Kokona Tsuji
横森理香さんの文章修行講座で小説を書いてます。パリのコルドンブルーでお菓子修行中の日本人女学生の話です。
2000年代初頭のパリに住んでいた頃の想い出について、書いています。
10代からメンタル疾患に苦しんで来ました。最近はパニック障害に悩まされています。対処方法、体験談など公開しています。
優雅でエレガントとはほど遠いが、それなりに毎日を充実させようと孤軍奮闘する戦いの日々を描く。
三十歳のとき、大失恋をした。 日本に居たくなかった私は、パリの日本語学校へ講師募集の問い合わせをした。すると、秋に研修があるので、そこで採用になれば、と言われた。 私は早速、飛行機のチケットを予約した。研修で見事採用となり、2000年1月から、逃げるようにパリでの暮らしを始めた。 初日は友人であるフランス人のカフェに呼んでもらい、朝ごはんをご馳走になった。そこは職人が行き交う下町で、私はパリジェンヌ気分を満喫した。 が仕事が始まると、フランス語が未熟なため、寒~
この原稿は、作家の辻仁成さんのエッセイ講座の課題「人生最大の失敗」について、書いたものです。 マダム・ペランとは、私がパリでホームステイしていたときに住んでいた家のマダムの名前だ。彼女の家はパリのど真ん中、八区にあり、留学生相手の下宿屋を一九八〇年くらいからやっていた。彼女は四代続くパリジェンヌで、ブルジョア階級出身。家族は代々、パリの中心に住み、薬局を経営していた。お祖父さんは、明治時代に駐日大使をしていたこともあったそうだ。 私はこの家族を、東京のフランス語学
おはようございます✨ 以下のエッセイは、作家辻仁成さんの文章講座に投稿したものです。 百通以上の応募のうち、三通しか添削されないので、是非読んで下さい😂 旅先では自分へのおみやげとして、アクセサリーを買うことにしている。これは母から二十年以上前に教わった法則で、今でも実践している。 母は昔からとてもおしゃれな人で、ベルギーのブルージュに行ったときには、日本ではとても買えないような、針金で作ったように直線的なデザインが美しいステンレス
私が子供のときから、父と母はけんかが絶えなかった。父と母のけんかはとにかく派手で、私は子供ながら、 「こんなに派手な夫婦げんかをして、ご近所に恥ずかしくないのかな?」 と思った。父が会社に行く前の朝七時頃は、家の中で怒号が飛び交う。それが終わった後にほっとして飛び起きて、学校に向かうのが、朝のルーティーンだった。 どんな子供も、父親よりは母親に気を使う。いつしか私は、母に気を使って、父とは普通のやりとりが出来なくなっていた。
こんばんは😃🌃 水曜日の深夜、1時15分にとうとう「ブラームスは好きですか?」の最終回が終わってしまいました😢 https://www.eigeki.com/series/14282 以下、ネタバレを含みます。 第14話で一度、別れた二人。第15話で互いの大切さを再認識して迎えた最終回。 ジュニョンは自分の卒業演奏会のチケットをソンアに渡します。「無理強いはしない」と言って。 ソンアはこのコンサートに遅れて到着。ジュニョンは自分の招待した席にソンアが座ってないこ
それは、今から約15年前、母と二人でウェールズを旅したときの話だ。 当時、私は30代後半。パリでの生活に挫折し、日本に帰国して、東京の暮らしに馴染めずにいた。 その後、42才で娘を出産するまで、私は母とよく、イギリスとフランスを旅行した。旅の時期は必ず、飛行機のチケットの安い秋。母の大好きなイギリスをまず一週間ほど旅行し、次の一週間はフランスに滞在し、私の友人を訪ねるというパターンが多かった。フランス語がわかる訳でもなく、お酒を飲んで騒ぐのが好きで
