しょうもない日々に乾杯を

 皆さんは「カンパイワーク」というのをご存じだろうか?なんてことはない、キャバクラやホストクラブ、スナック等といった、いわるゆるナイトワーク、飲み屋の仕事のことである。

 最近はニュースで「夜の街」と称される、接待を伴う飲食店の仕事をより一層フランクに言い換えたもので、主に求人情報で目にする言葉である。むしろそれ以外ではなかなか見掛けないので、職業を表す言葉として一般に浸透しているかはわからない。

 「ナイトワーク」と聞くと、若干いかがわしい雰囲気が漂っている気はしないだろうか?
それを払拭するためかどうかは知らないが、飲み始めの合図である「乾杯」という言葉を使って、なんとなく明るく健全なイメージを作ろうとした感が否めない。幼児だって麦茶で乾杯するくらいだ、耳馴染みはいいだろう。
しかし、「カンパイワーク!」の隣に、こういった求人情報によくある「高収入!」「飲めなくても安心!」と並ばれると、かえっていかがわしさが増したように感じてなんだかなぁと笑えてしまう。


 恥ずかしながらわたしも、そういったカンパイワークに就いて久しいのだが、最近はめっきり乾杯をしていない。
このコロナ禍で、都会はどうだか知らないけれど、地方の夜の街はすっかり静かになってしまった。採算が採れず、未だに休業している店もあれば、耐えきれずに廃業してしまった店もある。

 もともとわたしが家でまでお酒を飲むのは希なことだ。お酒そのものが好きかと言われれば、正直なんともいえないところ。
でも、飲んでいる店の雰囲気とか、つまみにいただくお料理とか、誰かと一緒にいるとか、そういうことも合わさって、「酒を飲む」というのは楽しかった。
最近はろくに外出もしていないので、身近なお酒と言えば料理酒くらいなもの。もはやカンパイワークの風上にも置けない状況だ。    


 今や世界中が新型コロナウイルスと闘っており、会社帰りのお父ちゃんたちが、居酒屋のあとにドレス姿のオネーチャンと気ままにお酒を飲む──そんな呑気な日常を送っている場合ではなくなってしまったのだ。
不要不急の外出自粛を求められて、はっきりと認識した。わかってはいたけれど、我々の業種は人間生活を送る上で、それがなければ成り立たない、といったものではない。
生活に余裕がなくなれば真っ先に削られる、必要のないものなのだ。

 会話を楽しみたい、お酒の場に女の子がほしい、女の子を口説きたい等、人によって飲み屋の楽しみ方は違うだろう。
ただ、基本はあくまでそのひとときを楽しむためだけのもの。売っているのは主に接客時間だが、お酒という嗜好品とセット売りされた、言ってしまえばさらなる嗜好品なのだ。それはもう不要不急の極みなわけである。

 こんなことになるなんて……。そう思った時期もあった。けれど、なってしまったものは仕方ない。いいときはいいしダメなときはダメ、安定がないのが水商売というものだ。


*****


 わたしの勤めるお店は数ヵ月の自主休業を経て、今はオープンこそしているものの、出勤する女の子も来店するお客様も片手で数えきれるのではないかというほどにまばらで、開店休業に近い状態らしい。
らしい、というのは、わたしがろくに出勤をしておらず、小耳に挟む程度にしか状況を知らないからだ。

 もちろん生きていく上でお金は必要で、わたしの職業はカンパイ系飲み屋の女。怖いなぁと思いながらも仕事に出向くこともあった。
地方ゆえに人口が少なく、新規感染者数も少ないので、今のところ首都圏よりはリスクは少ないとは思う。ただ、そうはいっても県内外へと人は流れるし、わたしにとって、幽霊・ウイルス・心の機微といった、目に見えないものほど恐ろしいものはない。たくさんの人が動く連休や帰省のタイミングがあれば、その前後は自主的に休業させていただいていたので、わたしが最後に仕事をしたのは、もう1ヶ月以上もの話である。自分をカンパイ系と称していいのかも、いよいよ怪しくなってきた。

