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僕はこれからも小説を好きでいられるだろうか〜AI社会に向けて〜


第170回芥川賞を、『東京都同情塔』(著・九段理江)が受賞した。

昨日のニュースで受賞作が決まったということは知っていたが、今朝の通勤中にプッシュ通知されたネットニュースによると、著者である九段さん曰く全体の5%程度は生成AIが作り出した文章をそのまま使っているらしい。

AIが生み出した文章って、一体どんな感じなのだろう。気になる。
「あ、ここAIが書いた文章だな」なんて、分かったりするんだろうか。
いや、きっと分かんないんだろうな。

Chat GPTがオープンされてから1年以上経ち、至る所で生成AIが活用されているが、とてつもなくデジタル音痴の僕はまったく時代に追いつけずにいる。

それでもテクノロジーは日進月歩で進化していき、勝手にグレーゾーンと思っていた創作分野においてまで、芥川賞受賞作家さんが自ら生成AIの使用について言及したのは恐れ入ったのと同時に、もうこの時代の流れを止めることなんて出来ないんだろうなと思った。

そして、「小説が歩んでいくのであろう未来」を想像すると、正直少し悲しかった。

本好きと言っても、僕は月に小説を2.3冊読む程度だが、個人的に小説を読み終わった後の、その作家さんに想いを馳せるのが好きである。
「こんな優しいストーリーを思いつくなんてどんな生き方をしてきたのだろう」とか、「ミステリーでこんなトリック思いつけるなんて脳内どうなってんの?」とか、胸糞悪い作品に出会うと「この作家さん病んでない?大丈夫?」てな具合に(笑)

ジャンルだと、特に群青劇が好きなのだが、結末の1フレーズがダメ押しとなって泣かされたりして。

もし作家さんがその1フレーズに伝えたいことを込めたのだとしたら、それをちゃんと受け取れたってことだから嬉しいなぁ。 なんて思ったり。
そうやって気が付いたらすっかりその作家さんのファンになっていて。
新作を読んで心が動かされると、「やっぱこの人はやってくれるな~」なんて知り合いでもなんでもないのに、勝手に感謝していたりする。

だけどこれからは、作家さんの経験やアイデアに依らず、AIが目を引くストーリー展開を生み出し、キャッチ―な言葉を紡ぐ時代がやってくるのだろう。
というか、来ている。

九段さんは自分のスタンスを公言されているけれど、ここ数ヶ月で手にとった作品の中にも、「表に出していないだけで、実はほとんどがAIの文章をアレンジしていったものです」なんてものがあったのかもしれない。

近い将来、その人の価値観や世界観がこめられた「作家さん」の本を読む機会はなくなっていって、いかに文章の繋ぎ合わせが上手いかの「編集マン」の本であふれていくんだろうなぁ。と、考えてしまった。

AIが作り出した文章に対して、「やっぱこの作家さんの言葉響くわぁ」なんて言って涙流している自分を想像すると恥ずかしいし、「この作家さんはどんな経験からこんなストーリーを思いついたのだろう」なんて想いを馳せた先がテクノロジーなのは、なんか、イタい。
こう思ってしまうのは、考えが潔癖すぎるのだろうか。

勿論、これからの世の中、上手にAIと付き合っていかなければならないし、むしろ、「全て生成AIで作りました!」っていう作品が出版されたら、1作目は気になると思う。
本を読む人の裾野を広げる、という点においては有効的なのだろう。

それなら、もういっそのこと食品パッケージの裏に添加物一覧が記載されている様に、背表紙に構成要素を書きませんか?と提案したい。是非、そうしてほしい。
オリジナル構成45%、生成AI転用55%みたいな感じで。
事前に知っていたら割り切れるし、時々はジャンキーな味を欲するみたいに気分転換として混ぜ合わせ作品も読んだりすると思う。

……なんか、思いもよらぬきっかけでオーガニック食材にこだわる方達の気持ちを理解できてしまった……。

まぁ、どんだけ嘆いても時代の流れは止められないし、するべきは自分の価値観のアップデートだということは承知の上で、割り切れない気持ちを書かせてもらうとすれば、人が書いたものや言葉に共感したから、「一人じゃないんだ」って思うことが出来たし、優しい話に出会うと「こんな世界を望んでいる人がちゃんといるんだよな」って世界を信じることが出来た。

読書からその様な色んな気持ちを教えてもらった身からすると、これからは同じ様な楽しみ方は出来ないな、と思ってしまって、やっぱりとても気持ちは複雑だ。

そんな、独り言。

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