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継続は力なり

「継続は力なり」ってなんなんだろうか。誰の何のどのような力になるのか。というか、まず何をどれくらいどのように継続しているのか。

この言葉が事実であると言える人間は(何をはさておき)長い間全力で(もしくはそれなりの意思の強さで)継続している人間である。ここで自分のことを出すのはあまりにもおこがましすぎるが、私はそういう人間だと自覚している。そうでないと13年を同じことをやってきていないだろうし、こうして14年目に突入するはずもない。
継続していることは確実に力になっていると思っている。何を、というと、努力を。これはよく言われる「努力は実を結ぶ」とは異なる話で、めきめきと成長しているかどうか、という話である。13年間も同じ(ような)楽器を叩き散らかしてきた。その全てが、努力の日々だったように思える。直接的な練習をしていなくてもマーチングのことを考えていたり、それについて何か作業をしていたり。そのような日々であったことは間違いない。気持ちをマーチに向け、何かしらのことをしている。それだけでもある種の努力なのである。努力のハードルの低さは論点ではない。何かにかけるエネルギー、私はそれを努力として認めている。そしてそのような日々を送った私はあの頃よりも遥かに上達した。先日中学2年当時のショーを見たが、今のほうが断然上手い。当然といえば当然なのだが、これは強い意思を持った努力の継続がなければ得られなかった技能、力である。自画自賛しているわけではない。もちろん、過去の自分に対してもっといろいろできただろ、と思うことは多くあるし、当時の自身に言いたい。ただ、ご存知のように過去は変えられない。此処から先、未来に過去のフィードバックを活かすしかないのであり、それが人生である。「継続は力なり」を実感している人間は、過去の自分を省み、未来につなげることができる人間である。

この言葉が事実ではないと言う人間は、たいして継続していないか、継続していてもそれなりの意思を持っていなかったり、方法論的に正しい続け方ができていなかったりする人間である。
まず、1週間やそこらでは「継続した」とは言えない。それはただ「1週間毎日やった」だけである。継続と認められるのは毎日行うようなものなら1か月経過した頃から、毎日ではなく決まった日(たとえば毎週日曜)に行うようなものなら1年経過した頃からだろう。
1年継続していても、それが力へ結びつくとは限らない。その事柄が単なる「作業」になってしまっている場合、力にはならない。「作業」になっているということは、何の意思も持たずにだらだらと(スピードの話ではない、脳の話である)行っているということである。肝要なのは、頭をはじめとした使うべき器官をしっかり使いながら行えているかである。
また、努力の方法が間違っていても、思うように力はつかない。言うまでもないが。
ここまで挙げた点をクリアしてはじめて、継続は力となるのである。

継続は、自分自身の力になる。自分のみならず、何かの団体に所属している場合、その団体の力にもなる。継続することは、自分と周囲にプラスの影響を与えることなのである。

「継続は力なり」
この言葉の意味を今一度確かめ、前に進んでみてはいかがだろうか。

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