見出し画像

ゲームのように難易度を選べばいい

ぷよぷよ(ゲーム)の「やさしい」「ふつう」「むずい」を選ぶ時のように、

わたし達はどうやら、
それぞれ「難易度」を選んで生きているようだ。

「やさしい」を選んだ方が、ゲーム(課題)をカンタンにクリアできるんだけど、「むずい」を選びたくなるときもある。

「むずい」を選ぶと時間もかかるし、そりゃもう難しいんだけど、やり遂げたときの達成感「よっしゃー!!」が言いたいがために、選んじゃう時もある。

1人でゲーム(課題)するときに好きなモード選ぶのは問題ないのだけど、複数人でゲーム(課題)に取り組む場面でそれは起こる。

たとえば、パートナー間でそれぞれが選んだ難易度が違った時に、言い争ったりケンカっぽくなりがち。

母と話してて、ようやく気が付いた。

「こっちの方法を選べば効率よくて簡単で、早く作業が終わるのに、夫はなんであえて複雑にして、難しくしたがるのかしら?」

ひとつのゲーム(課題)をクリアするのに、
すぐに簡単にクリアしてしまったら、味気なさすぎてつまらないから、難しくして、ストーリーが盛り上がるようにちょっと遠回りとかして、そんで、色々あって「自分で乗り越えたぞ!やったあ!!」っていう達成感を味わいたくてやっている。

その難易度を、それぞれが選んでいる。

だから、母のように「なんで複雑にしたがるのかしら?」と思う時には、
あぁ、そうか。夫は「むずい」モードを選んで、その大変な工程も込みで味わおうとしてるんだわ。と、思えるといいかも。

そして、父のように「そんな簡単にうまくいくわけ無いだろ!!!」て思うときには、あぁ、そうか。妻は、「やさしい」モードを選んでるんだな。
自分はと言えば「むずい」モードを選んで楽しみたいんだな、と思えるといいかも。

それぞれが「自分の方がぜったい正しい!!!」
って主張して、ケンカしがち
だけども。

「自分がぜったい正しい!!!」て思ったときこそ、何かが抜け落ちてて、何かが偏った考え方になってると思ったほうがいい。

選んだ難易度がそれぞれ違っても、お互いを否定せず、尊重できたらいいな。
(なんて思いつつ、ケンカしちゃうけどね。)
(ま、頭の片隅に、置いときますか。)

そんで、これからもしも、
むずいゲーム来たーっ
むずい課題きたーっ

て時には、「あ、そうだった」
このゲーム、「やさしい」「ふつう」「むずい」とか選べるんだった、って思い出してみよう。

んで、「シンプル」「らくらく」てモードもつくって、
そっち選んだっていいんだよ、ってな具合に、

「ゆるゆるいこうぜ」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?