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【『死、欲望、人形――評伝ハンス・ベルメール』刊行記念 】本書「はじめに」試し読み

フェティッシュな少女人形――痙攣的な美!
ブルトンとバタイユを魅了し、澁澤龍彥と四谷シモンをとりこにした、イマージュの極北!

先日小社ではピーター・ウェブ、ロバート・ショート著『死、欲望、人形――評伝ハンス・ベルメール』(相馬俊樹訳)を刊行いたしました。
ベルメールの唯一の伝記、長らくベルメールファンの間で刊行が待たれた、まさに待望の一書です。
サド、ボードレールを賛美した、瀆聖の、両性具有の、ピュグマリオンの、エロス! エロス! エロス!

日本においてベルメールほどエロティックな文脈で好まれ、影響力をもつ作家もいないのではないでしょうか。
父親やナチスの権威への反逆から人形制作を開始したベルメールはシュルレアリスムに衝撃を与え、バタイユ『眼球譚』をはじめとする銅版画挿絵、緊縛のエロティック写真、またドローイングやデカルコマニーなどさまざまな表現手段をつかいながら肉体のエロティックなイメージを追求し続けました。ときに暴力的であり、インモラルであり、嗜虐的でありながら、劣情を催させるポルノグラフィとはちがう、唯一無二としかいいようのないエロティックな表現を生み出したのです。
本書にはカラー口絵16頁本文のモノクロ図版をあわせて350点弱と盛りだくさん掲載していますので、まずはベルメールをご存知でない方にもお役に立つよう、ここに少しご紹介しましょう。

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これ以上は皆さんが本書を読む楽しみにとっておきまして、ハンス・ベルメールについてひとまず簡単にご紹介しておきましょう。

ベルメールとは――

1902年ドイツ帝国カトヴィッツ(現・ポーランド)に生まれる。電気技師だった父の要請でベルリン工科大学に入学するもドロップアウト。ベルリン・ダダの洗礼を受けデザイナーとして活動し、1933年に父親とナチスへの反抗、従妹への近親相姦的愛情をもとに人形制作を開始。これがシュルレアリスム運動に衝撃を与え、一躍シュルレアリストの仲間入りを果たす。1935年、球体関節を用いた第二の人形を制作。この頃から、エロティックな重層的なイメージを現出させるためドローイング制作も開始する。
ベルメールはゲオルク・グロッス、ルドルフ・シュリヒターらベルリン・ダダ、時代はさかのぼる北方ルネサンスのウルス・グラーフやマヌエル・ドイッチュ、あるいはコルマールにあるグリューネヴァルトの祭壇画に大いに影響をうけた。そしてなにより、サド、ボードレールの賛美者であった。オペラ『ホフマン物語』、あるいは子供のころの想い出を封じ込めた玩具箱は、生涯にわたってベルメールを刺激し続けた。もちろんシュルレアリストとも交友し、ブルトンとはそこまでの波長はあわなかったようなものの、エリュアールやエルンスト、ジョルジュ・ユニェ、ジョー・ブースケらと親しくつきあった。そしてバタイユは、ベルメールに銅版画という新しい世界への扉を開いた。二人の世界観の近しいエロチカの極致的小説『眼球譚』新版の挿絵を依頼されたベルメールは、1947年の上梓にあたってはきわめてエロティックな写真を試した。これらと双璧をなす写真に、肉体が分節化され増殖のイメージを喚起するウニカ・チュルンを撮った緊縛写真がある。
最初の妻との死別、フランスへの亡命、エルンストらとの収容所生活、ウニカ・チュルンとの生活、再会を待ち焦がれた双子の娘への愛。2度の大戦を体験し、パリに住み、肖像画を描き生活の糧にしつつも、みずからの表現では人形、ドローイング、油彩画、銅版画、デカルコマニー、オブジェ、コラージュ、写真等々さまざまな表現手段をつかい、肉体のなかにエロスとタナトスのクロスするイメージを生涯にわたって追究し続けたベルメール。そして、従妹ウルスラ、最初の妻マルガレーテ、ノラ・ミトラニ、ウニカ・チュルンなどの女性たちは、それぞれが彼の創作のミューズとなった。晩年は脳卒中をわずらい、1975年逝去。享年72。

試し読み「はじめに」公開!

