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地方大のお笑いサークルに入って一年

かっこいい見た目の教科書だけは毎日持ち運んでる菫です。

今回は私が地方大学のお笑いサークルに入ってみて感じたことをまとめます。結構長め。自分のこの一年を忘れないために書いてる部分があるので、そこは飛ばしても 「地方大のお笑いサークル」と書いたわけ だけでもみんなに読んでもらいたいです。


最初の三か月

2023年4月
SNSの最後の更新を頼りに存在しているかも怪しいお笑いサークルの新歓ライブに行った。ピンの人が二人、漫才コンビ1組だった。そしてそれら全て、面白くなかった。10人ほど観客がいたが、笑う人もいなかった。嗤う人はいた。ピンでやっていた、一番面白くなかった人だった。他の演者のミスを、笑いになるわけでもない弄り方をし、笑わない観客を嘲笑していた。のちに、この人がサークル長だと知る。

正直、入るかめちゃくちゃ悩んだ。面白くなさ過ぎて、こんなところに身を置くより自分で相方を探した方がましなのではないかと思った。しかし、結局入った理由は中で革命を起こそうと思ったからだ。
きっと、これの読者はこう思っている。
「あなたの自信はどこから?」
「私は経験から」
何でもできるタイプだった。補足すると、先輩の人数が少ないのと、高年次はキャンパスが離れて位置しているため一年が主体で回すサークルだったからである。

5月
普段のサークル活動は大喜利が多かった。それぞれのユーモアを知るためでもあった。私は質より量でたくさん出す。打率0.3。正直、自分のも含めて本当に面白くなかった。帰り道が新幹線だったら泣いてた。

一週間後、最初のサークル内ネタ見せがあった。みんなでコンビを組んで、同じお題でネタを作り、優勝を競うものだった。お題は「バイト」
私は、新歓ライブで少し話した新入生とコンビを組んだ。彼女は大喜利の際1時間に一つ回答できるかという具合だったので、ユーモアはよくわかっていない。敬語とタメ口が混ざり合う、互いの腹を探るような微妙な距離間でのコント作りをした。

ここで盲点だったのが、しっかりした音響照明はないこと。小道具を買うお金なんぞないこと。自分たちが若すぎて、あるいは女性であるせいでできない設定がたくさんありすぎること。

そしてこのネタ見せで、新入生同士で組んでいる漫才コンビで面白いコンビがいた。彼らの醸し出す雰囲気とネタがマッチしていて完成度も高かった。こりゃこれからもっと面白くなりそうだとワクワクした。
そして、この時は私たちが優勝した。
課題も残った。私はあがり症で全く人前で何かをすることに向いていない。大事な部分手前で噛んだし、発声も震えている。相方も、大根だった。
台本は面白い。だが、やってみると面白さが半減する。今でも未解決の課題だ。

6月
正式な初舞台があった。大学近くの屋外フェス。私たちは漫才をした。当日は土砂降りだった。フェスの舞台にも観客席にも屋根はない。バンドマンたちは中止を余儀なくされ、お笑いだけ残った。トップバッターは先輩のコンビが出る。全然ウケていない。そもそも客が少ない。
次が私たちだった。
「どーもーーー!!!」
全然聞いてない。袖で見てるより全然みんな舞台に注目してない。
それでも、続けていったら笑いが起きた。またミスしたし、必死すぎてあまり気が付かなかったけど、観客が増えていっていた。
「ありがとうございましたー!!!」
拍手が聞こえた。出る時はなかったのに。嬉しかった。
後で、見ていたという人から「一番面白かった」とか、いろいろな嬉しい言葉をもらった。相方とは、この件で正式にコンビとしてやっていくと決めた。

