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020.優しさについて問ふ




最近友人と優しさについて話をすることがあって、
何が本当の優しさなのだろうと改めて思い直していた。

ある人の優しさは言うことを優しさだと思っていること。言わないことが優しさなら言うことは愛という人で、言うっていうのは何でも言うんですね。傷つくような普通の人なら言いづらくて言えないような案件でも、躊躇せず伝えることが愛で、逆も然り。いいことも悪いこともストレートにお伝えすることが優しさだと。


そういえば思い出したけど、昔(20代前半のとき勤務5年ちょっと)の職場で相談を受けるとき「私に相談するってことは、思ったままをはっきり伝えるけどいいの?」って伝えて「いいです」っていう人にはいいことも悪いことも思ったことをバッサバッサ言っていた時代があったんです。
(もちろん冷たく言うのではなく愛を持ってお伝えするのですが!今思うとどの口が言ってるんだ!って感じです。恥)

今書きながら上記に書いた人とわたしの昔の優しさや愛の定義はちょっとだけ似ていたのか?と、うっすら思ったりして。
でもね、マジでいろんなことにヤラれててそんなの聞けるメンタルじゃない人にはマジでくらうんですよね。その時はわたしは若かったし言うこと(怒ることが愛)が正義だと思ってたから、全然気づいてやれなくて、あのときあんなにバッサバッサ言ってぶった斬っていたことを数年後に少し後悔したこともありました。
もっとその愛の使い方があったんじゃないかって。合う人にはそのやり方、そうじゃない人には別のやり方でいいんですよね。全然柔軟じゃなかったんです。(数年前に道でばったり辞めてぶりに会ったことがあってその時に謝ることができたのがせめてもの救いでした)



一方、今のわたしは昔とは全然真逆に成長しました。あんなにぶった斬っていたわたしはどこへ行ってしまったのか、寄り添うほうにいきました。
思うように自分でやってみて上手く行ったら一緒に喜ぶし、ダメでもこっちに戻っておいでな。というスタンス。何も物申さない。(言うときは言うけど!
え)
いくら他人がどうこう言おうが、自分で決めてやらないと動かないし、心も動かないと思っているからなのです。



わたしの友人はその両者の優しさをその人それぞれの優しさだと思うから正解はないんだと言いました。


そしてタイムリーにも、吉本ばななさんの本で優しさについて書いているのを読んだのですが、


(相手に合わせず、自分が優しさだと思うことをある程度の線を引きながら素直にする
お礼を言われたり気分良くなることは期待しないで、できる範囲で。
その人を本当に思ってすることが、本当の優しさ)


友人がいってることとばななさんが言ってることは似ているなあ。



四十過ぎても、わからないことはわからないです。
全然人間として足りないことばかり。
なので日々人間の厚み重みを積む努力です。








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