その前に。本書の底本は『DEATH, DESIRE AND THE DOLL : The Life and Art of Hans Bellmer』(2006)ですが、ベルメールファンにとっては『HANS BELLMER』(1985)という書名の方が通りがよいでしょう。唯一の評伝として広く知られるこの『HANS BELLMER』の新版が今回の底本『DEATH, DESIRE AND THE DOLL』なのです。新版は加筆修正及び図版の差し替えがなされ、『HANS BELLMER』の大判の画集スタイルからもう少し小型の正方形のソフトカバーで刊行されています。
本書は弟フリッツや双子の娘、従妹ウルスラなどの親族、あるいはマンディアルグ、レオノール・フィニ、メレット・オッペンハイム、コンスタンティン・ジェレンスキー、ロベール・ヴァランセ、パトリック・ワルドベルグ、フェルディナンド・シュプリンガー、ジャン=ジャック・ポーヴェールほかベルメールと交流のあった作家、編集者、画廊主、友人などへの書簡・インタビュー取材をもとに書き上げられたものです。
本書は関係者にインタビューができた最後のタイミングの刊行であり、このピーター・ウェブの浩瀚な取材がなければ、ベルメールの人生は闇につつまれたものになっていたかもしれず、いまなおもっとも詳しい唯一の伝記といわれるゆえんです。そしてそれを補強するものとして、シュルレアリスム研究のロバート・ショートが別章を割いて、ベルメールとシュルレアリスムの関わり、あるいは主著『イマージュの解剖学』を分析し、深くベルメール作品について掘り下げています。

さて、それではこのたび刊行記念といたしまして以下に著者ピーター・ウェブによる序文を公開いたします。著者とベルメール作品の出会い、そして貴重な晩年のベルメールにインタビューしたときの模様が描かれています。
どうぞお読みください!

*   *   *

「はじめに」

私は1967年にハンス・ベルメールの作品を知った。ある芸術家が、当時シカゴのコープリー財団により刊行された小冊子を貸してくれたのである。常軌を逸した人形写真を見たときの驚きは今でも憶えているし、収録されたみだらで挑発的なドローイングの魅力は年月が経っても決して色褪せることはなかった。ベルメールのイメージは、他の芸術家がかたく閉じたまま開こうとしない扉をあけ広げてくれた。私はすでにエロティック・アートの研究に興味を抱いていたので、「エロティシズムの総体的な理解への鍵」としてベルメールの作品を評価するという企画案にただちに同意した。
しかし、ベルメールの原画を目にする機会にはなかなか恵まれなかった。ロンドンのテート・ギャラリーがコープリー財団の画集にも掲載された1956年の《独楽》を1点だけ所蔵していたが、ロバート・フレーザー画廊におけるサドのための版画の展示は1966年に警察により阻止されてしまっていた。ただ、オベリスク画廊が版画を数点所持していたので、1968年に私は連作『道徳小論』の2点を購入して家蔵するという幸運に恵まれた。エロティシズムへの関心がますます大きくなって、1975年には私は『エロティック・アート』を刊行することとなり、探求の一環としてベルメールへのインタビューを決意するが、彼は脳卒中の発作ですでに寝たきりの状態であることがわかった。私は国立現代美術センター〔CNAC、現在ポンピドゥー・センターに統合〕での回顧展を見るため、1972年のはじめにパリを訪れ、1月15日にインタビューをおこなった。
当時ベルメールはプレーヌ街〔モンマルトルの丘の西、17区〕のアパートの最上階の狭い部屋で一人で生活しており、彼を行儀の悪い子供のように扱う年配の家政婦に世話をしてもらっていた。彼はめったに訪問客を受けつけなかったが、はるばるロンドンからくるというので私との面会には同意してくれた。当時の彼は70歳で、それ以上の年季が入ったベッドに横になっていたが、蒼ざめて深い皺の刻まれた顔に歯はなかった。左腕は麻痺しており、寝具の中にいれたままである。だが、握手したときの手はしっかりとしていて、貫くような輝く目は最初に受けた病弱な印象を拭い去った。
会話は広範囲にわたって活気に満ちたものとなったものの、ときおり、彼を消耗させないように家政婦から休止の指示がでた。ベルメールはベルリンにおけるゲオルク・グロッスとルドルフ・シュリヒターとの交友について語り、ビアズレー、クリムト、シーレのドローイングを称賛した。自らの作品へのサドの影響について論じ、ロートレアモンの『マルドロールの歌』に出会ったときの興奮を話してくれた。そして、われわれはエロティシズムに関する意見を交換した。彼にとってそれは、たんに喜びにあふれた情熱の表現ではなく、むしろ、悪の知と死の不可避性とにかかわるものであった。すなわち、ジョルジュ・バタイユによって最も明瞭に定義されたエロティシズムである。「私の仕事はすべてエロティックだった――いつもそうだった……エロティシズムはつねに私にとって最も重要な関心事だった」
ドイツでナチスによる迫害を被った悲劇の時代や、最初の妻の死や、パリのシュルレアリストたちと合流するために亡命したことを思いだすと、ベルメールは非常に感情的になった。自分の作品がポルノグラフィとして拒絶され、芸術としてはまだ受け入れられなかったフランスでの貧困時代について苦々しく語ったが、文化庁の大臣が回顧展にかかわったのは、自分に対するかつての評価を改めようとする試みだとして歓迎していた。
1時間くらい会話をすると、ベルメールが呼吸困難になりはじめたので、家政婦がインタビューを終わらせた。ベルメールは版画集に私へのメッセージを書こうといってくれたのであるが、私は彼の膝の上でしっかりと本を支えておかなければならず、その好意は私にとって長い苦行となってしまった。握手をして別れの挨拶をしたとき、彼はとても暖かく微笑んでくれた。3年後、苦しみぬいたあとで彼は召された。私の知るかぎりでは、このインタビューが最後のものである。私が去る前に、彼は満足を表明してくれた。イギリスはこれまで彼の作品にほとんど関心を向けていなかったのに、あるイギリス人が訪問を願いでたからである。この本が状況の変化をもたらすのに少しでも役立つことを願っている。

