飴菓子 / 群青

飴菓子 / 群青

・突如、食べ物を食べられなくなり飢餓状態に陥る狼
・1年間、飴の妖精(飴菓子)に狼は血を与え続け、1年後その飴菓子を食べることで飢餓から抜け出す
・血を飲まれることで飢餓感の薄まりと体力などの回復が得られる
・彼女らは(飴菓子)、1年経つまでは食べることができないほどの猛毒を身体に持っている

最初の設定部分だけを立ち読みした時に想像していた話の流れとは、だいぶ違う展開の漫画だった。

1年間、飢餓状態を我慢して、我慢して、自分が見つけた飴菓子を食べる。飴菓子を食べることでしか飢餓から抜けることはできない。途中で我慢できずに飴菓子を食べようとしても、彼女らの持つ毒でそれは不可能。他の食べ物で代替えすることもできない(吐いてしまう)。
そんな究極な状態に追い込まれながら、大切に飴菓子を育てる。自分が生きるために。
そう、最初は “自分が”生きるために。

彼女たちは、”自分だけの” 狼を得ること、彼らに1年後食べてもらうことを生きる目的としている。彼女たちは、自分を見つけてくれた相手を心から大切にする。それは、自分たちが彼らが居ないと生きていけないからでもあり(狼の血しか食べられない)、彼らに食べられることを生きる喜びにしているからでもある。
食べてもらうためには、ただ彼らの血を飲めば良いのではない。”心に沸く、甘い気持ち” によって毒は無毒化されていくのだ。彼女らは、それを本能的に知っている。だから彼らに甘え、媚び、尽くす。徹底的な弱者と化す。

狼にとって最初はただの飢餓から抜け出すための道具でしかない飴菓子も、1年間常に行動を共にし、他の狼から彼女を守り、必死の思いをして生きて行く中で ”情” が生まれる。その情が恋なのか、家族なのか、友人なのか…。
湧いた情、甘い気持ち。それによって、飴菓子は成熟する。
彼らの心の通いが、最後、”彼が彼女を食べる”ことによって完結される。永遠に彼のものに彼女はなるのだ。

“食べて” はキーワード。

彼女らは生きる目的がそこで達成されるため、幸せは終わりなのかもしれない。でも彼らは食べた後、彼女らを身体に取り込んで生きて行くことに幸せを感じるのだろうか。この慣例行事を経た先に心の成長が生まれているのだろうか。

物語の展開スピードは早い。色々と深堀したくなるような設定だが、1年間の主人公の通過儀礼はたった1冊で終わる。その後の3冊では、辛い1年間を越えたにも関わらず飢餓状態から回復できない主人公が悩み苦しんだその後の生活と、飴菓子の研究話が展開されていく。

なぜ、主人公は彼女を食べたのか。
食べるまでの1年間、彼女との心の触れ合いが彼にどう影響し、その後の3冊にどう繋がったのかがもっと知りたかった。
主人公と彼女との心の葛藤が物語を深くすると思ったのに…。
話としては、すごく好きだったけど物足りなかったのが残念。

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