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~聴く~





シンプルだけど


なんて

難しい事なのでしょう…。



私の様な者が


到底

この事を成すには

非常に困難な事だと

日々ひしひしと感じていました。




今迄に

様々な人達に自分の思想や

感情の思うままに話して来た事は

皆さんも何度か

経験している事でしょう。



それはパートナーだったり

または友だったり

上司だったり

師匠だったり

家族だったり…

カウンセラーだったり…



その時あなたはどう思い

どう

それを受け入れ

その後  どれを取り入れ

どれを手放したでしょう…。



よく耳にする茶道や武道でお聞きする

[守破離]と言う言葉がありますように



自分の内側で多くの思いや

人の言葉を愚直に聞いて


後に

知恵を用いて

受け入れた言葉を実践と共に

経験しながら


最終的に

血肉となる迄には


多くを

思い巡らした事でしょう。


戸惑い迷う時には

誰かに

相談をすれば

人は様々な提案の言葉を

与えて下さいます。



きっと殆どの人の言葉は

どれも正解であるかもしれません。


あなたの言葉に耳を傾けて

幾つかの助言をくださる事でしょう。



しかし

私が幾つかの過ぎ行く月日を生きて

気が付いたことは



人の言葉は移りゆくものなのだと

気付いたのです。



あの時あの人の言葉を聞いて


きっとこれが正しいと判断した

自分がいたとしても


数年後

そのあの人は

以前の私に伝えた言葉は忘れていて

全く真逆のアドバイスを下さる事も

あったわけです。




決断したのは私自身であり

私自身がその道を

選択していくのですから

何も問題はありませんが


人の言葉はその時

その状況によって

移り行くものです。



それは決して間違いではありません。



人は多くの経験や価値観の変化も

ないとは言えず



またある意味

人は

自分の都合の良い

捉え方をしていくものでも

あるとも言えます。





また


同じ相談を

同じ相談所の担当者2名に話してみても


全く真逆の事を話します。


ですが、どちらも正しいのです。


相手の事を思いやりつつも


その人の目線で

見ている


経験や想いや感情も

ほんのり香りながら



口の言葉はある様です。





それは大切な事でもあり

それは誰かの心に届く大切な

言葉であるとも言えるのです。



何故なら

その人の存在そのものが

誰かの影響を

与えていることとなるからです。



たった一人にでも

届く言葉を必ず人という者は

与えているはずだからです。




例えそれが剣の様に鋭くても

例えそれが蜜の様に甘くても…。



だからこそ

聖書では


口を制御する事や口の言葉にも

多くを記しているのでしょう。



私は多くの唇での失敗や

過ちを犯して来ました。



今だに過去の子どもの頃の心無い言葉を発した事に後悔して


心がチクチクと痛む事も

さえあります。



切なく響く言葉の音が

色褪せた写真の様に



心に揺れるのです。



しかし

いつまでも残る言葉も

多くの人達から与えられた事も

忘れてはいません。



私の心の中で

生き続けています。




そうして月日は流れ…




私は六年ほど前から

主のみことばを

どの様に

人に届けていく者になれるのだろうと

想い続けて来ました。



みことばを語る事は出来るのですが


今、その瞬間 

その人に届けるみことばは

果たして良い言葉なのだろうかと



受けとる側の心を

みなければいけません。



もちろんみことばの種を蒔けば

そのおひとりおひとりの土に

何処かで種が落ちて芽をだし

水は沁みて


何処かで永遠に

生きて下さる事でしょう。



ですが


まず

私は今の経験から

想い続けてきたことは



~聴く~


きくことから始まる…。







その大切さを

教えられたのです。




その人の発する言葉の奥には

その言葉と異なった想いや叫びが

あると言う事に気が付きます。



その深い海のグラデーションになった

心模様をひとつひとつ聴くものに

なりたいと思いました。





そして


永遠に変わらない神の言葉を



その人に届ける時にも


神に聴いて


吟味し

お伝えしたいと想うのです。




その空間をずっと創りたいと

想っていました。



その為には



祈りに支えられた時間も必要で

整えられた自分で在る事だと

思ったのです。



しかし


神様を信じるあるがままの

今の自分を信じて



少しずつ


新緑の美しい季節から


スタートしたいと思っているのです。


(エニアグラムも

初期段階に取り入れて)



詳しくは

少しずつお伝えしていきます。







変わらない言葉…






それは十字架の神の言葉…



草は枯れ

花はしぼむ

だが 私たちの神のことばは

永遠に立つ。

イザヤ40 章7~8節


神のことばは生きていて

力があり、両刃の剣よりも鋭く

たましいと霊 関節と骨髄の分かれ目

さえも刺し通し

心のいろいろな考えやはかりごとを

班別する事ができます。


ヘブル4章12節




人は草のようで

その栄えは 草の花のようだ。

草はしおれ

花は散る。


しかし 主のことばはとこしえに

変わることがない。



ぺテロ第一 1章24~25節




ブルーグレィの教会で…



黒でもなく白でもない



心模様のグラデーション




不完全な人の独り言




みことばを伝える人






不完全なままに



あなたの想いを



あなたと同じ水平線を見つめ



ただ



ただ



聴きます…。








感謝します…。













































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