*   *   *

四谷シモンさんの帯推薦文!

日本でベルメールが広く知られるようになったのはやはり澁澤龍彦の紹介が大きいといえるでしょう。そして澁澤の雑誌「新婦人」での記事が、四谷シモンをして球体関節人形制作への道に導いたことはよく知られています(そして澁澤邸の、土井典の制作したお腹の球体関節に2組の脚がついたベルメール人形も!)。
そんな四谷シモンさんに、今回帯文をいただきました。

「無理なポーズでこちらを向く少女は何も言わない。
ただキュルウ、キュルウと音がするだけ!」
――四谷シモン

ベルメールのはじめの少女人形の写真の一枚を髣髴とさせ、そして球体関節のまわる音とは!

四谷シモンの人形は主に少年、ベルメールは少女。少年と少女でちがった禁忌への響きがあるようです。四谷シモンには《解剖学の少年》で内臓を見せている人体標本人形のような作品があり、ベルメールにも少女が内臓を開く《夜開く薔薇》というドローイングがあります。また、頭部以外は骨組みの少女人形も四谷シモンにはあり、《機械仕掛けの少年》も、ベルメールの人形に仕組まれたパノラマ装置と響きあいそうです。
おもしろいのは四谷シモンが5年ほど前にベルメールと同じように乳房も腰も球体関節にした、ベルメールへのオマージュ作品をつくっていること(この展覧会は青木画廊55周年の記念展で、「四谷シモン人形展 澁澤さんとネコへ感謝を込めて――シモン」との標題からわかるように、澁澤龍彦、金子國義(ネコ)に捧げられています。つまりベルメールを加えた三人へのオマージュ展)。
日本の球体関節人形は、ベルメールあるいは四谷シモンの影響を受けた、吉田一、天野可淡、あるいはビスクドールの恋月姫などが続いて、さらにその世代に影響を受けるかたちで発展していきました。そして「ゴスロリ」が流行ったのと時を同じくして球体関節人形のブーム。その頂点にベルメール作品もモチーフとした押井守監督の映画『イノセンス』の公開に合わせた東京都現代美術館の「球体関節人形展」がありました。
球体関節人形以外にも銅版画やエロティック・アートはもちろん、文学、漫画などへの影響は甚大で、いまなおエロティックなものの代表的イメージのひとつとして、ベルメール作品は各方面に強い影響があります。

