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お兄ちゃん万引き未遂事件

「ズボンのポケット、パンパンやん!」


思い返すと思わずエセ関西弁でツッコミをいれたくなるくらい、兄はポケットいっぱいに未清算のサプリメントを詰め込んでいた


半身まひで、左手はだらんとたれ、左足は変形を抑えるため補装具を付け、ハンドタオルでよだれをぬぐう兄

ポケットの違和感に気付いた私を見て、「入っていない、何も入っていない」と喋れないのだけれど、目で健気に訴えた


私は、兄の力の入らない左手の分の役割も担った、握力の強い右手を必死でつかみ、引っ張り、店員さんにばれないように「なんで!なんで!絶対だめだよ!なんんでっ!」と心でさけびながら、サプリメントを棚に返した(これは、未遂でいいのかな)



父が20●●年、母が翌年20●●年に他界し、弟は東京で独り暮らし

20●●年だったかな

(この頃の記憶が鮮明なようで、全てがオブラートに包まれたように全ての感覚神経に触れないように記憶の奥底に運ばれていってしまった気もしている)

出戻りの私は両親が中古で買ったネズミとゴキブリだらけの実家に

兄と二人で暮らしていた


ホームヘルパーさんの力を借りながら、私は自動車で一時間かけて市街地の会社に通い、兄は近くの作業時にご近所さん、母の友人の方々に送迎していただきながら通っていた(作業所の送迎車は私たちの家はエリア対象外だった)


会社のエライ方には「昇級はないのだから、せめて、ちゃんと休みとって」と労わりのお言葉をいただいていた私

私の収入と兄の障害者年金だけでは贅沢はできなかった

生活費への不安だけならまだしも、郵便受けには毎日のように、無くなった両親宛の請求書、催促状が「ほらー、いつ払うんだい」と折り重なっていた


兄の作業所の賃金は多くて5000円だった



20●●年になっていたのかな

体も財布も限界に達し(いや、いい訳かな。心が限界だったのかな。お兄ちゃんごめんね)、周囲の勧めもあり、兄に隣町のグループホームに入所してもらった

私は、会社近くの1Kの築20年くらいのアパートで初めての一人暮らしを始めた(30歳後半だった)


兄は買い物が大好きで

中でもサプリメントを買うことが生きがいになっているかのようだった

(必死で健康でいなきゃと思っているのだろう)


申し訳なくて、週末はできる限り施設に迎えに行き、買い物に連れていった


兄の欲しがるサプリメントは高額なものが多くて、兄の作業所の賃金だけでは買えなかった

施設に入る前、両親がいた頃は、親せきからお年玉をもらったり、ギャンブルでお金を借りた父の倍額返済(すぐにまた借りるのだけれど。笑)でお財布にゆとりがあった 


それらも途絶え、さらに、作業所の賃金が振込に変わり、通帳も入所時に施設に委ねる条件だったので、なかなか作業所のお金も手元に入らなくなった(無駄遣いをしないようにとの施設の方の気遣いだったのだけれど)


毎回、兄の買い物に行くと、次会うまでのおやつ、飲み物、日用品、そして、作業所で食べるパン代などなど

1万円前後必要だった

そこに、おこずかいも渡していたけれど、

足りないから、予算を大幅に超えそうなときは、ジェスチャーで×とやって、諦めてもらっていた



そしてからの、

「ズボンのポケット、パンパンやん!」だ


兄のサプリメント選びはゆうに1時間ぐらいかかる

その間に、ちょっと、自分の欲しいものも探してしまった、ほんの束の間だった(と、思う)


兄が盗もうと思うまでに追いやっていたことに衝撃をうけた


帰りの車中


二人きりの空間

「ダメだよ!絶対にだめ!警察に捕まるよ!厚子、泣いちゃうよ!!」

と叫びながら、ハンドルを握らない方の手でジェスチャーも交えてどなった


兄は、右手で頭を本気で殴りはじめ、声を上げて(実際はうなり声に近いけれど、それが余計に悲しい)泣いた


ダメだ!このままじゃ血がでちゃう

ジェスチャーをしていた手で兄の右手を掴み、「だめ!そっちの方が悲しいよ!」と叫んだ


力が強くて、車はかなり蛇行していたと思う


二人でえんえん泣いた


一緒に泣けて良かった



ただ、それだけのこと



父、母が無くなり●年


今日、やっと

納骨をしてきます



ただ、それだけこと


今、全ての思い出は、オブラートが溶けだすと共に

じわりじわりと私の身体に染み込み始めている

やっと、効いてきた

ただ、それだけのこと

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