Psy-Borg4~錯乱の扉⑦

忌々しくも甘美で、陰鬱で淫靡な記憶。

そんな記憶が鍵をかけた記憶の扉から滲み出ようとしている。

 あの壊れたトレーラーハウスを、指示を無視して破壊したエドを見た時、自分はどこか晴れやかな気分になりはしなかったか?

 トレーラーハウスは自堕落な父の象徴だった。そんな父を自分の中から消し去り、今までの暗い記憶を精算できた気がしたのではないか?

 これで自分の過去を知る者は誰もいなくなった。ローティーンまでの沈鬱で何もできない男の記憶は全て消去された。

 クラウスの過去の暗い記憶は人工知能装甲騎兵部隊10体からDELETEされた。

 でも、何か消し忘れているものがある。

 それはなんだ?

 そんな思いが頭の中を巡り、どうにも仕事がはかどらない。クラウスは一度伸びをして立ち上がると部屋から出ていった。

 レクリエーションルームに向かう。広いスペースにはトレーニングマシンやムービーシステム、バーカウンターもある。プライベートルームとは別のリラクゼーションシステムである。部屋のそこここには観葉植物が置かれて、壁にはフォログラムで自然の森の風景が映し出されている。ここが灼熱の砂漠地帯とは思えないほどに、適度な湿度と温度が保たれ、簡易戦略ベースとは思えないほどに快適な場所だ。全て自動制御で管理され、いつでも清潔さが漂っている。彼はトレーニングマシンに座り、一旦頭を切り替えることにした。

 心地の良い音楽が室内に流れ、体を動かすことだけに集中する。

 都会では見慣れた風景。もし日常と違うところがあるとすれば、そこに人の会話が無いことだ。それでも詳細な感情表現機能を備えた人工知能のおかげで孤独を感じないで済む。

 しかしここ十何時間で頭に浮かんだ、嫌な過去を思い出してしまったせいかはわからないが、ふと言いようのない不安が湧き上がってくる。

(ここには「生命」は自分しかいない。)

 そんな言葉がクラウスの頭をよぎる。

 これまで当たり前のようにかわしてきたLUCY達AIとの会話も、所詮はある一定のマニュアルから導き出された模範解答でしかなく、そこに本当の感情はない。

 彼らは、今彼の感じている言いようのない不安を共有することはできないだろう。

 トレーニングを終了し、シャワーを浴びていつもの通りにバーカウンターに向かう。

 不意にカウンター横のモンステラの葉の上に1本の光る筋があることに気がついた。近寄ってみて、その筋を指でなぞってみる。

 ぬるりとした嫌な感触。顔をしかめ葉裏をめくってみると、ポトリと何かがクラウスの足の甲に落ちた。

「・・・!!」

 彼は声にならない悲鳴をあげた。

 全身に悪寒が走る。その小さく滑った軟体動物は微動だにせず彼の足の甲に張り付いている。急いで手で払い除けると、カウンターに用意されたビールもそのままに、急いでプライベートルームへと駆け込んだ。

 ただのナメクジだ。特別苦手というわけではない。野戦訓練の時にそんな物にいちいち気を取られてはいられない。

 しかし今、堪らない嫌悪感がクラウスを襲い、記憶の奥底から湧き上がる、不明瞭なイメージがフラッシュバックする。

 両手足を固定され、巨大なナメクジが彼の体を這い回る。恐怖と快楽とが混ざった忌々しい感触と、イキ果てた後の倦怠感と罪悪感が襲ってくる。

「レクリエーションルームを徹底的に清掃、消毒をしろ!今すぐだ」

 彼はマイクに向かってそう怒鳴りつけると、腑抜けたように椅子にもたれかかった。

「売女め…」

 不意に言葉が漏れる。薄暗い部屋、アルコール、散らかった生ゴミから出る腐敗臭。そして鼻をつくような香水と化粧品の匂いと性技の後の咽せるような生臭さ。

(俺はあの女に凌辱された…)

 そうか、あの家に通っていたのは、そのためだったのか。父の同棲相手だったあの女に会いに。

 思い出してみればあの部屋で父に会ったことは殆どない。

 勿論はじめは寂しさからくる思慕の年だったかもしれない。

 長い法廷での争いが父を憔悴させ、決着した後は自堕落になっていった。母に黙って会いに行った時、自暴自棄になって荒れ果てた生活を送っていた父の傍にその商売女はいた。

 日々の生活はその女に託され、ヒモの様な生活を続けていた父は、日雇いの仕事で得た金は毎月の彼の養育費に当てていた。それでも父は彼との再会を喜んでいた。

 シラフの時に、なんとか父としての威厳を保とうと頑張る彼は、クラウスから見ても痛々しい程で、その姿を傍でその女は苦々しい顔で眺めていたのを思い出す。

 しかし、酒が入るとまるで人格が豹変し、今までの不満や鬱憤を晴らすかの様に、クラウスに辛く当たりだし、母への罵倒を繰り返す。それをあの女はまるで娯楽を楽しむかの様に煽り立てるのだ。父は次第に酒量も増え、それに伴って気分の起伏も激しくなり、ハイスクールに上がる前に最後にあった時には既に廃人同様だった。

 ある日、いつものように母の目を盗んで町外れの森の入り口に止めてあるキャンピングカーを訪れると、そこに父の姿はなく、女が下着姿のまま鏡の前で化粧をしているところだった。