装幀について

今回、装幀にもこだわってみました。
ベルメールの球体関節のイメージ、つまり丸いイメージにオマージュを捧げたく、思いきって函に丸い穴をあけてみました。ベルメールの最初の人形の体内にはパノラマ装置が内蔵され、乳首のボタンを押すと中の円盤が回転して6つの場面が見られるというものがあり、その「覗く」イメージです。
そして函の穴から覗くのは、ベルメールの第二作品集『人形の遊び』に掲載されている手彩色された写真作品です。覗いたレンズをイメージして本体の表紙にツヤのPP貼りを施しました。
ベルメールは薄いピンク色が好きでしたから、四谷シモンさんの推薦の言葉が載る帯は、ピンクの大理石風の用紙。ベルメールは『道徳小論』では白い用紙ではなく色付きの水色やピンクに刷っていますので、そのイメージもあります。
そして扉はベルメールのコンテンポラリーアートを意識して、ショッキングピンクに銀刷りです。仕上げはベルメールの豪華さにならって金の箔押し。
ただし、筒函なので普通の函と逆になります。入れる向きにはご注意ください!(ある書店では、面で置いてあるすべての本がひっくりかえって入っていて、ベルメールの絵柄が見えていませんでした……。)

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著者について

ピーター・ウェブはエロティック・アートを専門とするイギリスの美術評論家。ほかにレオノール・フィニの評伝も書いています。
ロバート・ショートは戦後ブルトンとも交流したイギリスのシュルレアリスム研究家。映画にも造詣が深い。邦訳書では『シュルレアリスム』(PARCO出版)があります。
訳者の相馬俊樹さんは東西のエロティック・アートが専門。『エロティック・アートと秘教主義』(河出書房新社)、『アナムネシスの光芒へ——幻景綺論』(芸術新聞社)などを上梓しています。相馬さんのデビュー作は『廃体光景――現代エロティック美術』(北宋社)で、これはベルメール、モリニエ、アンリ・マッケローニ、リシャール・セーフなど海外のエロティック美術を紹介した自費出版の冊子『アイオン』が種村季弘氏の目にとまり、推薦を得て刊行したものです。

蛇足として――

ベルメールの魅力は人形だけではなく、銅版画も非常に魅力的です。工科大学出身のベルメールの版画の線は美しい曲線を描き、ほかの銅版画家と比べると余白が多く、また色の着いた用紙に刷色の違う版を重ねてなんとも美しいものです。
以前、多賀新さんにベルメールについて聞いたことがあります。多賀さんは江戸川乱歩の文庫の表紙画で知られる、硬質なエロティシズムが魅力の銅版画家ですが、ベルメールの影響もうけています。多賀さんは初個展が成功を収めると、その画料でドイツのヨルク・シュマイサーに会いにいったのですが、ひとつの目的はベルメールのアトリエを訪問することでした。しかし会おうと思った矢先、現地でベルメールの訃報に接します。するとハンブルグの美術館では早速追悼展が開かれ、多賀さんは急いで見にいきましたが、展示されている人形のまわりには何たることか誰もいない。ふらふらと思わず球体関節に手がのび、まさにそのまま思わずポケットに入れて持ち去ろうと……さすがにそこまではできなかったらしいですが。
わたしもポンピドゥー・センターで一度ベルメールの人形を見たことがあります。なにやら手垢(?)で光るようなつややかさがあり、たしかに触れてみたい欲求を感じました。作品というよりも、ベルメールが実際に愛玩していたもの……という妙にリアルな感覚をおぼえたものです。

*   *   *

『死、欲望、人形 評伝ハンス・ベルメール』
ピーター・ウェブ、ロバート・ショート 著/相馬俊樹 訳

2021年08月20日発売
A5判・上製函入・総448頁 ISBN978-4-336-07225-2
定価:本体4,500円+税

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