見出し画像

【モノを手放せないときは】



モノを手放せない時には…


そんな時には

一度立ち止まって
心を探る時間を持つことを伝える…。


3つの箱を用意したなら
要るもの
要らないもの

そして
保留の箱を用意しよう。


5月のキラキラ美しい新緑の季節に

バラ園を楽しんだ私は
ヤクザのクリスチャン
進藤牧師の講演会に足を運んだ…。


鶴舞公園では
バイオリンコンサートと
週末を楽しむ
家族連れで賑わう声に

私の心は
高鳴り増すばかり…。

進藤牧師先生のメッセージが
聴講出来るというだけで

高揚感で吐く息もまるで
今から競技を披露するかのような
整えかたをしていた…。


愛する旦那様は
同窓会だった為に

互いに別々の時間を過ごす事になった。


一人の時間を
こんなにも
ゆっくり過ごす事がなかった
主婦の私にとって


自然の中で

しかもバラ園やバイオリンの
生演奏を

五感で感じていられる一時を
与えられるのは
本当に感謝な事。


本当に忘れられない
土曜日の5月15日の
昼下がりの時間だった。




そうして

無事に
講演会も終えて
帰宅した…。



ところが

その5月の
喜びを覆すような出来事に
遭うこととなったのは


その

三日後…

愛する旦那様は
くも膜下出血で倒れた…。

緊迫の
時が流れ…

蝉の鳴き声が一段と
盛大になりばじめた
肌がベタっとする様な汗ばむ
気だるい夏の日に


愛する旦那様は
朦朧としたまま
退院を余儀なくされた。

徘徊しては
結核病棟に入り込んだりで
病院からは迷惑がられてしまったからだ。


おぼつかない足取りの彼を
小さなヒトテタの末の子は
気を配り
彼の手を握りしめ
砂利道を歩いていたけれど

車椅子からリハビリによって
歩けるまでになった彼だったが
やはり
麻痺していた左足は

しっかりくじいてしまい
パンパンに腫らしていた。

当時は
ぼんやりとしていて
目はロンパリという状態であり
水頭症を防ぐ
機械が頭の中には組み込まれていた。

携帯もよろしくないと記載された

よくわからないままの
脳の中に組み込まれた機械の説明書を


時が経っても
今も捨てられず持っている…。



彼からは見えないけれど
生きようとする力をいつも感じていた…。


私はとにかく諦めきれず
もう一度以前の彼の様に
回復する事を願った。

運動すれば脳に良いと解っていたので

プールにも連れていった。

ところが
もう嫌だ…

疲れたと駄々っ子の様になっては

すぐに
まだ幼い次男と末の子を
置いてきてしまったりしていた。

次は海へ…

大はしゃぎする旦那様は
波にのまれて
ふらふらしながら
また立ち上がって
楽しいよ!
楽しいよ!
と叫んでいた…。

そして前回と同様
またすぐに疲れて
パラソルの下で眠ってしまった…。

ボートに乗るならば
オールを漕ぐのをパタッとやめてしまい
湖の真ん中に置かれたまま

ただ ただ

途方に暮れた日もあった…。



授業参観日は
退院してまもなかった為か
廊下で倒れて寝てしまった…。


事情を知らない父兄の人達は
クスクス
横目で通りすぎた…。


私はここにはまだ書き記してないほどに
彼の回復の時の大変さや
苦しさを、目の当たりにしていて

それは
今も

忘れられないでいる…。


私一人で
彼をどう支えたらいいの…。


幾つもの脳に良いだろうと
多くの刺激を与えたい


退院したばかりに
陶芸教室にも連れていった…。


私も初めてで、
彼も一生懸命
土を練っていた…というか

与えられるままに
何も考えず淡々とこなしているようだった。


勿論会話もなく
まるでターミネーターのようだ。


そんな彼の様子を
眉をしかめて陶芸教室の先生が見つめたが

いちいち私も
何も言わなかった…。


そして出来上がったのは
3つの器だった。

彼の作品は
とても大胆で
よかった…。




彼とは色々ありすぎて

もう子ども達の事を
考え

私達は離別した…。



離れた後
しばらくして

私と子ども達は
引っ越しをしたのだが

この器の3つのうち


ひとつだけは
持ってきてしまった…。


引っ越しの時には
多くの思い出のモノを捨てられず
保留したまま持ってきてしまった…。

それでもだいぶ
処分はした。


そうして何年も何年も想い出は
捨てられなかった…。

だがある時
私は立ち止まって
そんなに慌てて捨てる必要はないのだと
自分に言い聞かせた時間を持った。

悲しみが消えなくて
色んな色が入り雑じって
心の整理がつかないままに

手放したとしても
結局のところ
心がついていかないのであれば
見える部分よりも見えない部分を
優先的に見つめたいと思った。

勿論
見えるモノから
捨てることによって

心が軽くなり
スッキリしたと
言える場合もあるだろう

そう多くの断捨離には
まるで
教訓の様に言われているのだが



私は違った…。

涙が自然と溢れてくるほどに
自分が理解できないまま

心が手放せないままに
思い出のモノを捨てる必要はないと
思ったのだ。



共に歩んだ時間の染み付いたモノ

たとえゴミに等しいモノであったとしても
何も役にたたなくても

捨てられないなら捨てなくて良い…。

そう私は判断した。

それが自分の好きなモノに囲まれる暮らしというものではなく
執着という思いだけだったとしても…。


あれから
12年…

幾つもの想い出に

不思議と

振り返りながらも
手放しができた…。



しかし
あの
陶芸教室での器は
まだ持ち続けるつもりではいるけれど…


そこには
負の感情は一切ない。









モノを手放せない時には…


そんな時は

一度立ち止まって
心を探る時間を持つことを伝える…。



3つの箱を用意したなら
要るもの
要らないもの

そして
保留の箱を用意しよう。




ひとつは黒

もうひとつは白



そして最後のひとつは
ブルーグレィ…



誠実で在りたいはずなのに


どれが

正しくて
どれが人の考えでは
誤りなのか

どれが素直で

どれが自分の心を偽っているのか


見え隠れして
定まらないグラデーションなら

それは
それで良いではないのだろうか…。






神様の癒しの時に委ねて

自然のままにいれば良いのだと
私は思っている…。


無理にかさぶたを剥がさなくても良い…。


自然と剥がれてくるのも

それも時間が必要なこと…。










新緑の美しい5月の午後…。



私は
また

ひとつ手放そう…。



懐かしい笑顔


いとおしい
想い出


今も
あの頃を忘れないままだけど


もう
大丈夫…


そうね


ありがとうと

さようならを

伝えて…。













































































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?