自信がある人と自信がない人の違い

(読了目安7分)

「自信をつけたい」と思っている人はとても多いですよね。


実際に、自信がある人はモテモテですからね。


今回は、自信がある人と自信がない人の違いの説明と、自信をつける考え方の一例を紹介します。


すぐに実行に移すことができますので、やってみてください。


これであなたも「長く愛される人」「知恵のある人」「オリジナルブランドの人」に一歩近づきます。



まず、「自信」という言葉の定義ですが、マスターのnoteで言うところの自信とは、自分を含めて「人間の不完全さを信じる」ということです。
「自信がある人」というのは、自分が不完全だと理解している人、ということです。


みなさんは、自分のスマホを探した経験はありませんか?
持っているはずのスマホが見つからず、探したら「トイレに置いてあった・店や車に置き忘れていた・布団の中にあった」などの経験です。

状況証拠から言えば間違いなく自分がやったことなのに、あなたの記憶にないわけです。


これが、人間が不完全なことを教えてくれる経験のひとつです。


そのときあなたは、「私はやってない! 私を陥れようとしてるのは誰!」なんて考えませんよね。

なぜなら、スマホの置き忘れに関して、自分の不完全さを信じることができているからです。


ですから「次から気をつけないとね」と素直に考えることができ、自分にも、他人に対してもストレスを溜めないわけです。
自分の不完全さを本気で信じることができるから、ストレスを溜めなくてすむわけです。


さて、では本題です。


想像してみてください、あなたはマスターの店で仕事を手伝っている3人のスタッフの一人です。


マスターが包丁を使おうとすると、いつもあるはずの場所に包丁が置いてありませんでした。


スタッフの誰かが置いたことは明らかだったので、マスターは、スタッフに会うタイミングで3人にそれぞれ声をかけました。


「包丁が違う場所に置いてあったから確認なんだけど、使った包丁は洗ってここに置いてくれる?」

こうやって3人に声をかけたんです。


さて、この言葉に対するリアクションで、その女性に自信があるかないかがわかります。


ちなみに、スタッフは全員、自分が置いたと思っていません。


置いた本人は無意識に置いてしまったんです。


そしてマスターも誰が置いたかはわかりません。


そんな状況でのリアクションだと思ってください。


「包丁が違う場所に置いてあったから確認なんだけど、使った包丁は洗ってここに置いてくれる?」

というマスターの指示に対して、「自信がある女性」はどう答えるか・・・



「はい、わかりました」

と元気に答えます。



では、「自信がない女性」はどう答えるでしょうか(マスターの店のスタッフにこんな人はいませんけどね)。


それは・・・

「あ、はい・・・」

「私じゃありません」

「他の誰かが置いたんだと思います」

「もしかしてマスターが自分で置いたのを忘れてるんじゃないですか?」

「私は絶対に置いてません」

「私は関係ないです」

などのリアクションです。
マスターはただ、置き場所の確認をしただけなんですけどね。
上記のように答える人は、「私は正しい」「疑わないでよ」「評価を落とされたくない」などの自衛の気持ちが先に立っているんです。


そして、そう答えてしまうのは・・・自信がないからなんです。


さらに「他のスタッフがやったんでしょ?ホントはマスターじゃないの?」と他人に対してストレスを溜めてしまい、それがさらに「私はいつも疑われているのね」「もうイヤ!」みたいにエスカレートしていきます。


これは、「私が正しい」と思い込んでいることが原因です。


スマホの置き忘れのように、状況証拠があれば素直に認められるミスでも、状況証拠がない場合、「自分がミスをしたと認めたくない・疑われるのもイヤ」というのが人間です。
そして状況証拠がない場合に自分の正当性を主張したくなるのは、自分の不完全性に自信がないからです。
(自分は間違えていない・間違えるはずがないと信じたいからです)


こんなときに本心から「私が間違えたのかも」と思うことができる人が、気持ちよく「はい、わかりました」と言えるわけです。


マスターの言葉の主旨は「今後、所定の場所に包丁を置くことを徹底しましょう」ということであって、「だれが置いたかを明白にすること・犯人を叱ること」ではありません。
そんな状況で、「私は絶対に置いてません」という答え方をするのは、裏を返せば「評価が落ちるのが怖いです・疑われることに耐えられません」という子どもの思考ですから、周囲は「君はすごいね・間違えてないよ」と言いながらも、結局その人から人が離れていってしまうわけです。


