下津家令絵巻 -掌中の珠編-

五、荒魂(あらみたま)、和魂(にきみたま)

《烈日赫赫(れつじつかくかく:太陽の光が激しく照りつけるようす)にして、光彩陸離(こうさいりくり:まばゆいばかりの光や色彩が入り乱れてきらめくようす)
 
 
 空は高くなり、雲も柔らかくなってきた
されど、日輪、短い秋をまだ寄せ付けんとばかりに身を焦がし、森、林、草原、川のきらめきを照りつける。日、連なるごとに弱まるかと思いきや、この世は夏しかございませんと訴えん
山々の緑も「まだ、まだ」と煌めき、太陽と戯れる
 
木下闇(このしたやみ)、強く旅人を引き付ける
 
「おお、助かる。意外とこの山、深かった」
蒼色に呑まれる山の奥。山中を進むは若く、匂やかな武士、アラ(荒木)。眉間から鬢(びん)に向かい引き締まった眉、煌めく漆黒に吸い込まれるような瞳、しかし、目尻はたおやかに下がり気味。鼻筋は端正な稜線を描く。肉付き程良い唇は輪郭を露わにし、口角は柔らかに頬になじむ
眉目清秀ではあるが、ただの色男とはまた異なる。爽やかな風をまとう、いや、風に抱かれる、何とも不思議な愛敬(あいぎょう)
質素ながら上質な糸で丹精された衣から覗くしなやかな肢体、衣に隠した剛健な上腕、胸板。高材疾足(こうざいしっそく:知勇を兼ね備えた、優れた人物の意)を匂はす
 
内から伽羅放つがごとく、人も獣も、草木も花も恋する
 
そうさなぁ
「険山も一転、恋山(したいやま)に変ず」とでも言おうか ― 》

 

「ニキ(二木)、何を先から呟いているのだ。我が藩、城下一の貴顕紳士(きけんしんし)と名高いお主にそこまで褒められては背中がむず痒いぞ」

同行する武士ニキの一人語りを、秋の空を突き抜ける爽やかな声音が遮ります

山中を進むは若き武士二人。一人は才貌両全(さいぼうりょうぜん)の武士、ニキ。そして、もう一人は、ニキが仕える殿の世子で、ニキの一人語りの題材にされていたアラ(姓か名かはご想像に)です。
アラは末法の世には稀な、飛兎竜文(ひとりゅうぶん)、八面玲瓏(はちめんれいろう)の男子、武士として、後継ぎとして、家族、民たちの希望、北辰(北極星)がごとく存在。今は、訳あり、奥州街道を、付近の町、里、村、山を訪問しながら、北上しております最中でございます

「鬱蒼とした山を越えるのに陰鬱にならぬよう気分転換に語っていただけだ。思いの向くままとは言え、なかなかの詩藻(しそう)秀逸な語りであったろう」
ニキは得意気な表情で、わずかな恥じらいを隠します

アラは日を見上げ、眩しそうな眼差しをそのままニキに向けます
「はは、賢いな。照りつける暑さに負けぬためにも良いかもな。しかし、そんなに称えられては、こちらの体が逆に熱くなってしまう。お主は本当に幼き頃より面白い男よの。父上がニキを同行させたのも、腕が立つからだけでなく、道中飽きないようにとの心配りかもしれぬな。ありがとう、父上」

「いや、そこは『ありがとう、ニキ』だろう」
「そうか(笑)。ありがとう、ニキ」

ニキの心は騒ぎます
(そのような人懐こい瞳をされては、こちらは熱く燃え、血滾⦅たぎ⦆らんばかりだ)
胸中の騒ぎを抑え込むように話をつなげます

「面白いのはアラだ。俺よりも武術、剣術に優れながら、類い稀なる紫電はひた隠しにしておる。学問に於いても然り」
「『道』は好きだが、争いは好まぬ・・・」
アラ、口調柔らかに語りながら、視線は何者かの気配を冷静に捉えます。知音(心をよく知っている友)ニキも然り。しかし、その気配、強い殺意はないようす

アラ、何事も無かったかのように眼差し緩め、続けます
「争いは好まぬ。夜の皆が心酔できるものを見つけられる世になれば良い」

ニキは空を仰ぐアラの瞳に見入り、心で呟きます
(深い川は静かに流れる⦅分別のある人は、ゆったりとしていていたずらに騒がない⦆か・・・。わが胸は騒いでばかりぞ」

ニキの決して言の葉には載せられぬ密心(ひそかごころ)、恋風に乗り、山も、野も萌ゆらせます

アラの目、鼻、唇、骨格の陰影が明瞭になればなるほど、ニキの心は淡く、曖昧に

『ソウネ、ヨウヨネ。ワカルワ』
草木、花たちまでもがアラに焦がれ、騒いでおります

騒ぎは、谷も川も越え、岩屋にも届きます

「山が騒いでおる」
あの妖艶な、壮麗な岩屋の女主にも伝わったようです

朽ちた老女が顔を強張らせます
「不審な者ですか」

「いや、不穏な気も一つあるが、それとはまた異する。・・・嫌な気ではない・・・」


風がそよぎ、まだ見ぬ、離れた二人の頬をさらいます


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