トラウマケアの方法論① オンラインEMDRについて / 沖縄県 臨床心理士
沖縄県うるま市でオンラインにてEMDR療法を行っています、心理相談室ココロンの利根川です。
今回は、私がオンラインカウンセリングで使用しているEMDR(眼球運動による脱感作と再処理)という心理療法について書きたいと思います。
トラウマケア系の記事を書くことが多い私ですが、EMDRそのものについては何気に書く機会がなかったため、私の経緯も紹介がてら、書いてみます。
1、EMDRとはなにか
まずEMDRとは何か?というところから始めたいと思います。
EMDRは心理療法(カウンセリング技法)のひとつです。
Eye Movement Desensitization Reprocessingの頭文字をとって、EMDRと呼びます。日本語で訳すと、「眼球運動を用いた脱感作と再処理法」です。
アメリカの臨床心理学者、フランシーン・シャピロが発見しました。
EMDRは従来の「言葉を使ってやり取りする心理療法」と異なり、「眼球運動」を用いるところがユニークな点です。
具体的には、
ことによって、脳が行う記憶の処理を急速に促進することができます。
この「急速に」というところがEMDRの一番の特徴で、ただ頭の考えとして整理がついた、ではなく、
・記憶が薄れて思い出しにくくなったり、
・体感を伴って、緊張が抜け、身体が楽になる感覚(=脱感作と言います)が現れる点
が印象的です。
また相談者の負荷が比較的少なくて済むところも、大きなメリットです。
それまでのトラウマ治療は、問題となる刺激にある程度長く、繰り返し呈示することが必要と考えられてきましたが、
EMDRはひとつの記憶に対して通常3セッションあれば概ね処理が終わります。
その点も、EMDRが知られた当初は驚きの目が向けられたようです。
ところが、次第にトラウマにも、
・いわゆる交通事故や被災のようなラージ「T」 だけでなく、
・累積的な愛着の傷つきによるスモール「t」
の2つの区別が知られるようになるにつれ、いわゆる複雑性のトラウマ(スモールt)にEMDRを用いる上では、少なくとも通常通りのEMDRだけでなく、改良・応用が求められることが分かってきました。
(それがいわゆるパーツワークやボディワーク、マインドフルネスとの併用です)
そうした中で、災害・事故のようなショックトラウマは比較的速やかに処理が進みますが、現在、複雑性トラウマについてはどんなセラピストでも最低でもおおむね約1〜2年の時間をかけて症状の解決をしていくことが一般的となりつつあると思います。(私見含む)
したがって複雑に問題の絡み合った問題に対しては、私は言語面接だけでは少なくとも不十分で、EMDR等を使った、大脳辺縁系・脳幹の深いレベルへ神経心理学的に働きかける心理療法が必要であると考えています。
2、心理療法の区分:トップダウンとボトムアップ
昨今、心理療法には「トップダウン型」と「ボトムアップ型」の区分けが提唱されており、
1、主に言語を用いた前頭葉から働きかける心理療法を「トップダウン型」
2、身体から働きかける(=大脳辺縁、脳幹)形式を「ボトムアップ型」
と呼びます。
EMDRは後者のボトムアップ型に属します。
トップダウン型には認知行動療法や精神分析的心理療法、などが当たります。
言語を使って理解を深めていく方法です。
ちなみに、EMDRも認知行動療法が発見した「自動思考」や「スキーマ(認知の枠組み・およびその歪み)」の概念を援用しており、
そこに「五感ー身体ー感情ー思考」を一連のまとまりと見る、心理学者・ダマシオのモデルが重なり、どちらかというとミックス、あるいは統合型、であると見ることもできます。トップとボトムの中間的な位置付けです。
これらはどちらが優れているという話ではなく、どちらも重要です。
全体でひとつの脳だから、です。
3、私がEMDRを用いる理由
さて、私がEMDRを用いる理由としては、このボトムアップ式の心理療法の草分け的存在であることと、その効果において国際的に知られている一定のエビデンス(根拠)があることが挙げられます。
言語面接が主流の中で、私にとって貴重なソマティック(身体的)なアプローチであることも大きいです。
一方、実は元々の私のバックグラウンドは精神分析的心理療法です。
