古今和歌集・二八三番歌(龍田川もみぢ亂れて~)に就いての私の解釋

 たいしらす よみひとしらす
たつたかは もちみたれて なかるめり わたらはにしき なかやたえなむ
  このうたは あるひと ならのみかとの おほむうたとなむ まうす

 題しらず 詠人知らず
龍田川 紅葉亂れて 流るめり 渡らば錦 中や絶えなむ
  この歌は、ある人、奈良の帝の御歌となむ申す (秋・二八三)

從來の解釋と問題

 龍田川ハ紅葉ガ亂レテ流レルヤウニ見エル。渡ルナラバ、此ノ紅葉ノ錦ハ途中デ斷チ切レテシマフダラウカナア。     (新日本古典文學大系)

 龍田川ニハ樣々ナ色ノ紅葉ガ流レテヰルヤウダ。河ヲ渡ルタメニ足ヲ踏ミ入レタナラバ、水中ノ美シイ錦ガ途中デ斷チ切ラレテシマフダラウ。                    
                        (日本古典文學全集)

 新日本古典文學大系も全集も現代語譯は大同小異である。原文をほぼ忠實に再現してをり、原文からしてそこまで複雜なる言ひ回しの用ゐざれば、語句を取り違ふ可き箇所も無く感ぜらる。
 しかし原文の生命を積極的に肯定し活かさうとするならば、斯かる可き逐次的解釋は容易に肯定し得ない。從來の解釋、現代語譯が拾つて來たものは文字情報でしかなく、それが何を意圖したのか、全く汲み取れてゐないからである。
 此の歌から何か摑み所のない曖昧なイメージを受けて仕方ないのは、恐らく前段の最終句たる第三句目が助動詞「めり」で結ばれた上で、後段の最終句たる第五句目が疑問表現「なむ」で結ばれるからであらう。

 現代語譯に漂ふ曖昧なイメージを導く表現を解析して行かう。
 助動詞メリは、「『見ることあり』がメリの起源的意味」(岩波古典辭典)とせらるやうに、新日本古典文學大系「流レルヤウニ見エル」、全集「流レテヰルヤウダ」と譯され、後段にあるナムは、「ダラウカナア。」、「ダラウ。」とせらる。歯切れが惡く摑みどころがないのは此の二つの表現によることはどうやら間違ひはなさゝうである。
 「めり」について、新日本古典文學大系に「目前の事實について判斷を保留する表現」といふ註がある。しかし龍田川の水面にもみぢの葉が入り亂れて流るゝ光景を何か別のものとして誤解する心配は晉通あり得やうがないから、「めり」が「やうに見える」と"判斷を保留"する意圖で用ゐられてはゐないだらうとは容易に理解せらる。
 後段の表現についても同樣に、機械的な現代語譯では拾ひ切れぬ意圖が存在する。「なむ」を機械的に「ダラウカナア/テシマフダラウ」などと譯したところで、河を渡らば水面を被ふ紅葉が途中で途切れてしまふことは確實であり、殊更にダラウカナアなどと疑問を抱く餘地はない。一時的に紅葉が途切れとしても、いづれ簡單に修復せらるゝ筈である。 
 日本古典文學全集は、「この『めり』は確實な事柄であるが、作者が傍觀的に婉曲に表現したものである。」と說明するが、そもそも「傍觀的に婉曲に表現したもの」とは如何なる意味かを註釋者は說明できるのであらうか。
ハッキリ「流れてゐる」といはず「流れてゐるやうだ」といふからには、相應の理由が必要になる。メリを婉曲用法と認めるならば、「流れたり」とストレートに云はざる理由を說明することこそ正統な表現解析である。
 相手の感情を傷つけぬやう、「そろそろお時間のやうです。」などと持ち掛ける場合とは異り、一面に水面を覆ふ紅葉がやをらに流るゝ情景を婉曲に表現すべき理由は容易に見出し難い。
 もみぢ葉を擬人化、或いは神格化のために婉曲的表現を行つたと解釋せむずれども、此の歌の中心となり錦を着るのは「河」であり、「もみぢ」ではあり得ない。

