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プライドとか自己否定とかできない自分とかについて思うこと。

賢者から見て
注意しやすい人になれ。
怒りやすい人になれ。

「成功している方から若者へのアドバイス」としてよく耳にする目にするのがこれなんですよね。

色々、教えてもらった方がおいしいよ。
だから、教えやすい人になりなさい。

という意味です。

決して、失敗をたくさんしまくる人になれとか
怒りの吐け口になれという意味ではありません。
念の為。

賢者から見て
教えやすいなあと思える
そんな人になっていた方が
いいですよ、ということです。

教えがいがある
ではなく、
教えやすい

というところがポイントだなって思います。

教わったことで成果をガンガン出さなくてもいいわけです。
教えがいがある人、だと
どうしても期待に応えなきゃみたいな
プレッシャーを感じてしまう。
でも、そこは求められていない。
ただただ、教えやすい人であればいい。
これは、教わる側として気が楽でいい。^^


そして今は、年齢もいったこともあるんですが
教わるよりも、教えたり指導したりする機会の方が増えてきました。

教える側に立ってみると

注意しやすい人になれ。
怒りやすい人になれ。

この意味の理解がより深まったように思います。

「それは違う、こうするんだ」ということを伝えるべき時に、
傷ついたり不機嫌になったりする相手には伝えられないんです。

伝えたい時、じゃなく
伝えるべき
これもポイント。

こちらの感情とか要求で
伝えたい のではなく、

これは相手にとって
またはチームにとって
そのひとが知っておくべき必須の知識!
だから、伝えておかなきゃ!
そう感じる時があるんです。

けれども、受け取れない相手に
うっかり伝えてしまうと
それは役立つどころか
その人にとって
「毒」になってしまうんですよね。

だから、言うべきかどうか
慎重に見極める必要があるのです。

そして、残念ながら
そのタイミングをはかっている間に
時はどんどん過ぎていくのです。

知識ってはやくから得て
活用して
また指摘をもらって
活用して
そんな中でその人にとって
かけがえのない財産になっていくと思うんです。

だから、伝える側としては
はやくに伝えて差し上げたいのです。

だから、
「あ、違うよ、それはこうだよ!」
と気軽に指摘しやすい
そういう人間でいる方が

おいしい。


と、昔の私に言ってやりたい…。

そんな昔の自分自身や
周りのひとを見ての分析ですが

注意や指摘を受けて
傷ついたり怒ったりするのは

「できないことは悪いこと」

そんな錯覚があるからだと思います。


できなくてもいいじゃないですか。
これから、できるようになるんだから。

もし、できなくてもいいじゃないですか。
そこは得意な誰かに補ってもらいましょう。

それでも、もしあなたが
注意や指摘に傷ついてしまう
そんな自分をとめられないならば

それは、あなたの才能かもしれないです。

だから、なおさなくてもいい。
その繊細なあなたが幸せに生きる方法を模索してみて欲しい。
それはきっと、同じく繊細な誰かの力になるように思います。

結論。
自分をいじめるのは、やめておこう。

「できちゃあいない自分」を受け入れること。
「できちゃあいない自分」に抵抗しながら「理想」を求めること。

この両方は同時に持っておいてこそ、真のパワーを発揮すると思ってます。

音声バージョンはstand.fmにて。

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