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日光へ向かう⑨中禅寺湖 湖畔

※独自のバスガイド台本をまとめたものです。バスガイドの皆様と共有してみたいと思い投稿しております。表現や情報の誤り、新しい情報を見つけましたらご指導ご鞭撻ください。

大鳥居

二荒山神社中宮祠の大鳥居です。
高さ15m
幅20m
昭和44年に作られたものです。

巫女石(みこいし)

鳥居の足元に柵に囲まれている石がございます。
男体山は女人禁制でしたがとある巫女が
「私は神に使える身だから山に登っても許される」と振り切って中禅寺湖まで登ってきてしまい
しかし湖畔に来た時に石にされてしまったのだと言います。

中禅寺湖

いろは坂を登り奥日光の入り口に入って参りました。
標高1269mまで上がってきました。
大きく見えてきた中禅寺湖です。
周囲約25㎞
最大深度183mの大きな湖です。
およそ2万年前男体山の噴火による溶岩で渓谷が堰き止められた事で原型が出来ました。
発見されましたのは勝道上人が登頂に成功し山の上から発見した物です
始めは山の南に見つけた事から「南湖(なんこ)」と名付けたそうです。

その後明治9年 には明治天皇が「幸の湖(さちのこ)」とも名付けております

遊覧船に乗って水上から景色を楽しむコースは人気です。
紅葉シーズンには「紅葉廻り」のコースも運行されます

中禅寺

東照宮近くにございました日光山輪王寺の管轄です。
784年に勝道上人(しょうどうしょうにん)によって建立されました
御本尊である「十一面千手観世音菩薩」は勝道上人が中禅寺湖で見た観音様のお姿を根を張ったままの桂の木に彫ったものとされており
珍しいその作りから立木観音と呼ばれております。国重要文化財に指定されております。

波之利大黒天(はしりだいこくてん)

勝道上人が男体山に登るため、目の前の湖に祈願したところ湖面に大黒天様をお姿を現しました。
波の上を走るように見えた事から、波之利と書いて“はしり”と呼ばれるようになりました。

牛石(うしいし)

女人同様に牛馬禁制であったのを人間の欲により連れて来られた牛が神の怒りに触れ医師に貸したと伝えられた牛石は昭和の時代に失われてしまいましたが一部がご覧いただけております。
平成21年に中宮祠境内に復元されました。
心を磨く牛石ブラシとして ブラシが置かれており牛石を磨いて己の心も磨くご利益ある石像になっております

道路から見える牛石の一部
中宮祠内にある 牛石レプリカ

二荒山神社 中宮祠 

(ふたらさんじんじゃ ちゅうぐうし)
男体山にある二荒山奥宮と日光山内の二荒山神社の本宮の中間にあるため中宮祠と呼ばれております。

登拝門(とうはいもん)

山を登って参拝する門です。
この門が開くのは毎年4月25日から11月11日だけです
4月25日は開山祭と11月11日には閉山祭が行われます

期間中に社務所に申し出せばこの門から男体山に登る事が出来ます
7月31日からの一週間、奥宮に登る伝統行事である登拝祭が行われます。
特に31日の午前0時は大賑わいで危険防止の為100人ずつ登山するように規制しているそうです。
登拝門から奥宮までは約6㎞標高差は1200mほどで約3時間ほどの道のりだそうです。

登拝門

「中宮祠のイチイ」

栃木県指定天然記念物に指定されているイチイの木は2本生えていますが両方とも樹齢1000年以上とされております。

お社の奥に2本のイチイ


二荒山神社 (ふたらさんじんじゃ)

男体山(二荒山)をご神体として山頂に奥宮を構える神社です。
古くから下野国の一宮として慕われてきました
祭神は二荒山大神とし
こちらの親子3橋柱をお祀りしております。
大己貴命  (おおなむちのみこと)  父
田心姫命  (たごりひめのみこと)  母
味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)子

オオナムチは統治していた葦原中国(あしはらなかつくに)を叔母であるアマテラスに譲り
出雲に大きな社を作らせた「国譲り」で有名です。
タゴリヒメはスサノオとアマテラスの誓約でスサノオから生まれた宗像三女神という美人三姉妹の一人。
その息子アジスキタカヒコネは雷の神様です。

本宮

こちら本社の本殿は1619年に徳川二代将軍秀忠公が寄進した当時のものです。
オオナムチは縁結びの神さまとして知られておりこちらも縁結びにご利益があると言われます。
宇都宮二荒山神社との区別の為日光二荒山神社と表現されております。
二荒山神社の境内は東照宮、輪王寺の境内とともに「日光山内」として国の史跡に指定されおります。
さらに1999年には「日光の社寺」として世界遺産に登録されました。

上野島(こうずけしま)

周囲70mほどで中禅寺湖に浮かぶ唯一の小さな島です。
しかし会場保安庁が定める島は「周囲100m以上を島とする」という定義があるため日本の島には含まれておりません。
岸が1番近い所からは60mほどで湖水の水位が低いときは歩くこともできるそうです。
また、勝道上人の首骨納塔(しゅこくのうとう)と慈眼大師(じがんだいし)、天海の墓石があり、県の重要文化財に指定されています。

名前の由来

栃木県は下野なのになぜ群馬の上野という名前がついているのか、、、不思議なところです。
島の名前の由来は勝道上人の骨の一部が治められており、勝道上人は上野国総講師(こうづけのくにそうこうし)であったから。という説が有力です。
また、下野の男体山の神と上野の赤城山の神が戦場ヶ原で戦った際に
赤城の山が「この湖とー-りっぴ!」とこの島を置いてここは上野!としたのがこの島という説もあります。

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