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写真を撮る、という行為

思い返すと
いつの頃からか

カメラを向けられたときに 
 
居心地の悪さから反射的に
自分が写らないように
姿を隠していたことを思い出します。

 
さらに印象的なのは 
「魂が抜かれるから撮らんといて!」と
少し怒り気味に言葉を発していたこと。

  
 
撮影のご依頼を頂くとき 
撮影に向かうとき

そこに“怖さ”を感じる自分がいます。

  
それはきっと
相手の奥深く、魂に向き合うという時間。

別の表現をするなら
ご神域に立ち入る、という行為であると、
わたしの御魂が感じているからだと思うのです。


モノでも、ひとでも

例えるなら、観光地化していない
御神氣に満ちた神社やパワースポットに
足を踏み入れた瞬間に全身で感じる

目にはみえない存在に対しての
“畏れ”の感覚と同じかもしれません。

 
 
神社や聖地には、
勝手に足を踏み入れてはいけない
禁足地というものがあるように

それは、すべてのものにあると思っていて

すべてのモノ、空間、自然、ひとにも
畏れと敬いの想いを欠かしてはならない、
ということとも言えるでしょう。

 
 
写真を撮るという行為は 
“御神事”であると、
わたしは捉えています。
 
だからこそ、気軽には撮れないし、
撮りたくないという想いがあります。

 
特に、わたしが提唱している
あなた自身の内側にある“ひかり”と出逢う体験は

あなたの神性なる御魂に触れるという
神域に入る行為であり、時間とも言えます。

  
だからこそ、自分自身を整え、
祈り、クリアにして臨む必要があるのです。

当然ながら、 
めちゃくちゃエネルギーが必要ですし、
色んな影響を受けてしまうことも多々あります。 
  
  
それでも、そこに挑戦していくのは

理屈ではなく

わたしの御魂が望んでいるから、
ということしか言えないのです。

  
それは今世に生まれてくる前に
神様との約束をしたこと、を思い出し

そのお役目を果たそう、
ということなのだと感じています。

 
Kokorographyでは、
あなたが、“ひかり”に還る時間と体験を
写真や映像撮影を通じてお届けしています。
https://kokorography.myportfolio.com

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