 働いて外貨を得ないわけにはいかない。かといって、コロナウイルスの流行する以前のように、闇雲に出勤することも憚られる。
転職も視野に入れてはみるものの、ただでさえ面倒な事情を抱えたわたしに、こんな情勢でちょうどいい条件の仕事が見つかるかはわからない。偉そうに精選したうえに雇っていただけるかとなると、またさらにわからない。
バランスの難しい問題なので、そのうちわたしは考えることをやめた。


*****


 職場の休業が告げられたのは、3月の末のことだった。
当時、首都圏で増えていく新規感染者のニュースは、地方に住まう我々にとって、コロナウイルスの脅威は心配ではありながらも、まだわりと他人事だったように思う。念のためキャバクラに行くのはやめておこう──そういった程度で、日に日に客入りは悪くなってきていたけれど、まぁまだそこまで深刻といった感じでもなかった。
そうはいってもお客様がいらっしゃらないとなると赤字まっしぐらなので、お客様の来店予定のない女の子はシフトを削るとか、全体の出勤時間を遅くして時給を削るとか、早めに店を閉めるとか、アルバイトのボーイには休んでもらうとか、とにもかくにも人件費を削る方向で営業を続けていた。


 コロナウイルスへの認識が変わったのは、お笑い芸人である志村けんが亡くなったことが、ひとつの大きなきっかけだったように思う。
念のため確認するが、誰の命が重くて、誰の命が軽いとか、そういったことでは決してない。そして少なくともわたしは、いや、この国のほとんどの人間は、彼と直接の知り合いという訳ではない。でも、一方的ではあるが、物心ついたときから彼はわたしの「知っている人」であった。好き嫌いはさておき、多くの人がそうだったであろう。
そんな彼の死は、自分が思っていたより遥かにショックで、あまりにも衝撃的だった。

 わたしの祖母と娘の、家族のこと以外での初めての共通の話題は、志村けんの「バカ殿」と「アイーン」であった。年の差72才の祖母とひ孫の4世代を結ぶ、なんとも希少なおじさん。関係性は、赤の他人。そんな親戚でも友人でもない人間の死に、わたしはぼろぼろと泣いた。
テレビで見るだけの変なおじさんの死を悼んで涙を流したのは、きっとわたしだけではない。

 彼の訃報が流れてから、少なくともわたしのまわりでは、人の流れが大きく変わった。楽観的な夜の住民でさえも、漠然と「さすがにヤバイ」と思ったのだろう。
出勤率や売り上げの悪さもあいまって、わたしの職場は先の見えない自主休業に突入したのだった。


*****


 もともと営業熱心ではないわたしは、お客様とまめに連絡を取るタイプではなかった。
もちろん客席ではそれなりに盛り上げようともするし、楽しくお酒を飲んでいただけるような雰囲気を作るようにはしてきた。化粧をして、綺麗なドレスを着て、時にはお酒の勢いを借りて。知らない人と会話するのは今でも本当に苦手だが、わたしの中のあらゆる変身スイッチを押してさえいれば、基本的に営業中の仕事に支障はなかった。

 問題は、特に家に帰ってから、変身がまるで解けた状態の話である。
友人や家族でさえ満足にリアクションを起こすことのできないわたしが、よくも知らない男性と軽やかにメッセージのやり取りをするのは、まぁ不可能なことだった。なので休業中ともなると、まったくの素面で、当たり障りなく話すネタのひとつも思い浮かばない。
やがて、わたしのスマートフォンはほとんどネット専用機となり、本来の存在意義を見失ってしまったようであった。


