遥か昔に敬意を込めて。
300年前の江戸は物が廻っていた。
割れた器は金繋ぎで繋ぎ、着物は修繕、食べたものは次の肥料へ。
技術と丁寧な手仕事で紡いだ、現代の私たちには物語のように感じるユートピアのような時代。
当時の日本を訪れた異邦人は、身分を問わず日本人が花好きであることに驚いたそうだ。
上流階級は園芸を楽しみ、また江戸郊外の農村の人々は草花の世話をして、こじんまりとした庭を丁寧に作っていたのだという。
そして、日本人はたわいもないことでよく笑うと日記に記した。
時代が移り現代。
時間を惜しみ便利さを求め、植物の世話をするような心の余裕はなく、笑うことが少ない日本人。
会社のため、お金のため。
お金では買えない、心の豊かさや丁寧さを代償にして、私たちは大切なものを失った状態で生きている。
ストレスだった学生時代を過ごした私を癒してくれたのは、名前も知らない“雑草”と言われるような小さな草花でした。
太陽が沈み、曖昧になった空色の変化を見ながら、広がる水田の畦道を1、2時間ほどぼーっと歩く。
思えば、あの頃から私の心は豊かになった。無理に人間関係をつくらず、私は私。
そのうちテレビの環境問題に関心が向き始め、社会人になって月1の海のゴミ拾いに参加し始めた。
小さな発砲スチロールの粒が、砂浜の小石や砂と混ざった状態で埋まり、大きい塊は植物にこびりついている。
漁に使う丸いオレンジの浮が毎月流れ付き、網が砂に埋まって抜けない。
プラスチックの破片がポツポツと落ちていて、砂浜を不自然にカラフルにしている。
海水で汚れたペットボトルに空き瓶。たまに中身が入って異臭がする。
こんなに汚しているのかと怒りが湧いた。
同時に自分もゴミをだしていることにも気づいた。
罪悪感で胸が苦しい。この罪悪感を減らしたい。
全て手放すほどの勇気もなく、少しずつ自分にできることを増やしていこう決めた。
食品トレー容器、化粧品容器のリサイクル。
シャンプー、トリートメントはシャンプーバーにしてプラスチック容器を使わない。
量り売りのお店を調べて利用する。
調べるとポツポツと生活の工夫が沢山出てきた。
結婚して暮らしが変わっても相手に理解してもらい、生活の工夫は続けている。
フリマで商品を売り買いし、包装もしっかりリサイクル。お気に入りの服のシミを刺繍でカバーし、履かないスカートを解体してゴム部分を再利用。残った服は未来の子供服の材料に。
修繕、リメイク、代用。
工夫すればアイデアは沢山シェアでき、作った喜びを味わえる。
ああ、豊かになるってこういうことなのかもしれない。
物で溢れた時代ということは、使われなくなった物がそれだけ多く存在しているということ。
新しく生み出さなくてもすぐ目の前に材料が転がっている。
ああ、これは何に使えるかな。
素材は?必要としている人は?
ゴミとして捨てないで、購入と同じくらい手放す時も時間を使って。工夫して。
その先にあるのは殺伐としていない、心のゆとり。
時間をかけたはずなのに、なぜか時間が生まれた。
物があるから、大切にしない。
大切なものが覆われて見えない。
そんな時代から次のステージへ歩もうとする人たちがいる。
私も続こう。
その先に笑顔の時代があると信じて。
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