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「単に楽しいから」2024年4月20日の日記

・ブラスバンドのリハのちレッスンのち飲み会!

・まず飲み会で食べた物の話からするんだけど、こごみのおひたしがめちゃくちゃおいしかった。こごみ、いつも春になるとふきのとうやタラの芽とともにスーパーに並ぶのを知ってはいつつ、どうやって食べれば良いのかわからないし、わざわざ調べて自分で調理ほどでもないかな〜と思ってスルーしていた。人の調理したこごみが食べられてラッキーだ。あのパリパリ感とほのかなぬめり!ほとんど苦くも青臭くもない、海藻の仲間のようにも感じる。今こごみのことばかり考えている。早く自分でも作って食べたい。自分でアク抜きした筍の筍ご飯と一緒にこごみを食べたい。

・行った居酒屋が山形名物をたくさん扱うお店で、山形の芋煮も食べた。芋おいしかったな〜。たまご焼きは一般的居酒屋のだし巻きと若干違って、基本はしょっぱい系統なのだが甘さもはっきりあった。あと紅生姜がついてきた。普段自分では頼まないだろうカニカマポン酢にもテンション上がった。とにかく3人以上の人とご飯を食べてお酒を飲む場、それ自体が楽しくて楽しくてしょうがない日だったな…。

・焼酎の欄に「つや姫 +150円」という表記があったので迷わず頼んだ。山形のブランド米・つや姫から作った焼酎だ。キリッとした米焼酎だった。

・いつもより酒量が少ないのにもかかわらず、いつもよりめちゃくちゃに酔ってしまって心配された。とても恥ずかしかった。お冷の杯数が全然足りなかったのかもしれない。宿に着いてから必死で水を飲みまくりました。


・レッスンはいつもより少人数で、一人あたりの吹いている時間がめちゃくちゃ長かった。充実していたけど疲れた。主に脳が。脳が疲れすぎて、最後の方は少しでも脳のメモリを節約するために目を閉じて楽器を吹いたりした。

・楽器を吹いて、唇や体よりも頭が先に疲れてしまうというのは、やはり頭を使って演奏できているといういい証拠ではあるらしい。

・2月のレッスンのときも「頭がひどく疲れた」って書いてるな…。日々練習すれば次第に脳が慣れてさほど疲れなくなっていくらしいのだが、まだ全然その境地には達せそうにない。あと私の場合は、既にソルフェージュ能力を身に付けている人が自然にできることを一つ一つ考えながらやっていかねばならないので、そのせいで疲れやすいということもあるようだ。本当にいつかあんまり疲れなくなっていくのかな。人より脳のキャパシティが少ないせいだったら嫌だなという心配をしてしまう。そもそも生まれ持った体質として、他の人ができていることが自分にはできないという可能性を自分で否定できない。できるのだとしても、あとどれくらい頑張ればできるようになるのか、先が全然見えないのが怖い。


・自分の音が日々良くなっているという自覚はあるし、できることもどんどん増えている。でもまだまだ先があるらしい。どこまで行けば満足して良いのだろう。正直なところ、早く満足して楽になりたい、と思う。やっぱり私は根本的に、自分がめちゃくちゃうまくなることに関して強い興味や意欲を持っていない。

・それでもレッスンに参加するのは、単に楽しいからだ。たくさん息を吸って、頭の中でとびきり良い音を歌って、たくさんの息を楽器に吹き込む。フィードバックを受けて、もっと良い音を頭の中に作る。ひとりで練習しているときにはどこを目指すべきか迷ってしまうことが多々あるが、レッスンなら導きがある。さっきよりも明らかに良い音が鳴る、それ自体がめちゃくちゃ楽しい。そこに「上手になりたい」という欲求はあまり関わっていないような気がする。


・上手になりたい、という思いが私の心の内にあるのだとすれば、それは「いつでも楽しく演奏できるようになりたい」という地点を目的としている気がする。楽しく演奏するための手段としての上達。曲の中にうまく吹けない部分があったら、多かれ少なかれそこに負の感情が発生する。また指間違った、音外した、落ちた、そこ私しか吹いてないのになあ、恥ずかしい、申し訳ない。そういうストレスを回避するための上達。

・全然申し訳なく思う必要はないよ…と他の人になら言えるんだけどなあ。自分が企画しているイベントは、「申し訳ないとか思うなよ!合奏に参加しただけで100点満点だぜ!!」というコンセプトでやっているから。申し訳なくなる必要がないのは、そう。しかし他の人の存在を気にしなくても、吹けないところがあったら自分でストレスを感じるのも、それはそう。人のために練習する必要はない。決してない。自分がより良い精神状態で吹けるようになるための個人的研鑽なのかもしれない。


・いつもより少ない酒量でいつもより酔ったの、単純に疲れていたからという可能性、ある。

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