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ロゴセラピー(実存分析)の考え方【意味を追求する】

ロゴセラピーは、生活の中で意味のあることを行う、自分の生涯に意味を見出す、という「意味の探求」や「人間存在の意味」に焦点をあてた生活態度に関する理論です。

・自分の決断が自分を作り上げる

ロゴセラピーは「意味のある充実した生活を送ること」を目標にします。

意味のあることを実現するには「何をするか(to do)」も大事ですが、ロゴセラピーでは「人間としてのあり方(to be)」を重視しています。

ロゴセラピーは実存分析とも呼ばれます。 実存とは、個々人の在り方のことであり、その人がどういう人であるかを表す言葉です。その人が「どういう人であるか」を作り上げるのはその人自身の決断によります。

人は生活の中で何を楽しみ、誰とともに過ごすかを選択し、場面ごとにどういった行動を取るかを日々決断しています。そういった決断の中で人は学習し、実存を作り上げています。

・意味は自分で見出す

ロゴセラピーはあらゆる「意味」を取り扱いますが、意味を人に押し付けることは厳しく戒められています。何に意味があるかは人によって異なるので、他人が決めつけることではないからです。

だから、他者に「こういう意味がありますよ」と教えることはできません。例えば不登校児童に対して「学校に行くことには意味があるんだよ~」とは言えません。

ロゴセラピーは絶対的な真実を示すものではなく、普遍的な正解もありません。けれども,人にはもともと意味を見出す力が備わっています。そのため,意味(正解)は自分で見つけていくことが可能なのです。

・ロゴセラピーの3つの基本理念

ロゴセラピーは、以下の3つが全ての人間に備わっているという立場を取ります。

1.意志の自由:環境要因や遺伝要因など、どんな制約があったとしても人間が持つ意志は自由である

たとえ環境や遺伝要因によって行動の自由や、表現の自由が制限されたとしても、どのように考え、どのような態度を取るかという意志は自分で決めることができるということです.

2.意味への意志:意味を求める動機こそ人間にとって最も根源的な動機である

意味を追い求めることは人にとって一次的なモチベーションであり、決して別の気持ちを合理化するために,二次的に持ち出されるものではありません。意味を見出すことはそれ自体がその人自身を突き動かすものになりうるのです。

3.人生の意味:どれだけ困難な状況でも、意味を実現する機会は決して失われない

どれほど困難な状況にあっても、「生きる意味がない」ということにはならず、「意味は何?」と問われているのは他でもない自分だと考えます.

・意味に至る方法

ロゴセラピーでは、意味を見出すためにどのようなことができるのかを大きく3つに分けて示します。

1.創造価値

作品を創作したり、行動を起こしたりして意味を実現する

2.体験価値

何かを体験したり、誰かと出会ったりすることで意味を実現する

3.態度価値

避けられない苦難に対して取る態度を決めることで意味を実現する

・「どうすればいいか?」と誰かに聞くのではなく、「『どうすればいいか?』は私に問われている」と考える

意味を感じるためには、生涯全体よりも、現在の自分が置かれている状況における行動が重要になります。自分がどうすればいいかを決めるのは自分しかいません。「どうすればうまく生活できますか?」という質問も的外れで、「どうすることが最善か?」はその時々で変化していきます。チェスや将棋のプロに譜面を見ずに「どんな手が一番いいですか?」と尋ねると困ってしまうのと同じです。

自分が自分の生活に意味を見出すのであって、誰かに何かをやってもらうだけの生涯というものは何の意味も持ちません。

今この瞬間の行動や決断に注目するので、「人生はいつか良いことがある」という甘いことはロゴセラピーでは言いません。

・唯一性と一回性

私たちの生涯は一度切りで、やり直すことはできません。そして忘れてはならないのは、私たちの一日一日、一時間一時間、瞬間瞬間も一度きりでやり直すことができないものであることです。つまり、今この瞬間の行動、苦悩をやり直すことはできないのです。

私たちの行為によって「まだ起こっていないこと(可能性)」が「起こったこと(現実)」になります。「起こっていないこと」を「起こす」という責任を自覚したいところです。責任を逃れようとするのではなく、責任を引き受ける喜びを持ち、今この状況で最もやるべきことに取り組みます。

目的に基づいて適切な選択をすることも大事ですが、自分がした選択を意味あるものにするために瞬間瞬間行動することも重要になってきます。

変えられること(態度を取る自由:抵抗)と変えられないこと(運命)がありますが、自分の人生を意味あるものにするのは変えられることを操作することです。実は「変えられないこと(病気や苦行)」を持っている人の方が「変えられること」にアプローチしやすいです。「変えられること」が満たされている人はそこで満足するので「変えられること」を意識しにくいのです。