これはフロイトの創始した心理療法で、主に「言葉」と「沈黙」を重視するものであり、ゆっくり時間をかけて自身のテーマである無意識を掘り下げていくものです。
こちらはこちらで100年の歴史があるので、人と人が出会うことにまつわる交流の理論として、また人間の無意識についての理解には、深い蓄積があります。
精神分析は私にとって、人と人が出会い、そこで起こることをどう理解しマネジメントしていくかにおいて、常に通底で流れている一個の思想です。
精神科臨床のジレンマ
私は精神科で務める中で多くのカウンセリングを行ってきました。
そこにおいて精神分析は一定の説得力を持ちました。
しかし、病院臨床で出会う方の中には、今思えば言語的に一緒に抱えることのできるテーマの方もいれば、それだけでは抱えきれない方もいました。
たとえば決まった週何回、といったカウンセリングの構造にはしんどくて乗り切れない方の存在です。
しかし生活が既に不安定なためにそこに乗れない方もいます。
たとえば、
・長い間、休職中で外に出るのに消耗する方
・人と会うこと自体に負荷を大きく感じる方
がそうです。
また、さらにフラッシュバックを伴う状態の場合、言語だけでは少なくとも片手落ちで、さらに上記のようなケースには生育歴にトラウマティックな体験が伴うことがほとんどであることもわかりました。
そうした方々に対して、
「カウンセリングはまだ早い」とか
「その人はまだ準備ができていないから」
といってお断りしたとして、セラピスト側はいいのかも知れませんが、その人の人生はそのまま続きます。
薬物治療のみでは改善が見られない状態の方が、藁をも掴む思いでカウンセリングに繋がられたのに、「言語面接ではやり通せないので打つ手なし」と言われてしまっては、クライエントを路頭に迷わせてしまいます。
これが当時の私も完全には気づいていなかったですが、精神科医療にて微かに感じていたジレンマでした。
日本の現在の医療の枠組み上、仕方のないことでもあるのですが、
少なくとも医療機関はまだカウンセリングを受けるための場所としては機能していないと思います。
(※心理療法は保険適用外なのです。各病院ごとに裁量と枠組みは委ねられている)
トラウマ理論の存在に気づく
そうした時代を経て、その後私にとって重要な発見になったのは、トラウマ治療に端を発する「安定化」段階の必要性と、ソマティックなアプローチです。
安定化の意味については拙著の過去記事をご覧ください。
トラウマ理論は、現在ある意味、一つの学派を成しており、ひとつひとつの事例を紐解き、読み解く上での切り取り方の一つです。
これが正解かはまだ仮説上のためわかりませんが、現状考えうる中での最適解ではないかと今の私は考えています。
この考えがあることで、カウンセリングで扱うことのできる適用範囲が広がり、重篤な状態のクライエントに対して、言語面接では突破できなかったこころの層まで手が届くことが可能になりました。
また昨今の神経心理学の発展も非常に重要で、危機的なストレスを経験した時の身体反応の理解としての「ポリヴェーガル理論」も重宝しました。
こちらも拙著で詳しく述べていますので参照ください。(ちょっと硬い文章ですが)
ポリヴェーガル理論は、カウンセラーたちにとって、今どこに自分たちがいるのかを知るための「地図」を提供します。
4、現在の私のアプローチ
その後、さまざまな方とのカウンセリングの経験を積み重ねていくうち、
必要な技法や知識は増えていきました。
現在(2024年)のところ私の主流なアプローチは、
あたりがメインになっています。
もちろんクライエントの主訴に最も合った治療法を選択していくのがポイントであり、すべてをいつも必ず使うわけではありません。
トークセラピーをゆっくり持つ時もあります。
トークは大事です。上記が用い得ないとき私の脳内は精神分析モードになります。
ともあれ、一個一個が必要な道のりであったとは感じます。
さて、今回は長くなったため、一旦ここで文章を止めます。
次回は、EMDRのもう少しつっこんだ成り立ちの部分について書きたいと思います。
オンラインEMDRと銘打っておきつつ、オンラインの部分については触れることができなかったので、その辺も触れたいと思います。
今回も文章にお付き合いくださりありがとうございました。☺︎
その2をお楽しみに。
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