初めての賞レース


7月、キングオブコント。
私の作ったコントで1回戦に臨んだ。独白の部分があるのだが、そこがものすごく不安なまま臨んだ。結果、全然ウケなかった。そして独白とはまったく関係のないところでネタを飛ばした。頭が真っ白になる。何の言葉も出てこない。相方もフォロー出来ない。ネタ合わせでもここで飛ばすことはなかったし、この時点で舞台に立ったのが4回目とかだった。観客が心配の目線を送っていた。賞レースの予選に足を運ぶような人たちは厳しいのかと思っていたけれど真逆だった。みんな優しかった。それが痛かった。
帰り道、どこにもよらずに帰った。相方は慰めたり励ましたりしてくれたけど、相方の声が遠く感じた。滑らせてしまった、申し訳なかった。ここで初すべりを経験した。今でも夢に出る。
最寄り駅まで帰ってくると、雨がしとしと降っていた。最寄りと言えども50分ある帰路を傘もささずに二人で歩いて帰った。真夜中で、明かりが見えないのが、皮肉かと思った。

あと、楽屋一緒だった若手芸人さんで一番礼儀正しく私らにも隔てなく接してくれた芸人さん、誰よりもウケててかっこよかった。お名前は出しませんが、そっからファンとして追っている。

8月、THE W。
一回戦は動画審査。漫才を送った。一回戦通過。何かの大会で一回戦突破するのはサークル内初の実績だった。突破もうれしかったが、何よりもうれしかったのが、お笑いナタリーに名前が載ったこと。相方もそうだった。
9月に二回戦があった。
初舞台でやった漫才を何回もブラッシュアップして臨んだ。その日はあまり反応が良くない、いわゆる重い日らしかった。私たちは交互にトイレに行くほど緊張していた。
私らの番。
最初のつかみでさざ波が起きた。いつもなら結構ウケるところでもさざ波、一番の山場でもさざ波だった。滑ったのだ。そして今回はコンビを組んで初めて二人とも失敗がなかった。ノーミスノーウケだ。過失なく滑った。
ふたりで振り返ってみても、この日はお互い本当に冷静に漫才ができて、冷静に滑った状態を思い出せる。今も冷静に悔しいと思う。
帰り道は小雨がちらついていた。

家に着いて、馬鹿よ貴方はの新道さんの出していたその日の感想動画を見た。その日何十組といる中で、私たちの直後からの4組を名指しで「その日一番ウケてた」と褒めに褒めまくっていた。
なんやねん。ちょっとだけ笑った。

THE Wの翌日、M-1グランプリ。
前日は4分ネタ、この日は2分ネタ。THE Wで一回戦に送った漫才をやる。前日、帰り道で大きくブラッシュアップして臨んだ。

めちゃくちゃウケた。この一年で一番ウケた日がこれだ。言うボケ言うツッコミ全てはまった。昨日が嘘みたいだった。
そして、台本で言うと最後から3行目。相方がネタを飛ばした。一気に観客は心配の目線に変わる。何かうまいことフォローしなきゃ。でもこれは片方がコントに入ってツッコミは外から見ている形式の漫才。ボケがすぐに何とかできるものじゃない。その逡巡が沈黙となって表れる。今となっては何でもいいから言うか、すぐに台本に戻るべきだった。2~3秒無言で結局台本に戻った。もう落ちたのはわかってた。
予選は二日連続にすべきじゃないと学んだ。

帰りはお互い一言も話さずに帰った。相方がネタを書かない(書けない)タイプだったりして、そのほかにもいろいろな理由はあるのだけれど、溜まっていた不満が今回の件であふれ出そうだった。本当に本当に悔しかった。自分のアドリブの弱さや、アドリブの弱さをわかっていながらミスした場合の対処を考えていなかったことにも腹が立っていた。全て相方のせいにしてしまいたかった。でも、そうできないのが苦しかった。かなりリアルに、たらればが目の前にあった。つかみ損ねた、もう一回やらせてもらえれば、一回戦突破できるのにと思った。でもそれができるのは一年後。こんなに一年が長いと思ったことがない。待てない。そんな長い間待ってたら死んじゃうんじゃないかと思った。何も結果出せない一年が永遠に思えて、コンビってこうやって解散するんかなってちょっと思った。
なんか空は晴れてやがった。むかつくわ。