ここから先は中学受験に関する話です。 私は今からちょうど40年前に中学を受験し、ある学校に合格しました。 そこは、首都圏では一番難しい女子高で、あんまり女子高に行きたくなかった私も、 「まぁ、ここしか受からなかったし、行こうかな~」 くらいの軽い気持ちで、進学を決めました。 当時、私が住んでいたのは、横浜の郊外。小学校は高台にあり、 「今日も富士山がキレイだな~」 なんていって、 心にも余裕のある、元気で気楽な小学生でした。 母ものんびり屋なので、同じ中学校に娘
双極性障害と診断されて10年。 この病気と付き合うのは本当に大変。 特に原因もなく、メンタルに波が生じる。鬱の波が特に大変。 作家の坂口恭平さんも、この病気にかかっていて、最近は調子が良かったみたいだけど、Twitterによると、今は調子を崩しているみたい。 最近は薬の処方が上手くいっていて、少量のデパケンとレクサプロを夕食後に飲むだけ。 従来なら寝込んでいただろう時期にも、多少の落ち込みですんだ。 今まではリーマスを飲んだり、カウンセリングを受けたり色々やって来
メンタルクリニックの紹介。なかなか良かったので、興味のある人は是非。
今、日本では若い女性の自殺が増えている。死について話すことがタブーだからじゃないか。「死にたい気持ち」を大事にしたい。それをどうやって「死にたくない」まで持っていくかが大切。
愛の不時着の中で躁鬱病は「喜び悲しみ病」と言われていた(笑) なんか可愛い♥️
私は負けず嫌いだ。 子供の時はオセロで負けそうになって泣いて、対戦相手の親戚のおばさんがあわてて手加減してくれたくらいだ。 今でも表面的には、「そうなんですね~」なんて相づちを打っていても、内心は「フザケンナ」 と思うことがよくある。 私だって、もっと色々できたのにな、と悔しい気持ちでいっぱいになる。原因は躁鬱病だ。もう十年近く戦っている。やつは強い。なんつったって、不治の病だ。薬のコントロールも難しい。 躁のときは毎日がほろ酔い状態。青いきれいな空を見ただけで、「人
今まではこの病気について、オープンに出来て居なかったかが、今後はオープンにした上での、この病気の辛さを書きたい。出来れば同病者に向けて。 双極性障害の作家として有名なのは坂口恭平さんがいた。しかし、彼はもう畑やら創作活動などが薬として効いたみたいで一年以上うつ状態に陥っていない。ということは、同病者としてはあまり参考にならないのだ。 「今日も調子悪くて、夕方まで寝た」「お迎え行けなかった」「リーマス、効かない」という人の話の方が今の私には助かる。 私も8月、9月は横森
私はテレビが好きでよく見るのだが、昨日やってたバラェティの番組で「バリキャリはご褒美に~」っていうのをやってて、うっかり見てしまった。 脱税で自粛してた徳井さんが一年振りに復帰して、皆に突っ込まれていて、面白かったのだが、政治家がこれだけ悪いことやっても捕まらないので、小悪党はどうでもよくなる。 話は戻って、バリキャリはご褒美にトリュフ?ってのがあって、ちょっとつまらなかった。バリキャリの代表でサッシーがケーキについて発言してたのはまだ可愛かったけど。バリキャリ=成功した
コロナの影響もあって、知らない人と話す機会が減ったと思う。何となく、皆、他人を避けているような。 最近、私は引越しをして、住む場所が変わった。原宿のそばだ。この辺りはアパレルの会社が多く、おしゃれな人が多い。最近、太って来て、えんじや赤の服しか着なくて、もうすぐ九歳になる娘からはトマトと呼ばれている私には、とても刺激的な街だ。ビルの壁を背景にSNS用の写真を撮影している女の子達も時おり見かける。髪を金やピンクに染めていて、可愛いらしい。 先日、渋谷から池袋行きのバスに乗っ
リアクションがあんまり無かったので、内容を変えます。 坂口恭平さんの「お金の学校」に影響されて、家庭教師します。小・中・高(文系科目)社会人(英語・フランス語) 早大・桜蔭卒。 支払いは果物で良いです。オンライン可 連絡はプロフィールにあるFBアカウントまで。 よろしくお願いします。