これが、自分の不完全性を信じず、「自分は間違っていない」と信じる人が孤立する理由のひとつです。


以下、自信がある人と自信がない人の違い、そして自信をつける方法などについて、表現を変えて2つ書きますので、なにかのヒントにしてください。



◎自信について 1


「自信がある人」は、人間の不完全性を理解した上で行動している人です。


自分や他人を責めない結果、ストレスで自分を追い込みませんから、批判や愚痴もなくいつも明るく元気です。


注意を受けても自分の正当性を主張しようなどと考えず、「はいわかりました」と答えます。

具体的には、「自分も間違えることがある」、そしてそこから発展して、「人間は間違えることがある」と本心から理解している人です。


たとえばあなたを叱った相手があなたと同じミスをしているとしても、あなたは「あんたがミスしてるんだから私もミスをしていいじゃないのよ」とか「ミスをするあんたに私を叱る資格なんかない!」などと言いませんよね?


それが大切なんです。


また、叱っている人のことを「この人だって不完全な人間だからね」と理解することも大切です。
そこを理解できれば、叱っている人を理解できるようになれるからです。
生きていれば、意見の食い違いや勘違いなんて当たり前にあります。
自分にとって「常識」だったことがあっけなく否定されることだってよくあります。


しかし、「相手が私を理解できないのはお互いに不完全だから、私が相手を理解できないのもお互いに不完全だから」、これを理解していればストレスのない人生を送ることができます。


一方、「自信がない人」は、自分が正しいと信じて行動している人です。
「あいつが悪い」と、不都合の原因を外側に求め、批判や愚痴ばかりでストレスから解放されません。
注意を受けると自己弁護や自己正当化に専念し、周囲との調和さえ崩します。
具体的には、注意を受けると弁解から入る人、また、「納得できない感情を隠せない返事」をする人です。
また、相手や他人のミスを引っ張り出し、「あいつもやってるんだから私が言われる筋合いはない」と反論します。


「周囲から理解してもらいたい・私は嫌われているんじゃないか・評価が落ちるんじゃないか」とおびえているので、ストレスから解放されません。



◎自信について 2

「自分は正しい」と信じたり主張したりすることが「自信がある」ということではありません。


「自分は間違えていない・自分は完璧」と信じることによる自信はすぐに傷つきますから、むしろ「半端な自信」と言っていいかもしれません。


一方、「自分は不完全だ」ということなら、みなさんも受け入れる気になりませんか?
自分の不完全性は、スマホをどこかに置き忘れる自分が証明しているんですから、信じていいのは自分の不完全性なんです。


「人は完全」ではなく、「人は完全に不完全」ということです。


そして「自分は不完全」と信じることが、注意されたり叱られたとき、素直に「はいわかりました」という返事につながり、それがストレスを溜めないことにつながり、愛を発信することにつなげていけるわけです。


「はい、わかりました!」と元気に答える女性と「私じゃありません」と渋く答える女性では、そこまでのいきさつはどうであれ、前者がモテるに決まっています。


「自分が正しいことを証明したい」「自分が間違えていないことを証明したい」などと考え、言葉が濁っているうちはモテません。


自信をつける方法は、「人間の不完全性を信じる」ということです。そしてその具体的な方法は「批判や愚痴を言わずに元気に生活する」ということです。

「私は不完全なの!」と明るく生き、少しでも完全に近づくための努力を続ける姿が、自信を持って生きている姿です。
なかなかできない努力だからこそ、自信を持って生きている人はモテるんです。


◎まとめ

「自信がないんです」・・・いままでに多くの人からこの言葉を聞いてきました。
マスター自身も、「自分に自信がある」と言い切れるわけではありません。自信がある人と自信がない人の違いは、人間の不完全性を信じているかどうかです。
このことをいつも忘れず、自分の中の愛を見つける旅を続けてください。

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