1月、R-1
エントリー数が多かったらしくて、希望していた予選日の抽選に外れましたと連絡がきた。その代わりと提示してきた代替の日は授業があり行けなかった。まさかの0回戦落ち。そのまま終わった。R-1用に書いたフリップを静かに押し入れにしまった。

「地方大のお笑いサークル」と書いたわけ

私たちは本当にちょっとずつ、漫才、コントが形になってきている。場数を踏んで、いろんなミスをしていろんな対処で乗り切ったり乗り切れなかったりして少しずつ成長してきている。楽しいし、ゲボ吐くくらい辛いし、笑ってもらえたらすべてが報われる気がする。

だけど、圧倒的に場数が足りない。場数を踏まないことには、いくら理論武装しても、いくら面白いネタを書けても勝てやしない。

では、場数を増やすには。
首都圏お笑いサークルの人たちは近くの劇場のライブに出るなどがある。私たちにはそんなものはない。かといって自主ライブを開けば、客数人。みんなサークルメンバーの知り合い。大学の文化祭だけ、いろんな年齢層で、立ち見入れて50人以上のライブを4回することができた。とても有意義なライブだった。
私たち地方大は、東京まで行くとなると交通費がかかる。一回でバイト代一か月分が無くなる。移動だけで半日かかる。よって、自分たちが主催するか、地元のイベントに参加するかしかない。

この一年にあった舞台を挙げよう。
地元のイベントの客席で子どもたちが鬼ごっこをしている舞台、バーで飲んだくれに野次を飛ばされながらの舞台、すぐ隣で和太鼓をやっていて全く声が届かない舞台など、たくさんの地獄を見た。
音響照明のそろった箱で温室育ちしてみたかったもんだ。


そして、首都圏お笑いサークルの人たちには負けらんねえという雑草魂というかが形成された。勝手にライバルにしている。相手からしたらとんでもなくめんどくさいだろう。
テレビでもライブシーンでも、お笑いサークルがどんどん注目され始めている。でも、その中身を見てみろ、首都圏お笑いサークルだけだ。私たちはきっと、この意味で言う「お笑いサークル」ではないのだ。悔しい。悔しすぎるぞ。結局実家が太くなければ学生お笑いもできやしないのだ。

地方大にも面白い人はいる。絶対に。でも評価されない。機会がないから。もちろん、そんな世間の評価どうこうじゃなく、自分が面白いと思ったことをたまにやる時があればいいって人もいるだろうが。
機会の不平等というのは、気づかれにくい差別だ。結果を出せない言い訳じゃなくて、もっとちゃんと面白い人が面白いと評価される世の中を作るにはまずは格差を是正する必要があると思う。

そして学生お笑いの特徴として、学生芸人向けの大会は定員が定められていることが多い。早い者勝ちで決まる。この場合誰が勝つか、量だ。東京私立の母数が多いところがタイムアタックに勝つ。
押さえてる会場の規模などによって、定員が生まれるのは多少仕方ない。だけど毎年エントリーできなかった人が大量に出てるんだから会場や日数を大きくしたりできないかい?一回戦目を動画審査にしてみたら?
なんとかして、我々にも機会をくれないだろうか。

この発言に影響力を持つには自分が圧倒的に結果を出すのが手っ取り早い。難しすぎてできそうにない。自分の才能の無さはやる前から気づいてた。私は学生お笑い界を変えられるほどの天才ではない。ああ、申し訳ない。

このnoteが、誰か一人でも共感してくれたら。影響力のある人に届いてくれたら。

地方大のお笑いサークルにもっとチャンスを、スポットライトを当ててほしい。
面白い人は必ずいるから。

でも私が一番頑張るぞ。ごちゃごちゃ御託を並べたけれど、たくさんの人に笑ってもらいたい。ただそれだけ。
絶対届かねえけど、相方いつもありがとうな。


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