真・プロジェクトX①~魔城~

 1999年8月1日。その日、東京は日の出と共に気温が上昇し、午前8時の時点で40℃に迫らんとしていた。
 新宿駅西口前を走る通称“小滝橋通り”は片側二車線をギリギリ確保している狭い道ながらも路線バスのルートであり、新宿駅で唯一のロータリーがある為タクシーの往来も激しく、更には駅周辺に林立する百貨店全ての物流ルートともなっていて、都内屈指の渋滞道路とされている。
 そのセンターラインを無理矢理こじ開けるように上下線それぞれ半車線分のスペースで工事現場である事を示すカラーコーンがならべられている一区画がある。
 当時の名称で『都営交通12号線』。新規で作られる地下鉄新路線の工事現場である。

 井村徹は会社から渡された案内図を頼りにここまで来て、交通誘導員に教えて貰い地下へと降りる階段を下った。
 足場に設置された階段は足場二段ごとに折り返す螺旋状になっていて、道路の下がどうなっているかが手に取るように分かる。
 今や小滝橋通りの路面下は完全な空洞で、鉄骨の骨組みに乗せられた覆工板と呼ばれる鋼鉄製パネルの表面にアスファルト加工がされた物が地面の代わりを担っていた。鉄骨の下は高さ2m弱の作業スペースとなっていて、そこから下はコンクリートの床……更に下から見上げると天井という事になるが…があって、そこから下が将来駅舎となる工事部分が広がっている。
 一般的な建物は1フロアの高さが3mで躯体(コンクリートのみで更生される人体で言う“骨格”部分)が更生されるが、ここの高さは4mで、しかも井村が下りて来ている階段周辺は将来JRや私鉄、各既存地下鉄路線からの乗り換え用コンコースになるらしく2フロア分がぶち抜かれた状態である。
 こうした高さ、そして果てしない広さのコンクリート造りの建物を、井村は今まで見た事が無い。とにかく、階段からこのコンクリートの壁がどこまで延びているのか果てが見えないのだ。

 事前に情報を一切入れずに現場に入る主義の井村でも、この地下鉄が翌2000年の年末に開業予定なのは知っている。
 これから、この途方もない広さにくまなく配線を廻し、配管を通し、壁・床・天井の装飾を施して人々が利用するに耐える形に整える……それを残り僅か1年4ヶ月で完成させようというのだ。

 「こりゃ~……無理だぞ」

 井村は呟いた。
 だが、この時の井村はあくまで他人事であった。
 井村は確かに現場の責任者、俗に言う“親方”ではあったが、元請けのゼネコン・帝都建設から見ると二次下請け業者の人間であり、33歳の若手でもあるから、こうした社会的にも規模から見ても巨大プロジェクトを任される立場ではない。
 通常こうした現場には一次下請け業者の実績あるベテラン親方が入って取り仕切るのが常で、事実井村は会社から「取り敢えず行ってくれ」と言われて来ているのである。
 付き合いのある上部会社の親方衆の顔が何人か浮かぶ。おそらく本来入るべき親方の前の現場との折り合いがつかずに、その人の身体が空くまでの間のつなぎで来させられているのだろう。

 「まぁ、誰がやるにせよ苦労した揚げ句に失敗するんだろうな」

 

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