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僕は障がいがあるそうです。

僕は障がい者です。
障り、害がある者だそうです。
大きく先天性、後天性の2種に分類されることがあります。
僕は、後者にあたり、生まれて10カ月で高熱を出し、町のヤブ医者が2、3日すれば治るでしょう、様子を見ましょうといったせいで3日後にさらに熱が上がり東京女子医大に緊急入院。集中治療室に入り、退院する時には、左半身麻痺、言葉も話せず、軽度の知的障害という障害児になっていました。
僕のお母さんは「自分のせいだ。自分のせいだ」と自責の念に追われ、それは最近68歳で死ぬまで背負っていたようです。
僕は全くお母さんのせいだと思っていません。でも、言っていることや伝えたいこと、大好きな菓子パンを買ってもらえないとか、おこずかいをもらえないとかの辛さを理解してもらえない時はひどく憎いです。
でも僕の知っている「人を憎む」には限界があるようです。僕は心底人を憎むことはありません。
「あ、僕のこと下に見ているな」というのはなぜか敏感に察知できるのですが、その人を憎むことはありません。嫌いだな、と少しおもって話さなければいいんです。あ、もともと言葉は発せられませんけど。その人の言っていることが理解できないですと首を傾げればいいのです。だって、知的障害があると言われているらしいので。
僕には妹がいます。弟もいますが妹ほど近くに感じません。僕に優しくする人を「甘やかしている」と言ってねたむからです。心に、世間でいう所の障害があるのでしょう。そもそも、障害の定義が分かりませんが。
妹は小さい時は純粋にかわいい妹、家族でした。でも、義務教育に入ってからは僕のせいでいじめられていたそうです(僕にとっていじめと差別、偏見、過剰な優しさの境界が分かりにくくてこまりますが)。僕を直接責めることはありませんでしたが、僕のお世話、借金取りの対応に必死だった母にも泣き言は言っていなかったようですが、本当は小さな心臓を精いっぱい大きく膨らませて、言い返したい言葉をごくんっと飲み込んで、「まともに捉えてはいけない。これはいじめではない。言霊は全て自分にかえってくる。彼らもかわいそうな子」と悟りを得たと信じ込み流していたようです。そんな妹が純粋に僕は大好きです。今となっては両親がいないので、もっと大好きです。弟はたまにかえって来るだけで、僕のペースを乱すので正直あまり好きではありません。家族でも家族を下に見ることもあるんですね。僕が何も知らないとでも思っているのでしょうか。
一歩家の外に出るといろいろ気になること傷つくことは、これまでたくさんあった、言われたけれど。僕より母や妹が傷ついていました。特に母は罪を感じていたようです。僕はそっちの方が悲しいです。
だから、適度に、属にいう普通の人と同じような接し方で、接するように、ほっといてください。

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