 あるとき、ふいにメッセージの通知音が鳴った。
日がな一日送られてくるメールマガジンの類いはサイレント設定にされているので、さては家族からのものかと思い、画面を開く。送り主は、ふた月に1度ほど来店してくださる、それほど付き合いの長くないお客様だった。
受信メッセージ一覧に、「元気か?…」という文字が表示されている。改行のあと、それに続く文章は、なんだろうか。

 めんどくさい誘いだったら嫌だな。
最初に思ったのは、そんなことだった。同業者の一部の女の子たちが、これまた一部の理解のないお客様たちから、店の休みをいいことに、せっかく休みなら遊ぼう、飲みに行こう等と連絡が来るのに疲れた──そんな話をグループチャットでしていたからだ。

 ひとくちに休みといっても、外出自粛要請に伴う休業だというのに、遊びに誘われてはたまったものではない。だいたい、せっかくだから、なんて言われても、こんな状況でなにがせっかくなのか見当もつかない。
中には、世情を理由にお断りを入れたら、所詮飲み屋の女なんてああだこうだと、よくわからない罵倒をされたなんて子もいたくらいだ。ただでさえ先行き不透明な自粛生活でストレスが溜まっているのに、面倒なことは増やしたくない。

 恐る恐るメッセージを開いてみると、絵文字も顔文字もない、シンプルなメッセージが数行並んでいた。

「元気か?ちゃんとメシ食えてる?店やってないんだろ?本当に困ったら2万くらいなら貸してやるから言ってこいよ!」

 送り主のお客様の、本当の心のうちはわからない。
なんとなく知っている人に、気まぐれで優しい言葉を掛けてみただけかもしれない。ちょっと格好つけて言ってみただけで、わたしが本当にお金を貸してくれと泣きついたら、そんなつもりはなかったのにと困らせてしまうかもしれない。
それに正直なところ、仮に本心から来る話であったとしても、本当に困窮していたのなら、一度きり借りた2万円でそれがどうにかなるとは思えない。

 でも、それでもわたしは、思わず目頭が熱くなるくらいに嬉しかった。本心だろうが上っ面だろうがどちらでもいい。生きてるか、食べてるかと、わたしのことを心配する素振りを見せてくれたことが嬉しかった。
そして、あまりにも自分に余裕がなくなっていたことに気付き、ちょっとだけ反省した。

少し時間が経って気持ちが落ち着いてから、
「やることはないけど元気だよ、そちらはどう?
とりあえず今は大丈夫だけど、本当にどうにもいかなくなって頼ることがあったら、そのときはよろしくお願いします!
心配してくれて、どうもありがとう。」

そんなようなことを返信した。
彼からお金を借りるつもりは当然なかったし、それはこれから先も、ない。
軽くも重くもならない、ちょうどいい返事の仕方は今でもわからないけれど、最後の一言だけは本音である。


*****


 あれから今に至るまで、ありがたいことに、同じような連絡を何人ものお客様からいただいた。さまざまな欲望の渦巻く夜の街にも、優しい光があることに感謝した。
世の中には社交辞令というものがあるから、もちろんわたしとて言葉のすべてを鵜呑みにはしていない。男と女なのだから、当然下心だってあったりするのだろう。
なにせわたしと彼らは、飲み屋で知り合った、ビールに浮かんだ泡のようにうたかたな仲。源氏名、あだ名で呼び合うだけで、本名だってろくに知らない人ばかりだ。都合の悪いことはお互いに隠しているだろう。面倒なことや苛立つことも度々あった。
それでも、なにを気にするでもなくグラスを傾けていられたあの日々は、今となってはとても懐かしく、そして愛しく思える。

 コロナウイルスがすっぱりと終息したところで、以前と変わらずまったく元通り、なんてことは起きないだろう。生活様式も働き方も大きく変わってしまった。
わたしだって、いつまでも飲み屋の女を続けているとは思えない。
けれど、願わくばいつの日か、あの頃のようにくだらない話をして、また乾杯できることを祈っている。


#また乾杯しよう

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