Psy-Borg4~錯乱の扉⑥
彼は飛び起きて時計を見た。ついウトウトして浅い眠りについていたのか、ほんの十数分しか経っていない。
何とも言えない淡い恍惚感が彼を包んでいる。夢精するまでではないが、久しぶりに痛いくらいの勃起感を感じる。
そして何故かブルッと悪寒が走り、意識の奥底に眠る恐怖心も湧き出て来る。おかしな夢でも見たのだろうか?まだ30分も経っていない。
彼は装備を脱ぎ、改めてシャワーを浴びに行った。まだ待機の解除は出ていない。そんな昔日の思いに囚われている時ではない。クラウスはシャワーから上がるとモニターをつけ、ジョン、J-13を呼び出した。
「ジョン。なにか進展はあったか?」
「過去の指揮履歴がなんらかの形でキャッシュに残っていた可能性があります。詳細調査中ですが、後3時間そのまま待機との指示が出ています」
「了解、わかったありがとう」
そう言って彼はモニターをLUCYに切り替えた。
「お疲れ様です。大変でしたね」
柔らかく優しい声が流れてくる。この声を聞くだけでも多少は気が休まる。
「そんなに考え込まないで、いつも任務に忙殺されすぎているから、神様が特別なお休みをくれたと、楽に考えてもいいんじゃないかしら」
「そうだな。この部隊自体がいわば実験部隊だ。多少の不具合があっても無理はない。むしろ今までなかったのが幸運だったのかもな」
AIが作り出した擬似人格。その声色はカウンセラーようにクラウスのストレスレベル軽減のために作られている。
彼はモニターに映し出されたLUCYの肖像を見つめ、サイフォンのスイッチを入れる。
画面の中で小さく揺れている彼女は、コンピューターで作られたヴァーチャルな感じはなく、どこか別のところから中継で繋がっているような錯覚を覚えるほどだ。そしてその容姿はどこか妻に似ている。
「嫌な夢を見た」
「嫌な夢?」
彼はコーヒーを入れ直し、軽く机の上の埃を払うと、深く椅子に身を委ねた。
「内容は覚えていない。ただ目覚めた時に酷い嫌悪感と恐怖心そして…」
「そして?」
「同時に何か甘美な快楽の感覚もあった」
LUCYはしばらく考え込むように沈黙した後、口を開いた。
「夢は思考の棚卸しだと言います。物事に整合性を持たせるために、抽象的なイメージを使って単独の問題同士を結びつける役割を果たしたりします。天才の閃きというのも、これにあたります。きっと解任が近いことも手伝って、それまでいろいろとあなたが抱えてきた問題と、今日の出来事を含めて解決に導くためになんらかのイメージを見せたのかもしれませんね」
そんな彼女の受け答えを聴きながら、クラウスはこんな時にAIの限界を感じる。
今、彼は質問に対する回答を得たいわけではない。この曖昧でモヤモヤした、落ち着かない気持ちを共感して欲しいだけなのだ。
(修正事項の一項目に加えておくか…)
しかしそれによって、思考が自分の任務に向けられ、頭の中から「嫌な夢」に対する注意が逸らすことができた。そしてクラウスが話題を変えるために言葉を発しようとした時に彼女がボソリと呟いた。
「ごめんなさい、今の私にはそんなことしか言えないの…」
彼はLUCYのその言葉に言いようのない違和感をおぼえたのだが、それが一体何であるのかわからなかった。
「気にするな」
そう言って彼は着替えを済ませ、部屋を出た。
出動がなくなったと言っても、やるべきことは山ほどある。しかしデスクワークには、瞬時の判断と行動力、そして常に緊張感を強いられる作業任務とは違う、別の意味での疲労感がある。クラウスの頭の中に様々な雑念が浮かび上がるたびに、ついその手が止まってしまう。やはり自分は現場向きなのだな、と思う。
シングルマザーとなってからの母の苦労は、嫌と言うほどわかっていた。だから母が再婚することになっても別に反対するつもりもなかったし、新しい父親になんの不満もなかった。だから全寮制のハイスクールを薦められた時も、素直にそれに従った。
二人きりの時間を邪魔したくはなかったこともあるが、むしろ父の呪縛があるこの街から、何か強制的な力を持って離れたかったからかもしれない。
父からの呪縛? いや、そうではない。別の何かから…。
ハイスクール時代は今まで味わったことのない充実した日々だった。勉強もスポーツもイベントも、それまでの鬱屈した思いを跳ね飛ばすほどにクラウスを解放させた。
学業では常にトップクラスに入り、スポーツやイベントではリーダーシップを発揮して、学内でも目立つ存在へと変わっていった。
そんな時に日本から留学してきた今の妻と出会った。
やがてハイスクールを修了すると、彼はそのまま親元に戻らず、軍へと入隊した。そして数年後結婚して女児をもうける。名前はアイ。日本語で「LOVE」という意味だ。
順風満帆で幸せな人生。
自分の周りにハイスクール以前の過去を知る者はいない。だからこそ、今までとはまるっきり違う人間として生きることができた。
母親とももう何年も連絡をとっていない。新しい伴侶と幸せに暮らしているのか、それすらも知らない。お互いに別の人生を歩み出しているのだから、知る必要もないだろう。
自分が英雄にでもなれば話は別だろうが、今のところ向こうから連絡がなければ、クラウスから連絡を入れるつもりはなかった。
しかし、同時にある記憶も強制的に心の奥底に閉じ込めた。今となってはその記憶がなんだったのか?
閉じ込めたのは自分自身だが、潜在意識の奥底まで沈めてしまったためか、思い出すこともできない。
つづく
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