「何?」

 女はこちらを振り向こうともせず怒気のこもった声で聞いた。

「父さんは…」 

 おずおずと入り口の前で問い返す。彼女は面倒臭そうに立ち上がり、こちらに近づくと、入り口の前に立ち塞がるように立って、見下すように言った。

「あいつはクズ拾いに行ったよ、あんたの養育費のためにね」

 その勢いにクラウスは一歩後ずさるが、蛇に睨まれたカエルのように、どうしても踵を返して逃げ出すことができない。

 シュミーズに透けた、彼女の下着姿からどうしても視線を外すことができずに、ただ怯えたようにその場に立ち尽くした。

 すると女はグッと顔をクラウスに近づけると、しかめ面を緩めて、蠱惑的な表情を見せ、

「あら、あんた結構可愛い顔しているじゃない」と言った。

 クラウスはその言葉で我に帰ると、言いようのない恐怖心が湧き上がり「ぼ、ぼく帰ります」と言ってその場を立ち去ろうとした。

「待ちなさいよ」

 腕を掴まれ、勢いでその場に倒れ込んだ。そのまま引っ張り上げられ立ち上がったクラウスに触れるほど顔を近づけた。

 体全身が恐怖で震えている。

 しかし化粧の匂いの隙間から漂う、言い知れぬ性の香りが彼の下半身を腫れ上がらせていた。女は何も言わずに強い力で彼を部屋に引き込むと、後はなすすべもなくされるがままに時間が過ぎていった。

(体に這い回るナメクジ…)

 記憶が意識の奥から這い上がってくる。

 嫌悪感と恍惚感。思春期を迎えた彼に強引に訪れた性の目覚め。あの女の元に通ったのはそんなアンビバレンツな感情を持て余していたためかもしれない。

 性を初めて知ったクラウスは、女への嫌悪と恐怖。そして快楽の希求の狭間で、まるで中毒患者のように逢瀬を重ねた。言われるがままにされていた時が過ぎ、いつしか互いに求め合うようになったのはいつごろからだろう。その女はルナと名乗っていた。

「本当の名前なの?」

「そんなわけないでしょ、馬鹿なの?」

飽きることなく秘密の逢瀬を続けていく。体を重ねる毎にその性戯に酔いしれていく。ルナは重ねた唇を離し、首筋に向かって顔を埋め、うなじにそって舌先を這わしていく。

 その艶めかしい舌づかいはまるで生き物のようにクラウスの体を這っていく。まるでそれに抵抗するように彼はルナ左手で胸の膨らみに触れると、小指から薬指、中指とゆっくりと掴むように包んでいく。人差し指で今まで隠れていた突起に軽く触れる。

 細かい吐息が耳にかかる。右手をゆっくりと臍のあたりから秘部の茂みに這わすと、恥骨を包むようにして中指を柔らかい襞の線に沿って上下に動かしてみる。もう一度見つめ直すと、深く唇を吸うとお互いの舌先を探りながら、少しずつ触れる部分を増していく。

 人差し指と薬指で入口を広げ、右手の薬指の第一関節を曲げ、指先を柔らかい肉の隙間に差し込むと、少しずつ粘液が絡みつくように秘部全体に湿り気を加えていく。そして、こちらから求めずとも、まるで生き物のように指を吸い込んでいった。耳元で感じる呼吸のリズムが激しくなってくる。

 右手の親指で突き出し浮き出た真珠に触れ、細かく動かすと、細かい息遣いが重なっていく。硬くなった乳首に触れた左手人差し指の動きを激しくするにつれて、顔が紅潮し、さらに息が荒くなっていった。

 手で触れていない乳房を口に含むと舌の先で突起を弄ぶ。右手の薬指は第二関節まで入り込み、細かくリズムを崩さずに動かしていくと、入口にある、膨らんで露出している小さな真珠が脈打ち始め、同時に彼女の声帯が震え、はっきりと鼓膜に空気の振動を感じた。

 彼女の両の腕が首に強く巻きつき、再び舌を絡ませてきた。

 彼女の手足に力が入り、巻き付いた腕の力がさらに強くなる。両の腿が右手を強く挟む。そのままリズムを崩さずに柔らかく秘部の奥の扉をノックするように優しく触れていく。彼女の体全体が強張ったように硬くなったかと思うと、そのまま総てが弛緩したように白い喉をそらして、柔らかく崩れ落ちていった。

 クラウスは少し得意げになってルナを見下ろす。すると彼女は疲れ切った顔を見せながら企むような目向けると、硬くいきり立った彼の陽物を銜え込み、またその舌の妙義を持って簡単にクラウスを果てさせるのだ。

 そのあとは言いなりだった。ルナは彼の上にまたがり、自分が満足いくまで腰を動かし続け、何度いき果てようと彼女は容赦することはなかった。

 ある日いつものように、彼の上にまたがるルナを精根尽き果てた様子でぼんやりと見ていると、ルナの手がゆっくりと彼の首に伸びてきた。その時はただの戯れかと思ったが、その力は次第に強くなってくる。その眼に、いつもの甘く淫らな光はなく、明確に殺意を持って首を絞めていることに気が付いくと、たまらない恐怖がクラウスを襲った。
 

「あんたさえいなけりゃ、あいつの稼ぎも私のもんなんだ」

 のど元に食い込む指が容赦なく気管をつぶしてくる。

(殺される)

 そう感じたクラウスは懸命にその手を振り解き、女を突き飛ばすと、散らかった服を抱え、そこから逃げ出そうとした。

「このガキ!」

 すぐに立ち上がり、伸ばされた手を振り解いて外へと飛び出すと一心不乱に走りだす。

 女は入り口に踏みとどまり、彼の方をしばらく睨みつけると、突然ケタケタと笑い出した。

 その笑い声はまるで狂人のようで、彼の視界からトレーラーハウスが消えても、なお風に乗って彼の耳に届いていた。

つづく


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