阪神淡路大震災から29年が経ちました。

阪神淡路大震災の発災から29年目の1月17日を迎えました。
この震災でお亡くなりになられた全ての方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
また、今なお被災の傷跡に苦しむ多くの方々の心の平安をお祈り申し上げます。

今年1月1日、能登地震が発生しました。
犠牲となられた方々に深く哀悼の意を表します。そしてご家族や大切な方々を亡くされたみなさまへ謹んでお悔やみ申し上げます。また被害に遭われたみなさまへ心からのお見舞いを申し上げます。

能登地震が起こってすぐ、偶然、次のようなことばに出会いました。
「能登はやさしや土までも」 
とても心に響いたので少し調べてみたところ、次のようなコラムがありました。

その後、被災地の様子を伝えるテレビの報道に接していて、能登の人たちの、人に対する思いやりの深さ、お人柄のやさしさが画面を通じて伝わって来ました。「能登はやさしや土までも」ということばをそのたびに思い出していました。心に残ったニュース報道のひとつをご紹介させていただきます。

創業110年の和菓子店が甚大な被害を受けました。「去年の地震の時にも、かなりの被害を受けて、店を修理したばかりなのに・・・再建はむつかしいかもしれない」と呆然とした様子で小さく呟きながら、お店の片づけをしておられました。するとこのお店で作っている「太鼓饅頭」がきれいな、食べられる状態でたくさん発見されました。開口一番すぐに、「これ、避難所へ持って行ける。持って行こう」と笑顔で仰いました。(このテレビニュースを活字にしたものがありましたので、以下、ご紹介しておきます。)

私はこの様子に強く心を打たれ、思わず目頭が熱くなりました。人間としての優しさと思いやり、生業を守り抜こうとする職業人としての強さ・・・本当に尊敬の念で頭が下がる思いです。

この和菓子店の人たちのような、人に対する優しさや思いやりがあって、柔らかな言葉や雰囲気の中に、自分自身の生活とふるさとの再建に向けて、強い意志をしっかりと見せている能登の人々の姿に、報道を通じてたくさん接しました。

震災は多くの人々の命を奪い、被災地の生活基盤を「根こそぎ」にし、そこに住む人たちを大変な苦痛と困難に陥れてしまう、本当に恐ろしい自然災害であることを、能登地震で改めて痛感しました。
被災地の外にいる私が、「自分のできることはなんだろう」と自らに今も問いかけています。能登の人たちの多くが、自分の周囲の近しい人たちを大切にしながら、今、できるところから地道に生活を再建しようとしている、その姿はそんな私に大切な道標を示してくれていると感じています。

中井久夫先生はそのご著書で次の様に書いておられます。

私は外国人の疑問(筆者注:日本人は震災の時にどうして整然と行動できるのか)に対して、 日本人は「無名の人がえらいからもっているのだ」と答えてきたが、 これは外国人といえども認めるのにやぶさかではないようだ。(中略)神戸の震災でも、 震災直後からとっさの智慧を働かせ、 今この状況の中で自分に何ができるかを考えて臨機応変に対応してきた無名の人々をあげることができる

中井久夫. 災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録 (p.20). みすず書房.

また兄・安克昌は繰り返し被災地に入ってボランティア活動をする「リピーター」と呼ばれる人たちのことについて、阪神淡路大震災発災から約1年を経た頃、次の様に触れています。

ボランティアが華々しく活躍した時期は、今となってはなつかしい思い出である。その多くの人たちとはもう会う機会もないかもしれない。
だが、今も地道に目立たず活動しているリピーターたちがいる。彼らの存在がどれほど貴重なものか、強調しすぎることはないだろう。リピーターたちは災害直後の混乱期の救援活動とは違った、きめ細かい活動をしている。(中略)なにもいいとがなかった大震災だが、私にとって唯一よかったことは、そういう人たちと出会えたことである。

安克昌 心の傷を癒すということ 新増補版(P149) 作品社

中井久夫先生や亡兄が、阪神淡路大震災の時に書き残した文章を貫いている思いは、「だれに言われることも無く自発的に、地道に黙々と活動をつづける多くの『無名の人々』」に対する、首を垂れんばかりの敬意と共感でした。
能登地震で亡くなられた方々の魂を鎮め、被災による様々な困難で、心身ともに傷ついた人たちの苦しみを少しでも和らげるために、被災地の外にあってできることは、なんだろう・・・そう考える時に、出発点はこの「敬意と共感」なのだという思いを強くしています。
この思いを起点に、「自分のできること」を具体化し、行動に移していければ、と思っています。

映画・心の傷を癒すということ製作委員会 安 成洋

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