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下津家令絵巻 -掌中の珠編-

三、鳴くか泣くか、凪ぐか薙ぐか、鬼か


さて、安達ケ原の鬼婆、鎮まり数百年の後のことです―。

秋迫る烏夜(うや)
草が騒ぐ
弧月の徒野(あだしの)に佇むは
まだへその緒、乾ききらぬ稚児
みすぼらしい布に包まれ、生暖かい、少し湿った土の上
小さな身体震わせ「此処はどこ、我は茲(ここ)ぞ、母はどこ」とけたたましい呱呱(ここ:乳飲み子の泣く声)
草たちは呱呱をかき消さんとばかりに一層さんざめき、うるさい

ささめきは色なき風に乗る
色なき風、黒風と化し
虚空に舞い、落ちる

落ちた先には
鬼か、いや老婆か―

老いて、乾ききった足音は草叢(むら)をかき分け
筋張った、骨がらのような腕(しし)は
枯れ草のざわめき押し伏せ、かき分け、
稚児のもと
ぬっと、
地面に落ちた稚児の顔を覗き込む

日照りで干からびたが如く乾いた頭から
わずかに伸びる艶の無い白く長い毛髪
稚児のあかぎれた頬に触る

皺まみれの顔からは飛び出さんばかりにぎらつく眼(まなこ)
稚児を捉え、妖しく光る

風、呱呱、止み
夜が固唾を呑んだその刹那

襤褸(らんる:汚れた衣服)さらに薄汚れた皮を纏(まと)う骨と指
稚児をむんずと抱きかかえ
思惑を止める不詳の笑み

「はは、赤子でもわしが恐ろしいか」

哄笑高らかに風と舞う

「恨むは、この徒世(あだしよ)ぞ」

闇夜に吼(ほ)ゆる朽ちかけの女
まだ濡れた稚児かかえ
軽やかにかたらかに闇の宮へ

今にも朽ちん体とは解せぬ速さの身のこなし

静寂戻りし荒野(あらの)には
ただ奇怪のみが余韻を残す・・・


老婆か、いや、鬼か、物の怪か
稚児をむんずと抱きかかえ
野を駆ける
満天の星々がじっと稚児の姿を追う

辿り着けるは
小さな山の塚のそば
冷たい岩谷の狭間
いや、あの世かこの世か分からぬ狭間かもしれぬ

稚児、藁でできた籠の中
泣き疲れ、寝入り、ほんのり赤らむ頬には
涙の後

音の無い岩屋に蝋燭(ろうそく)は風を呼び
赤子をかこむ二つの影を
ゆらゆらと映し出す

ひとつは先の朽ちかけた老婆
その傍らに揺らめく影は
紗(しゃ)衣から光が溢れんがごとく神々しく、たおやかな造りの
まさに傾国の美女、いや、妖女か
青糸の髪(みぐし)は清流のように流れ
双眸(そうぼう:左右の眼)は哀艶(あいえん)、睥睨(へいげい)共に瞬く

儚く潤んだ眼、しかし冴えたる口元が
一層妖しく、耽美な香りを放つ
はて、この世のものか

白く細い真玉手(またまで)で
そっと
天の衣をさするように稚児の柔らかな涙痕(るいこん)をさらう

氷肌(ひょうき)に開く豊満な丹花の唇
冬の鐘がごとく冷えた声音が
固く閉じた花弁を押し開く
「鬼の捨て子とはよく付けたものじゃのう」

蝋燭はまた一艘の風を呼び
二つとそして、小さな一つの影を
ただ、ただ、
静かに、揺らすのでありました

※鬼の捨て子:ミノムシ(蓑虫)の異名。「枕草子」で親である鬼に秋風が吹くころに迎えに来ると嘘をつかれて捨てられたミノムシが、秋になるたびに「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴くと書かれていたことから。《季語・秋》



こちらの絵巻の前作「異類婚姻譚 下津家令絵巻 -狐異人編-」は
こちらから 


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