親に「辞めていいよ」と言われ、有り難みに気づけた高校時代

僕は千葉県にある 市立船橋高校 という高校を卒業しました。

高校サッカーでは少し有名校だと思います。

通称 市船 と言われていますが、【市船サッカー部】と聞いてどんな印象をおもちですか?

高校の時の話を少しだけ話せればなと思います。


風の噂では聞いていましたが、
やっぱり強いだけあって、噂以上に大変でした。

市船には、英語科、普通科、商業科、体育科があって、
僕は体育科に入学したので、先生方も体育会系の先生が多く、挨拶、礼儀はもちろん、服装、時間にも厳しく
慣れるまでは、部活以外も大変でした。
もちろん上下関係もしっかりしていたので、
先輩を見かければ挨拶するのは当たり前、
とにかく厳しいというか、人として当たり前の事を徹底的に教わりました。

そして1年生の間は部活の準備と片付けをしなくてはいけません。
今と違うのが、土のグランドだったので、ライン引きや終わった後のトンボがけ(グランド整備)も毎日してました。

もちろん練習は厳しく、そのおかげでプロとしてできていると、今では感謝に変わっていますが、
本当に大変でした。

当時は、朝練が週に2回で、夜、練習が終わり家に帰ると10:00前後、そこからご飯食べて風呂に入れば11:00は過ぎますし、
次の日朝練だったら、6:30には電車に乗っていたと思います。

とにかくきつかった。日程的にもきついんですが、練習の内容、走りのメニュー、学校でも常に気を張ってる感じ。

そんな日々で心身共に鍛えられた高校時代なんですが、
ある時に、本当に嫌になった時期があるんです。
学校もサッカーも全部。

中学の仲間と連絡を取れば
学校でのたわいもない出来事、恋愛、サッカーも楽しんでるレベルの話が羨ましくなり、
全てを投げ出したくなったんです。

部活帰りに家の玄関で動けなかった自分に、
母親が「明日もあるんだから早く風呂入ってご飯食べなさい」と
僕は「サッカーやめるわ」と心の声が漏れたんです。

そしたら…

「辞めていいよ」

と母親が言い、そのまま続けて

「お母さんも、朝起きて弁当作らなくていいし、洗濯物も減るから良かった」と笑ったんです。

その笑顔には嫌味らしさは全くなく、

本当にキツかったら辞めていいよ。という母親の優しさの笑顔だったのを今でも覚えてます。

その瞬間本当に無意識に涙が出ました。

自分だけでサッカーしてるんじゃないんだ!って。
親もお金はもちろん、労力を使って支えてくれる事に気づき、
初めて本気で有り難みを感じました。

ここまでしてきてくれた親の恩を知らなかった自分に
腹が立つ気持ち、情けない気持ち、
何かあれば八つ当たりをし、ストレスをぶつけていた事も少なくありません。

その出来事は僕はすごく大きく、
おかげで歯を食いしばり、理不尽からも逃げず、
3年間過ごせたんだと思います。

おそらくこれからの人生で、あれだけ厳しく、理不尽な時間はないと思います。笑

今でも高校時代の仲間と会うと
そんな日々を笑いながら話せたり、
みんな口を揃えていうのが「あの時があったから…」と言います。

辛い経験、理不尽や厳しい時間は、のちに感謝に変わり
その人の人生の糧になるんだなと思いました。

本当に今では感謝の3年間です。
もう一度高校時代に戻れるなら、絶対に行きませんが。笑

でも人には「大変だけど」と前置きした上で薦めると思います。
大変な思いをする事で、得られるものは大きいと知った今だから言える事なんですが。


最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

koken

p.s.

″大変″とは″大きく変わる″事

高校時代に言われた言葉です。
その意味がやっとわかるようになってきました。

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