・苦悩の本質

苦悩の本質はその人のその時の苦悩をその人自身が引き受けることです。苦悩の大きさを他の人と比べることはできませんし、他人の苦悩を引き受けることもできません。

大事なことは有意味な苦悩か無意味な苦悩かという違いです。苦悩に対して自分がどう向き合うかが重要でそれが態度価値に繋がり、生きる意味を見出す手段になります。

人の苦悩を引き受けることはできないですが、人の苦悩を「わかる」ことは大切なのか?という疑問が湧いてきます。

「自分の問題は自分で解決するしかない」としても、「わかろうとすること」は大事だと考えられます。人の背景や考え方によって異なりますが、これが苦しいんだというようなプロセスを理解して、「この人にとってはこれが苦しいんだね」と共感できると良いでしょう。

・人は身体・心理・精神の3次元からなる存在である【次元的存在論】

人は身体、心理、精神の3次元から構成されます。精神次元こそが人間の本質ですが、精神次元だけに従うわけではありません。

身体次元と心理次元(合わせて心身体と呼びます)は自分の生命を保持するために働くもので、他の動物にも備わっている機能です。

精神次元は自分自身の心身体の働きを超えて自分以外の何かのため意味のあることを行おうとする働きです。これを自己超越性と呼びます。

・精神と心理を区別する

ロゴセラピーでは精神と心理は区別しています。心理と身体の次元はほとんど区別しません(まとめて心身体と呼びます)。

例えば、他人に腹が立つ態度を取られた時

①精神次元では

「ぶん殴るかぶん殴らないか」という選択する自由が存在し、その選択には責任があります。

②心身体では

「腹が立つ(心理)心拍数が増加する(身体)」という反応がありますが、ロゴセラピーではこの2つに関しては責任はないという立場を取ります。

つまりロゴセラピーでは精神(理性的な判断)には人としての責任が伴いますが、心身体の反応については責任を問わないということです。

(ちなみに、怒りを感じた時に、怒りの感情が湧く心理反応には責任はありませんが、怒りを表現すること(露骨に表情に出すとか大声を出すとか)には責任があります。)

人の判断基準は精神次元(良心)が担っています。つまり、良心(自然体の素直な考え)に従うことで、ある場面で自分がどう振る舞うのが最も適切かを判断することができます。

判断には良心に基づくものと欲望に基づくものがあり、これら2つは区別して意識する必要があります。欲望に基づく行動と良心に基づく行動はイコールではないですが、一方で、重なることもよくあります。

やるべきことをやって、いい気持ちになるという手順はOKですが、

いい気持ちを得たいからやるべきことをやるというのはベストな判断とは言えません。

良心の声が抑うつ状態や困難にあたったときに聞こえなくなる時があります。そういう時は、どうすれば良心の声が聞こえるようになるかというと、「良いことをして良い気分になるようなことを探す」「相手の立場に立って考えてみる。「相手を傷つけない言葉を使う。」といったことを考えてみるという手段があります。

・さいごに

老いや病など、これまで自分ができていたことができなくなるような障害に直面し、自分の活動範囲を小さくしなければならないときがあります。そこで、自分が楽しんできたことを禁止されたり、別の生き方をせざるを得なくなり、まるで「自分が自分で在ることを許されない」ように感じ、怒りや屈辱感を味わうかもしれません(私は味わいました)。しかしどれだけ困難な出来事に直面しても「それでも意味を実現する手段はありますよ」と教えてくれるロゴセラピーは私たちに一つの希望を与えてくれるものなのだと思います。病気になると「もうお終いだ、自分に生きる意味は無い」と思ってしまうこともありますが、視野を広げるとまだまだ実現できることはあるのだとロゴセラピーは教えてくれます。

・参考文献【フランクルの著作】

フランクルの著作は多数ありますが、オススメの本を3冊紹介します。


フランクルの著作で最も有名なもの。アウシュビッツ収容所での経験が描かれています。


それでも人生にイエスと言う
フランクルの一般向けの講演をまとめたもの。紹介した3冊の中では一番読みやすいので最初に読む本としてお勧めです。


ロゴセラピーのエッセンス
ロゴセラピーの要点を簡潔にわかりやすく説明した本。英語版の夜と霧の最終章の内容と同一です。


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