないわゆる王道な楽曲展開にはよらないような、はっきりとした形式のない楽曲が多いですね。あえて字余り的な小節があったりして。けど、音楽的な違和感が全くない。この曲もそのひとつ。
思うに、歌詞がとりわけ大切にされていたように思います。歌詞や歌のストーリーをどのように演出するかという点がとりわけ重視された時代だったのではないかな。
作詞は松本隆。当初、松本さんは、手紙を読んでいるような内容のこの歌詞を「この曲には曲がつけられないだろう」と、半ば挑戦的に書いたところ、筒美さんから届いた曲は、もうこのメロディ以外あり得ないだろう、という物が届き、驚愕したというエピソードがとても好きなのです。
確かに、このメロディ以外あり得ないくらいのハマり曲です。


「愛の挽歌」(つなき&みどり/1972)

これは良いですよー。
妻の実家で義母が所有していた古いレコードの中から出てきて、メロディのインパクトとアレンジの展開に度肝を抜かれました。もちろん歌唱力も。
この曲が収録された同名のアルバムもあるのですが、これがまた、A&Mやモータウンなど、当時のアメリカのポップスシーンをかなり研究して作られたんだろうなあという形跡が随所に見られます。
バートバカラックやロジャーニコルス、ポールウィリアムスなどの作品をかかなり意識してたように思います(アルバムではギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」もカヴァーされてますが)。そこをベースに、いかに日本人の耳に馴染むように工夫していくかを探索していたかのような印象です。
スーパーヒット曲というわけではありませんが、作家としてのアイデンティティがどう確立されていったのかを知る手がかりとしては、とても興味深い作品です。


「サザエさん一家」(宇野ゆう子/1969)

言わずと知れた、サザエさんのエンディングテーマ曲ですね。
この曲も、筒美さんの作曲です。エンディングのクレジットで大きく出てくるので、ご存知の方も多いかもしれません。
ほのぼのとした、覚えやすく親しみのある曲ですが、この曲には元ネタになったであろう曲があります。
もはやオマージュの世界では、というほど。イントロの出だしを聞いただけでは、区別がつきませんが(笑)、筒美さんが、時代ごとの洋楽の影響を色濃く受けていて、それを日本的なものとしてどう咀嚼するかにこだわっていたことが少し感じられます。
では、その元ネタであろう、1910フルーツガムカンパニーの「Bubblegum World」をお聴きくださいませー。


「人魚」(NOKKO/1994)


これ、筒美作品では最も好きな曲の一つです。
ドラマの主題歌だったかと思うのですが、初めて聴いた時は「なんだこれは?」という不思議な印象でしたが、聴けば聴くほどやめられなくなる中毒性がありますね。NOKKOのあの独特な声質や、アレンジを手掛けたひとり、テイ・トウワのアバンギャルドな音楽性によるところもあると思うのですが、その個性に埋もれないほどの普遍性のあるメロディを作る人なのかということが見事に証明されています。
ちなみに、多くの方がカヴァーされてますが、やはりメロディの良さが浮き立ってます。


「仮面舞踏会」(少年隊/1986)

アラフォー世代の懐メロ。80年代アイドル全盛期の名曲と勝手に思っています。当時のレコード大賞の最優秀新人賞を受賞して、3人が涙ながらに歌唱していたのをうっすら思い出します。
昔の作品と合わせて聞くと、時代とともに、メロディーやアプローチがどんどんアップデートされていくのがよくわかるかと思います。
これを続けることがいかに難しいことか・・・
ちなみに、ジャニーさんが編曲担当の船山基紀氏に「100万枚売れるようなインパクトのあるイントロを」とリクエストした印象的なイントロも聴きどころです。
今となってはほとんど見られない、職人が頭を突き合わせてヒット曲を作っていくというこの頃のスタイル、改めて良いなあと思います。


「Romanticが止まらない」(C-C-B/1985)

こちらも80年代のヒット曲。
テクノポップでイントロのシンセがかなり印象的な曲ですね。この曲の編曲も、仮面舞踏会と同じ船山基紀さん。
ただ、筒美さんは当初このアレンジ案があまり気に入らなかったそうですが、最終的にメンバーの意見により、このまま採用になって、結果大ヒットすることになり「なんでもやってみるもんだね」という言葉に、船山さんが崩れ落ちそうになったという裏話。
いやあ、でも、やっぱり、あのアレンジあってのあの曲だよなあ、と思います。


「AMBITIOUS JAPAN!」(TOKIO/2003)

東海道新幹線の車内チャイムの「ポンポンポンポポーン♪」のメロディにもなっている、あの曲です。これも筒美さんの作曲だったんですよね。
もともとJR東海のキャンペーンに合わせて作られた曲だったのですが、反響が大きかったことから、その後も続いたというエピソードがあります。
この曲のヒットで、筒美さんは、1960年代から2000年代まで、実に50年に跨ってシングルチャートの1位を達成したという記念碑的な曲でもあります。
この曲聴くとなんか無性に新幹線乗りたくなるんですよね(笑)。
諸般の事情なのか、本人出演の映像がなかったので(涙)、こちらの映像でお楽しみくださいませ。


ヒット曲があまりに多すぎて、挙げ始めるとキリがなくなってしまいます。
時代ごとの流行というものは過ぎ去ってしまうと一気に廃れたり、古臭くなってしまうものですが、50年以上にわたって、その時代ごとに愛されるポップスを作り続けることができるのは、並大抵のことではありません。
時代感覚もそうだし、自身の感性も常にアップデートし続けなければいけないことですし、そういう意味で、職業作曲家というもののプライドを体現し続けてきたんだろうなと思いますね。
そういう意味で、新しいものを取り入れていく気概は、創作表現を続けていく人間にとっては、忘れちゃいけないことだなと改めて思います。

ステキなポップスを生み続けた筒美さんに心からの感謝と敬意を!!

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