私の解釋

 古今集では本歌に續いて次の和歌が配されてゐる。

  龍田川 もみぢ葉流る 神奈備の 三室の山に 時雨降るらし      (秋下・二八四)

 本稿で問題とする二八三番歌と同樣に水面を覆ふ紅葉に就いて言及をした歌であるが、もみぢ葉の流るゝことを「もみぢ葉流る」と表現してゐる。二八三番歌と同樣の情景を詠み込めるにも拘らず、「流る-めり」とはならず「流る」と簡潔せられてゐるのは何故であらうか。此の表現上の區別は顯かに偶然ではない。貫之ら撰者の明確な意識の誇示である。

 結局のところ、此の和歌の解釋の要は「めり」の表現效果を如何に正格に解釋するかにかゝつてゐるやうである。前述の通り、從來の國文法による歸納的解釋には決定的な誤りがある。

 古典文法では、助動詞「めり」について〈推量〉〈婉曲〉の二つの用法を認めるやうである。本歌に於ては上でも述べた理由から推量はあり得ないと考へ得るから、殘るは意味としては婉曲である。多くの註釋に於るて婉曲的解釋がなされるのは、消去法によるものと思はれる。
 しかし助動詞の意味を明確に區別し得るものと考へるのは誤りである。本義は常に一つにあり、そこから樣々な意味は派生する。

 まづ視線で捉へた瞬間に目の前にに橫たはるものは錦の帶だと自信を持つて理解する。しかしその後で常識的思考が頭を過り、このやうな場所に錦の帶のある筈がないと考へる。これほど美しいものは錦以外にはあり得ない筈であるからそれだと思ひ込んでしまつたが、よくよく見るとそれは龍田川であり、鏡のやうに澄んだ水面を美しいもみぢ葉がいつぱいにして流れてゐるやうに見える。

 といつた具合に、矛盾する二つの判斷が葛藤しつゝこれは錦だといふファナチックな第一印象に未練を殘すのが此の表現の眞髄である。單に「のやうだ/のやうに見える」と判斷を保留したのではない。ここには受入れ難い現實への拒否感、あり得ぬ認識への憧憬が託されてゐるのである。加へて

 〇秋の夕べ、龍田川に流るゝ紅葉をば 帝の御目には錦と見給ひ…

といふ假名序の一節は、二八三番歌の左註「このうた、ある人、ならの帝の御歌となむ申す」と附合する。「錦と見給ひ」であり「見紛ふ」ではない事に留意する必要がある。つまりは正に錦なのだといふ意識であり、っそれでしかあり得ないといふ强い確信が表されてゐる。

 ナムに呼應す可く、第四句以降の表現もまた諧謔的である。

 これが錦の帶であれば良いが、もしさうではなく龍田川であつたらば如何しようか。鏡のやうな水面にからくれなゐのもみぢ葉が入り交じり流れてゐるのだとしたら如何しようか。うつかり渡つたら、長い錦の帶が途切れてしまふであらうか?

斯かる可き半信半疑の疑問表現で結ばれてゐるのは、理性的判斷が一方では働き乍らも、斯くある可きといふ美的な價値感が無限へと飛翔せむずるバロック的衝動を振起してゐるためである。
 この豪華絢爛な錦の帶の上を渡つてみたい。錦の帶には違ひないから渡つても屹度問題はなからうが、若し假に、萬が一にでも龍田川の流れなんかだつたら、見事な錦の帶は途中で途切れて臺無しになつてしまふであらうか。さうであればやはり辭めておかうか。。。
「渡らば錦なかや絶えなむ」とはかういふ意味ではなからうか。第四句以降に川を「錦」と認識することにも注目したい。

このやうな表現をとることによつて、作者は眼前に廣がる光景がどれほど美しいものかをありありと想像せしむ。これこそ『古今和歌集』の本義である。いはば"フィクションの説得力"である。


をはりに

 以上は小松英雄氏の說を基に考察せるものである。他にない斬新な解釋を與へて下さつた氏には改めて感謝申し上げる。

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