三月のパンタシア

恋は幻。愛はシャボン玉。幸福も不幸も、錯覚だ。それだけじゃない。
仕事をしていたらとりあえずそんな気になる。勉強をしていたら賢くなった気になる。けれど、実際の仕事も勉強もただの作業だ。
「何かをしている錯覚」をすれば人生丸ごと錯覚する。だからこそ生きた証として僕らは伝えなければならない。それは多ければ多いほど良い。早ければ早いほどいい。あなたと同じことを考えている人は、君に遠慮なんかしない。緻密さなんてものは二の次である。これから生み出すモノはできれば誰かのものでなく一人の個人としてであれば、尚よい。ある日君の大切な場所が爆破されても、あなたの知見は役に立つ。そのために学ぼう。遊ぶのは働くため。聞くのは話すため。読むのは書くため。見るのは作るため。その予定を貪欲に立て続ければ、予定外も併せ呑み、何かを創りだすことができる。善も、悪も。ただ、ひたすらに生き急ぐのだ。

ニャーン

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